3月4日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年  
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1月曜日 旧暦  1月24日、赤口(丁卯)、月齢 23.2  
グレゴリオ暦で年始から64日目、年末まであと302日。
誕生花 ラズベリー・アイスランドポピー・イヌノフグリ。

二十四節気・雑節等
下弦。
半月。月と太陽の黄経差が270°となる日。

円の日。
1869(明治2)年、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めたことによる。当時、通貨政策を担当していた外国官判事兼会計御用掛の大隈重信が、それまでの「両」に代えて、最初に提案したのは「元」であった。結果として「元」ではなく。「円」になった訳であるが、その理由を、日本銀行の貨幣博物館では、楕円形、四角形等、複数あった形を、持運びし易いよう円形に統一した、とする説、製造モデルとなった香港銀貨「壱円」を真似た、とする説、円銀等と呼ばれていた中国の円形通貨が伝わった、とする説、この3つの説を紹介している。この他にも諸説があるが、火災で経過を辿る公文書が消失しており、証拠となる史料がないため、どれが正しいかは分かっていない。現在の日本の通貨単位である「円」は、1871(明治4)年に制定された「新貨条例(明治4年5月10日太政官布告第267号)」で定められたものである。当時の表記は、旧字体の「圓」であった。通貨単位としての「円」は、「新貨条例」の廃止後も「貨幣法(明治30年3月29日法律第16号)」に受継がれ、さらに、現在は「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律(昭和62年6月1日法律第42号)」に受継がれている。外国為替市場等、日本以外の通貨との関りの深い分野では、「日本円」という表記や呼称がよく用いられる。長らく日本においてのみ法定通貨とされていたが、2014(平成26)年1月より、アフリカ大陸の南部に位置し、複数基軸通貨制を採用するジンバブエ共和国における、法定通貨の内の1つに加えられた。これにより、同月より日本円を法定通貨とする国は2ヶ国となった。その後、2019(令和元)年6月24日には、ジンバブエ中央銀行は一切の外貨を法定通貨として使用することを禁じている。「円(圓)」という単位名は中国に由来する。中国では、銀は鋳造せずに塊で秤量貨幣として扱われたが(銀錠)、18世紀頃からスペインと、それ以上にスペインの植民地であったメキシコから銀の鋳造貨幣が流入した(洋銀)。これらはその形から、「銀圓」と呼ばれた。後に、イギリスの香港造幣局が「香港壱圓」と刻印したドル銀貨を発行したのは、この流れからである。「銀圓」は、その名と共に日本にも流入し、日本もこれを真似て通貨単位を「円」と改めた。1870(明治3)年、日本は、香港ドル銀貨と同品位・同量の銀貨を本位貨幣とする銀本位制を採用すると決定したが、財政幣制調査のために渡米していた、工部省(明治政府の官庁の1つで、殖産興業[明治政府が西洋諸国に対抗し、産業、資本主義育成により国家の近代化を推進した諸政策]を支えた中央官庁)の長である工部卿、伊藤博文が1871(明治4)年の帰国直後に、当時の国際情勢を鑑みて急遽、金貨を本位貨幣とする金本位制に変更することを建議した。伊藤博文は、国家や一定の地域の金融機構の中核となる機関、中央銀行(ナショナル・バンク)について、アメリカで学んでいた。また、殖産興業政策の一環として、鉄道建設を強力に推進し、京浜間の鉄道は、1872(明治5)年に品川 - 横浜間で仮営業を始め、約4ヶ月後、新橋までの全線が開通した。なお、明治政府が貨幣の形状から「円」と名付けたとする説は、俗説である。ローマ字表記が「en」ではなく「yen」である理由は幾つか想定されるが、最大の理由は、幕末から明治にかけての英米国人が「yen」と綴り、それが国際化したためと考えられる。史上初の本格的な英和・和英辞典であるアメリカの医療伝道宣教師、ジェームス・カーティス・ヘボンの『和英語林集成』(初版1867[慶応3]年)では、「円」以外にも、「エ」「ヱ(we)」で始まる単語は全て「ye」と綴られている。これは、先行するイギリス人宣教師、ウォルター・ヘンリー・メドハーストの『英和・和英語彙』(1830[文政13]年)に倣ったものである。ウォルター・ヘンリー・メドハーストは日本を訪れたことも日本人に会ったこともなく、ジャカルタ(バタヴィア、現在の東南アジア南部に位置するインドネシアの首都)で、和蘭辞典や日本を訪れたことのある人々の情報を基に、これを著した。この語彙集には「e」と「ye」が混在し、冒頭の仮名一覧には「エ・え」に「e」「ye」の両方が当てられている)。しかし、ジェームス・カーティス・ヘボンは、日本語の「エ」がごく一部地域を除いて、[je]ではなく[e]と発音されていたことを知っていたため、ヘボン式ローマ字が確立した第三版(1886[明治19]年版)に至って、「円」と格助詞の「へ」以外、「え」「ゑ」を全て「e」で表記することにした。「yen」の綴りを改めなかったのは、これが既に定着していたから、と考えられる。また、他の言葉の語(仏語の前置詞「en」等)と混同されにくい利便性も指摘される。外国語では、綴りに引かれて、「イェン」といった具合に「y」を発音する。補助単位としては、銭(円の100分の1、1円 = 100銭)と厘(円の1,000分の1、銭の10分の1、1円 = 1,000厘、1銭 = 10厘)が規定されるが、銭、及び厘単位の補助貨幣、及び小額政府紙幣は1953(昭和28)年末に「小額通貨の整理及び支払金の端数計算に関する法律(小額通貨整理法、昭和28年7月15日法律第60号)」によって小額通貨が整理された際に、使用・流通禁止処分が取られた。現在、「銭」や「厘」の単位は、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」によって「一円未満の金額の計算単位」と定められており、為替や株式の取引、少額物品の単価見積で単位としての銭が、便宜的に使用されるに過ぎない。但し、電子マネーやプリペイドカードに限り、一部の取引で小数点第2位まで0.01円(1銭)単位での取引が認められている。なお、円には幾つか種類があり、第二次世界大戦終戦までは内地で流通した日本円の他、外地通貨である台湾円(台湾で流通)や朝鮮円(朝鮮及び関東州[現在の中国東北部に所在]で流通)も存在した(南洋群島は例外的に日本円が流通)。また、満洲国(現在の中国東北部に所在)の通貨も「圓」と称しており、1935(昭和10)年(満洲国では康徳2年)9月以降は、日本円と完全に等価で通用していた。中華人民共和国の通貨単位である「元」の正式名称は「圓( = 円)」である。かつて、「"圓"の画数が多い」という理由で、その代わりに同音(yuan)の「元」が当てられ、今日に至る。韓国や北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の「ウォン」も、「圓( = 円)」の朝鮮語読みである(但し、現在はウォンの公式な漢字表記はない)。台湾のニュー台湾ドルや香港の香港ドルも、国内での名称は「元」、或いは「圓」である。即ち、これら東アジアの諸通貨は、みな本質的には「圓」という名称を共有していると言える。同様に、通貨記号「¥」も日本の円と中国の人民元で共有している。なお、中国語では、日本円を「日圓」「日元」、米ドルを「美元」、ユーロを「欧元」というように、国・地域名を冠して、そこで用いられる通貨を指す用法も派生した。