2月27日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

女性雑誌の日。
1693(元禄6)年2月27日、イギリスの首都ロンドンで、世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー』が創刊された。但し、6月27日とする説もあり、正確な日時は不明である。また、この雑誌が廃刊になったかどうかも不明である。『ザ・レディス・マーキュリー』は、男性と女性の両方に向けた週刊誌『ジ・アセニアン・マーキュリー』から派生した雑誌として発行された。恋愛や結婚等、女性の悩み相談を扱った雑誌で、その内容は、現代から見てもかなり斬新で、現在でも「レディス・マーキュリー」という言葉は、女性の性の悩み相談という代名詞になっている。日本初の女性雑誌は、1884(明治17)年6月に近藤賢三という人物が創刊した『女学新誌』とされる。豊前国中津藩藩士・江戸幕府旗本・蘭学者・著述家・啓蒙思想家・教育者、福沢諭吉らの婦人論が新聞に活発に登場したことに刺激され、近藤賢三は誌面の一新を図り、翌1885(明治18)年7月には、改めて『女学雑誌』を創刊した。また、1911(明治44)年9月には、思想家・女性解放運動家の平塚らいてう等の女性による月刊誌『青鞜』が創刊された。当時の日本では、女性は「民法(明治29年4月27日法律第89号)」で家父長制に従属させられ、選挙権はなく、政治活動は禁じられていた。そんな時代に、明治という新しい社会にふさわしい日本女性を作り出す目的で、女性雑誌が発行された。「女学」とは、「女性の地位向上・権利伸張・幸福増進のための学問」である。なお、1900(明治33)年には、女性週刊誌『婦女新聞』が創刊されている。当初は僅か4ページの週刊新聞として発刊されたが、後にA4版16ページの雑誌型に改められ、1942(昭和17)年まで続刊された。『婦女新聞』は、新進気鋭の女性達の投書機関として果たした役割も大きく、投書家の中には、歌人の石上露子、米谷照子、原阿佐緒等がいた。「女性週刊誌」というジャンルは、女性を主な購買層と想定している週刊誌の総称で、日本国外にはほぼ例がないという。現在の日本の代表的な女性週刊誌としては、1957(昭和32)年創刊、主婦と生活社発行の『週刊女性』、1958(昭和33)年創刊、光文社発行の『女性自身』、1963(昭和38)年創刊、小学館発行の『女性セブン』が挙げられる。他にも、ファッション雑誌や生活誌等、女性向けの週刊誌が多種多様に出版されている。日本の女性週刊誌で取上げる記事の特徴は、夕刊紙『日刊ゲンダイ』のようなタブロイド誌(新聞形式)で掲載されるような内容から、特に、女性(主に主婦層)が関心を持ち易いと考えられている内容を重視して誌面が構成され、出版社系週刊誌『週刊文春』や『週刊新潮』に代表される雑誌スタイルで販売されるのが特徴である。そのため、テレビ番組のワイドショーとテーマが重なることも多い。各界で活躍する人物の裏の顔や複雑な人間関係を暴く、といったゴシップ(巷で伝聞される興味本位の噂話)記事も頻繁に取上げられる。概ね、女性客の多い、美容院や銀行、病院の外来患者窓口等に置かれ、待合時間の閲覧に供されるのも通例となっている。因みに、女性を標的にした誌面構成は、異性には非常に新鮮に映るとされ、読者が男性であることも多い。雑誌を中心に出版事業を展開している出版社、主婦と生活社による女性週刊誌のさきがけである『週刊女性』は、文芸書や思想書を中心に刊行していた出版社、河出書房の手で1957(昭和32)年に創刊されたが、河出書房(現在は再建された河出書房新社が、直接の後継会社となっている)の倒産に伴ない、僅か4号で休刊した。同年8月、月刊婦人雑誌『主婦と生活』等を出版していた主婦と生活社が発行を引継ぎ、現在に至る。なお、現在の主婦と生活社は、女性週刊誌からファッション誌、男性誌や生活誌に至るまで、幅広いジャンルの雑誌を展開している。『週刊女性』の記事内容は、芸能ゴシップや事件、皇室の話題、感動ドキュメント、美容・健康・グルメに関する情報等、他の女性週刊誌と差異はない。1958(昭和33)年創刊の光文社(数々のベストセラーを生み出した新書シリーズ「カッパ・ブックス」の成功で、新書判ブームのきっかけを作った出版社)による女性週刊誌『女性自身』は当初、アメリカのファッション雑誌『Seventeen』と提携したファッション雑誌であった。しかし、売上げが伸びないため、皇室ネタを中心にした女性週刊誌として大幅に方針転換されていった。1963(昭和38)年、国内出版業界で最大手の総合出版社の1つ、小学館が創刊した女性週刊誌『女性セブン』は、皇室や芸能人関係の記事がメインであるが、ニュース記事や読者投稿のページもある。なお、現在の『週刊女性』は、『女性自身』や『女性セブン』と共に3大女性週刊誌の一角を担っているが、発行部数は後発の『女性自身』と『女性セブン』に差を付けられている。日本の女性にとって、ファッションは極めて関心の高いものであり、流行、年齢、生活・収入レベルや、それらがもたらす読者別のファッションの傾向によって、数多くのファッション雑誌が発行されている。また、日本におけるファッション雑誌は、洋服の発祥地である西洋のファッション雑誌の模倣や提携等から始まっており、欧化主義と洋装化の影響を強く受け、モデルに金髪碧眼の白人を起用するものも多く、西洋式の文化を称賛する傾向が強い雑誌もある。メインは、月刊誌から季刊誌のペースでの、トレンドに合わせた着こなしの紹介である。全身の服装、個別のアイテム (カタログとも言える)、ヘアスタイルやメイクが、モデルや芸能人、読者等、多様な人物の写真で表わされ、商品を説明するキャプション(図版部分に付加える説明文)が付く。また、主眼となるコンセプトが、モード系ではコレクションの図版、ストリートファッションならばストリートスナップ(街で見掛ける若者達の服装や着こなしを撮影したスナップ写真)が用いられる。一応、ファッション雑誌とは分類されるものの、女性誌の場合、恋愛、占い、音楽等のレビュー、ダイエットを始めとする美容、インテリア、キャリア、育児、金銭管理、料理のレシピ、旅行、小物の付録等、実生活で役立つ情報やエンタテイメント要素を盛込んでいる。洋服や装飾品だけでなく、ライフスタイル全般を取上げるファッション雑誌も多い。1970年代中期から1980年代にかけて流行した「アンノン族」(雑誌やガイドブックを片手に、一人旅や少人数で旅行する若い女性)を生み出し、従来の物見遊山型でない、女性の国内旅行を定着させた女性週刊誌『an・an』(マガジンハウス発行)や『non-no』(集英社発行)等が、女性の若者文化に大きな影響を与えた。その後、バブル景気(1986[昭和61]年12月から1991[平成3]年2月までの51ヶ月間に、日本で起こった資産価格の上昇と好景気)が終わり、不況の長期化や情報源の多様化等により、女性ファッション誌では、ファッション情報に特化した実用性を求める傾向が強まっている。2000年代には、実利的な異性受け(「モテ」と称される)するファッションを重視する傾向が強まっている。10代後半から20代の女性向けファッション雑誌というカテゴリーで、圧倒的に強みを持つ『CanCam』(小学館発行)がその代表格であり、近年では、その専属モデルであった押切もえや蛯原友里が誌面で着用した服は、即完売するというような影響力を持つようになった。