3月1日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

-752年 - イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始まり、領土を拡大して、地中海世界の全域を支配する世界帝国までになった国家、古代ローマの最初期の政体である王政期、王政ローマ建国の初代王とされるロームルスが、ローマ人の初の戦勝を祝い、ユーピテル(ローマ神話の主神で、英語読みでは、ジュピター)の神殿を建設し、捧げ物を捧げる。 
0286年 - ローマ皇帝ディオクレティアヌス(ガイウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌス)が、マクシミアヌス(マルクス・アウレリウス・ウァレリウス・マクシミアヌス)を副帝とし、ローマ帝国の西側の統治者とする。 
0293年 - ローマ東方正帝ディオクレティアヌス(ガイウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌス)が、ガレリウス(ガイウス・ウァレリウス・マクシミアヌス・ガレリウス)を東方副帝、コンスタンティウス・クロルスを西方副帝とし、西方正帝マクシミアヌス(マルクス・アウレリウス・ウァレリウス・マクシミアヌス)と合わせた4名が帝位に付くテトラルキア(「4名の支配」)が始まる。ディオクレティアヌス(ガイウス・アウレリウス・ウァレリウス・ディオクレティアヌス)の死後も、皇帝権の分散という方策は、細部を変えながらも、後継者であるガレリウス(ガイウス・ウァレリウス・マクシミアヌス・ガレリウス)へ継承され、コンスタンティヌス1世(ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス)の即位する306年まで継続されたと考えられている。複数の皇帝によって分割されていた帝国を再統一し、専制君主制を発展させ、「大帝」と称されるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を公認し、その後の発展の政治的社会的基盤を用意したことから、正教会(東方正教会、キリスト教の教派の1つ)等では、聖人とされている。  
0317年 - ローマ東方正帝コンスタンティヌス1世の息子のクリスプス(フラウィウス・ユリウス・クリスプス)とコンスタンティヌス2世、西方正帝リキニウス(フラウィウス・ガレリウス・ウァレリウス・リキニアヌス・リキニウス)の息子リキニアヌス(リキニウス2世)が副帝となる。 
1562年 - フランス中北部、シャンパーニュ地方にあるヴァシーで、プロテスタント(新教、カトリック教会から分離し、特に[広義の]福音主義[16世紀に遡り、カトリックの思想家の中で、信仰や実践について、中世後期の教会と結び付いたものよりも、より聖書的なものに立返ろうとしたもの]を理念とするキリスト教諸教派)達が虐殺される(ヴァシーの虐殺、ユグノー戦争の始まり)。 
1565年 - 現在のブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ市が建設される。1502年1月、ポルトガル人探検家ガスパール・デ・レモス達が、大西洋に面したグアナバラ湾の湾口であるこの地に到達し、グアナバラ湾は湾口が狭まっているため、大きな川であると誤認し、発見した月に因み、ポルトガル語で「1月の川」と命名する。17世紀までのリオデジャネイロは、砂糖の栽培と製糖工場がある小さな港町に過ぎなかったが、18世紀前半に内陸のミナスジェライス州周辺で金鉱が発見され、この金の集散地は、当初は金鉱発見者であるバンデイランテス(奥地[内陸側]の開発・開拓目的の探検隊)の基地、サンパウロであったが、1725年にリオデジャネイロとミナスジェライスを結ぶ新道が開通すると、距離的に近いリオデジャネイロが、サンパウロに代わって、ミナスジェライスの金やダイヤモンドの積出港となり、ブラジル植民地の交通と富の中心となる。このため、それまで栄えていた北東部から南東部への重心の移動が生じ、1763年には、ブラジル総督がサルヴァドール・ダ・バイーア(現在のブラジル北東部の大西洋岸にある港湾都市、サルヴァドール)からリオデジャネイロに移され、ブラジル植民地の首府となる。