3月3日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

民放ラジオの日。 
主要民間放送事業者により、放送倫理水準の向上と業界共通問題の処理を目的として設立された非営利団体、社団法人日本民間放送連盟(2012[平成24]年に一般社団法人へ移行)内の専門委員会(民放首脳をメンバーとした組織)、ラジオ委員会が2008(平成20)年に制定した日で、日付は「耳の日」に因む。1951(昭和26)年9月1日に中部日本放送(現:CBCラジオ)、新日本放送(現:毎日放送[MBS])が、同年12月25日にはラジオ東京(現:TBSラジオ)と、ラジオ民間放送が相次いで開始された。1953(昭和28)年にはテレビ放送も開始されたが、白米10kg680円、銭湯の入浴料15円程度であった時代に、テレビ受像機の価格は20万円から30万円程度と高価で、一般には買えず、ラジオが一家の主役であり続けた。ラジオ受信機にしても、当時は物品税(「物品税法[昭和15年3月29日法律第40号]」に基づく物品別間接税で、贅沢品への課税とされていたが、1989[平成元]年4月1日の「消費税法[昭和63年12月30日法律第108号]」施行に伴ない、消費税が取って代わったため廃止された)が高価で、メーカー製完成品を購入するよりは、秋葉原(東京都千代田区に所在し、多様な電子機器や部品等を取扱う店舗等が建ち並ぶ世界有数の電気街)等から、真空管(内部を高度に真空にし、電極を封入した中空の管[管球])等の部品を買い集めて自作した方が安かったために、受信機を製作する人が多かった。彼らは「少年技師(後のラジオ少年)」とも呼ばれ、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業の発展の基礎を作る要因の1つともなった。しかし、当時の皇太子明仁親王(後の第125代天皇、天皇明仁、現在の上皇明仁)が1959(昭和34)年に正田美智子と結婚し、パレードのテレビ中継が行なわれたことをきっかけに、テレビ受像機が普及し始め、ラジオは斜陽化の時代を迎える。ラジオは、仕事や作業をしながらでも番組を楽しむことができるため、職場やカーラジオ等で聴取されることも多い。首都圏では、午前10時から午前11時にテレビの視聴率よりもラジオの聴取率が高くなる。地域・放送内容・機器等の影響により、長時間に亘り1つの局を聴取する傾向のリスナーもいる。番組毎のスタッフ数は、テレビと比較して少ない。ラジオ放送局は、ラジオ番組を制作し、ラジオ技術を用いて送信している放送局である。一般的な中波放送事業者には、テレビジョン放送局も行なっているところも多い(兼営社)。超短波放送(FM)事業者には、テレビの兼営は認められていなかったが、「放送局に係る表現の自由享有基準」の制定によって、今後は認められることとなった。放送局の本社は、放送電波を発しているところとは限らない。番組を収録・編集したり番組を決められた順番に送り出す作業を行なう施設を、一般的に「演奏所」、演奏所で作られた音声信号を電波として送信する施設を「送信所」と称する。 
桃の日。
1999(平成11)年、東京都港区虎ノ門に本社を置く、たばこ、並びに医薬品、食品・飲料の製造・販売会社である日本たばこ産業株式会社(JT)が、自社の製品であった「桃の天然水」のPRの為に制定。日付は、桃の節句と「桃の天然水」をかけて3月3日を記念日とした。「桃の天然水」は、1996(平成8)年に発売された当初は、あまり売れなかった。しかし、1998(平成10)年に、当時若者から絶大な支持を得ていた、歌手の華原朋美をCMに起用したことにより、「ヒューヒュー」が流行語になる程のビッグヒット商品となった。2015(平成27)年2月4日、日本たばこ産業株式会社(JT)から飲料部門撤退の公式発表がなされ、同2015(平成27)年7月31日に、ウイスキー・ビールメーカーであるサントリーホールディングス株式会社傘下の清涼飲料事業子会社、サントリー食品インターナショナル株式会社が、日本たばこ産業株式会社(JT)からブランドを取得。日本たばこ産業株式会社(JT)からの販売は、同年9月をもって終了した。桃は、春には五弁、又は多重弁の花を咲かせ、夏には水分が多く甘い球形の果実を実らせる。中国原産で、食用・観賞用として世界各地で栽培されている。3月下旬から4月上旬頃に薄桃色の花をつけ、「桃の花」は春の季語となっている。桃の実は、7月から8月に実り、「桃の実」は秋の季語となっている。球形で縦に割れているのが特徴的。果実は、赤みがかった白色の薄い皮に包まれている。果肉は、水分を多く含んで柔らかい。水分や糖分、カリウム等を多く含んでいる。