1808年、半島戦争(イベリア半島で、スペイン軍、ポルトガル軍、イギリス軍の連合軍と、フランス帝国軍との間に戦われた戦争)の勃発により、リスボンのポルトガル宮廷は、フランス帝国軍を逃れてリオデジャネイロに移転し、翌1809年、リオデジャネイロがポルトガル・ブラジル連合王国の首都となる。これにより、リオデジャネイロは人口も増加し、また、高い文化を持った移住者達によって文化も進歩している。1821年、王の帰還と共に、首都もリスボンに再遷都されたが、ポルトガルがブラジルの統治に軍を送込んだため、ブラジル側の憤激を買い、独立派はリオデジャネイロに残っていた王太子ドン・ペドロを擁立して、1822年にブラジル帝国の独立を宣言し、リオデジャネイロはブラジル帝国の首都となる。1889年に帝政が廃止され、共和制に移行するものの、リオデジャネイロは引続き、ブラジル連邦共和国の首都となる。第二次世界大戦後に商工業が発展すると、内陸部や北東部から職を求めて大量の人々が流入したが、経済の重心は徐々に内陸部のサンパウロ市に移っていき、1950年代には、リオデジャネイロの人口はサンパウロに抜かれ、現在に至るまで、リオデジャネイロはブラジル第2の都市となっている。また、1960年、ブラジル連邦共和国第22代大統領ジュセリーノ・クビシェッキによって、首都は、内陸部の発展促進を目的として建設されたブラジリアに移され、リオデジャネイロは行政の中心地としての機能を失う。それでも、国内最大の観光都市で、港湾都市としても知られ、都市周辺の美しい文化的景観は、「リオデジャネイロ:山と海との間のカリオカの景観群」として、2012年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(自然遺産)に登録されている。リオデジャネイロはまた、ブラジル国内、及び南アメリカ大陸、そして、ポルトガル語圏でオリンピックが開催されるのは初めてとなる、2016年のリオデジャネイロオリンピック(第31回オリンピック競技大会)の開催都市となっている。
1692年 - アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州セイラム村で、最も悪名高い裁判とされるセイラム魔女裁判が始まる。200名近い村人が魔女として告発され、19名が処刑され、1名が拷問中に圧死、5名が獄死する。 
1709年 - 江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の死後10日目で、生類憐れみの令(犬、猫、鳥、魚類、貝類、虫類等にまで及んだ複数のお触れの総称)が廃止される。 
1753年 - 北ヨーロッパのスカンディナヴィア半島に位置するスウェーデンでグレゴリオ暦を導入。2月17日の翌日が3月1日になる。 
1781年 - アメリカ独立戦争において13植民地の相互友好同盟を定めた規約、連合及び永遠の連合規約(連合規約)が、アメリカ13植民地の全ての邦の承認を得て発効する。 
1803年 - アメリカ合衆国の北西部領土が州に昇格し、アメリカ合衆国17番目の州・オハイオ州となる。 
1815年 - イタリア半島の西側、ティレニア海にあるエルバ島を脱出したナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)がフランスに上陸。 
1867年 - ネブラスカ準州が州に昇格し、アメリカ合衆国37番目の州・ネブラスカ州となる。 
1872年 - アメリカ合衆国議会が国立公園局設置法を可決。世界最初の国立公園、イエローストーン国立公園を設置する。イエローストーン国立公園は、アメリカ合衆国北西部、アイダホ州とモンタナ州、及びアメリカ合衆国西部、ワイオミング州に位置し、様々な間欠泉や温泉、地熱等による見所で有名であり、多種の動物の群れが生息している。 
1874年 - 第四国立銀行が開業。1872年制定の「国立銀行条例(明治5年11月15日太政官布告第349号)」に基づいて開設された金融機関は、俗に「ナンバー銀行」と呼ばれる。新潟市中央区に本店を置く地方銀行の第四銀行は、新潟県におけるリーディングバンクとして、県内に強固な経営基盤を有し、県、及び新潟市の指定金融機関とされていたが、2018年、同じ新潟県内の長岡市に本店を置く北越銀行と経営統合し、2021年には北越銀行と合併し、第四北越銀行を発足させる。これに伴ない、100年以上に亘って使用された「第四銀行」の行名は消滅している。