栽培中、病害虫に侵され易い果物であるため、袋を掛けて保護しなければならない手間の掛かる作物である。また、痛み易く、収穫後すぐに軟らかくなるため、賞味期間も短い。生食する他、ジュース(ネクター)や、シロップ漬けにした缶詰もよく見られる。日本では、長崎県西彼杵郡多良見町(現在は長崎県諫早市の一部)にある伊木力遺跡から、縄文時代前期の桃核が出土しており、これが日本最古とされている。弥生時代後期には、大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。桃は食用の他、祭祀用途にも用いられ、斎串(木の枝や薄い板、細い角材を串状につくったもので、神を招く時の依代、神への供物、 災いを除ける祓いの道具等として用いられた)等、祭祀遺物と伴出することもある。平安時代から鎌倉時代には珍重されていたが、当時の品種はそれ程甘くなく、主に薬用・観賞用として用いられていたとする説もある。江戸時代にさらに広まり、全国で用いられた。明治時代には、甘味の強い水蜜桃系(品種名:上海水蜜桃等)が輸入され、食用として広まった。現在、日本で食用に栽培されている品種は、この水蜜桃系を品種改良したものが殆どである。主に日本国内では山梨県、福島県、長野県等、降水量の少ない盆地で栽培される。外国の主な生産国は、中国、アメリカ、イタリア等となっている。  
ジグソーパズルの日。 
頭と手を使い楽しく遊びながら脳の健康を保ち集中力を向上させるとして、子どもからお年寄りまで幅広い人気のジグソーパズル。これを、さらに多くの人に親しんでもらおうと、ジグソーパズルを製造・販売する業者で構成された任意団体、ジグソーパズルメーカー会が制定。日付は、数字の「3」は裏表を組合わせると、ピタリとはまるジグソー風な形になることから。ジグソーパズルは、1枚の絵を幾つかのピースと呼ばれる小片に分解して、ばらばらにしたピースを再び組立てるというパズルで、英語では「jigsaw puzzle」で、「jigsaw」は「糸鋸(いとのこぎり)、いとのこ」のことであり、元々、このパズルが木の板を糸鋸で切って作られたことに由来する。1760(宝暦10)年頃、イギリスの首都ロンドンの彫刻師で、地図製作者であったジョン・スピルズベリが、子どもの教育のために、ピースが国の形で、完成すると地図ができる木製のジグソーパズルを作ったことが最初、と考えられている。このアイデアは教育現場で受入れられ、イギリスの子ども達に地理を教える教材として人気を博したという。現在では、安価に製造することができる紙製のジグソーパズルが主流になったが、日本においてもジグソーパズルが、子どもの教育用としても使用されている。頭と手を使い、楽しく遊びながら脳の健康を保ち、集中力を向上させるものとして、幅広い年代に人気がある。 
gimoの日。
東京都渋谷区代官山町にNFTギャラリーを構え、NFTスタジオ兼システム開発を手掛ける企業、株式会社PBADAO(パバダオ)が制定。日付は、株式会社PBADAO(パバダオ)がマネジメントするキャラクターのgimo(ギーモ)が、目を3つ持つため3月3日としたもの。株式会社PBADAO(パバダオ)は、アーティスト、クリエイター、エンジニア、マーケター等を擁して、様々なNFTプロジェクトを展開している。gimoをより多くの人に知ってもらい、愛してもらうと共に、NFTという分野の認知度を高めることが目的。株式会社PBADAO(パバダオ)は、Web3でエコシステムを構築する会社。ビジョンとして「フィジタルを加速させよ」を掲げる。「未来の生活ってこんな感じかな?」という体験を、フィジカルとデジタルを重ねて展開していくことで、ユーザーと共に皆が見据える未来に少しずつ近付いていく。そんな体験を創造する組織である。株式会社PBADAO(パバダオ)のサービスとして、初めてNFTに触れる人向けに開発した、簡単・安全・安心なハードウェアウォレット「POKKE」や、NFTプロジェクトの企画から運営管理までの全てを担当する「NFT STUDIO」がある。「NFT」は「非代替性トークン」を意味する「Non Fungible Token」の略で、ブロックチェーン上で作成されたデジタルデータのことを指す。ブロックチェーン技術を用いたNFTは、作品の所有権や取引履歴をデジタル上で証明できるようになっている。単にファイルをコピーしても、NFTの所有権は証明できず、NFTとしての資産価値は発生しない。2014(平成26)年に誕生したNFTは、2021(令和3)年には、デジタルアートやブロックチェーンゲームの分野を中心に、世界的なブームとなった。その用途は、動画や音楽、漫画、デジタルフォト、ドメイン等、様々なデジタルデータにまで及ぶ。