2月26日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

脱出の日。
1815(文化12)年2月26日、イタリア半島の西側、ティレニア海の洋上にあるエルバ島に流刑されていたナポレオン・ボナパルトが脱出し、フランスの首都パリに向かった。パリに戻ったナポレオン・ボナパルトは復位を成遂げるが、イギリスとプロイセン((現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とした国)の連合軍に、ベルギー南部(当時はオランダ領)のワーテルロー近郊で完敗して(ワーテルローの戦い)、ナポレオン・ボナパルトの復位(いわゆる「百日天下」)は幕を閉じることとなる。ナポレオン・ボナパルトは、革命期フランスの陸軍軍人・政治家で、ナポレオン1世としてフランス第一帝政の皇帝にも即位した。フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立し、戦勝と婚姻政策によって、イギリスとオスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)のヨーロッパ側領土(現在のハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ユーゴスラヴィア、セルビア、アルバニア、ギリシャ等)を除いたヨーロッパ大陸の大半を勢力下に置いた(これら一連の経過をナポレオン戦争という)が、最終的に敗北し、失脚した。
包む(ラッピング)の日。 
東京都台東区台東に本社を置く、贈り物等を包む(ラッピング)ための商品を企画・販売する企業、株式会社包むが2017(平成29)年に制定。大切な人のことを想い、感謝の気持ちを込めて贈り物や商品を包むことで、楽しさと豊かさを届ける日とすることが目的、としている。日付は、2月26日の「2」と「26」を、「包む(つ[2]つ[2]む[6])」と読む語呂合わせから。日本工業規格(JIS)では、包装は『物品の輸送、保管等に当たって価値及び状態を保護するために適切な材料、容器等を物品に施す技術、及び施した状態のことである』と定義している。さらに、これを個装(物品個々の包装)、内装(包装貨物の内部の包装)、外装(包装貨物の外部の包装)の3種類に分類している。また、輸送を目的としたものを工業包装、販売を目的としたものを商業包装に区別し、工業包装を梱包としている。包装紙等で綺麗に包むためには、知識や技術が必要である。また、包装に使うための紙は、包装紙(若しくは包み紙)と呼ばれ、様々なものが、日用品店や文房具店で販売されている。なお、包装用のプラスチック製フィルムはラッピングフィルムと呼ばれる。一般にラッピングと呼ばれると、包装紙で単に包むだけではなく、中の物品に対する装飾的な意味も含まれる。贈答品(プレゼント)等では、様々に様式化された包装が見られ、日本では、熨斗紙(のしがみ)のように贈答品を贈った理由と誰からのものなのかが、包装された外見からそれと判る文化があり、冠婚葬祭関連産業等では、この贈答品に対応したサービスを提供するところも見られる。また、風呂敷等のように繰返しの再使用を前提とした包装材でも、様々な「美しく包むための様式」もあり、こちらは作法の一環で多様な包み方も示される。
フロリダグレープフルーツの日。
世界で一番おいしいと言われるフロリダ産のグレープフルーツを、日本でもっと知ってもらい、販売促進に繋げることを目的に、フロリダ州政府柑橘局が制定。日付は、2月からフロリダ産グレープフルーツが旬になること、26日の「26」を、フロリダの「フ(2)ロ(6)」と読む語呂合わせから。グレープフルーツは、亜熱帯を原産とする柑橘類で、その木は約5mから約6m程度の丈のものが多く見られるが、成長を続ければ約13mから約15m程度にもなる。19世紀の後半まで、主に観賞用として栽培されていた、という説が有力である。甘さや酸味の他に、ほろ苦さがあるのが特徴で、この苦みを好まない人もおり、生食の際には、砂糖をまぶして食べる場合もある。生で食べる他に、ジュースや様々な加工食品に用いられる。また、絞り汁はカクテルやサワーに用いられ、グレープフルーツ専用の搾り器がある。日本国内で流通するグレープフルーツの殆どは海外から輸入されたもので、その約7割近くをアメリカ産が占めている。但し、国別の生産量では、中国が世界生産量の約5割近くを占めるグレープフルーツ大国となっている。アメリカ合衆国東南部に所在するフロリダ州は、アメリカ合衆国国内における柑橘類の最大産地で、フロリダ州政府柑橘局は、フロリダ州内では観光産業に次いで2番目の収入となる柑橘類産業の保護、発展のために設立された非営利団体で、世界最高級のグレープフルーツの品質を保証する認定を行なっている。認定基準は、アメリカ合衆国連邦政府の基準よりも厳しく、基準をクリアしたフロリダ産のグレープフルーツのみに認定のロゴマークが与えられる。
ご飯がススムキムチの日。
埼玉県所沢市東住吉に本社を置く、キムチや浅漬を中心とした食品事業を展開する企業、株式会社ピックルスコーポレーションが制定。自社の「ご飯がススムキムチ」を、キムチ鍋等で需要が高まる時期に、多くの人に食べてもらうことが目的。日付は、「ススム」の「ス」を、数字の「2」に見立て、「ス(2)ス(2)ム(6)」として、2月26日としたもの。「ご飯がススムキムチ」は、国産白菜を100%使用し、りんごの甘味、魚介のうまみ、たっぷりのヤンニョムで作られている人気商品。そのままはもちろんのこと、料理に使ってもおいしいと評判のキムチである。また、株式会社ピックルスコーポレーション独自の植物性乳酸菌「Pne-12(ピーネ12)」を配合している。野菜や穀物等を発酵させる植物性乳酸菌は、乳等を発酵させる動物性乳酸菌に比べて、一般的に胃酸に強く、腸まで生き抜くことができる、と言われている。『ご飯がススム』ブランドで知られる株式会社ピックルスコーポレーションは、愛知県豊橋市駅前大通に本社を置く、「きゅうりのキューちゃん」を代表的なブランドとする漬物メーカー、東海漬物株式会社の子会社として設立されたものの、漬物業界では、東海漬物株式会社を上回るシェア1位となっている。
良忍上人忌。
平安時代後期の僧で融通念仏宗の祖、良忍の法要の日。良忍が亡くなったのは、1132(天承2)年2月1日(旧暦)であるが、法要はこの日に行なわれる。1773(安永2)年に聖応大師の諡号(貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名)を贈られた良忍は、「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という「自他の念仏」が相即融合し合う、という立場から融通念仏を創始し、称名念仏(仏・菩薩の名を口に出して称える念仏)で浄土(仏陀の住む清浄な国土)に生まれると説き、結縁した人々の名を記入する名帳を携えて各地で勧進を行なった。
朱鳥忌。
俳人、野見山朱鳥の1970(昭和45)年の忌日。福岡県出身の野見山朱鳥は、1945(昭和20)年に高浜虚子(明治・昭和期の俳人・作家)に師事し、1946(昭和21)年には、保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇った俳句雑誌、『ホトトギス』600号記念号の巻頭を取り注目される。その後、新人の顕彰にも当たったが、肺の病が悪化し、52歳で没する。
周遊忌。
鉄道紀行作家、宮脇俊三の2003(平成15)年の忌日。周遊忌という名前は、生前に自ら付けた戒名「鉄道院周遊俊妙居士」に因むものである。宮脇俊三は、1887(明治20)年に創刊され、現在も発行されている月刊総合雑誌『中央公論』等を出版する中央公論社(1990年代に経営危機に陥ったため、現在は読売新聞社全額出資によって中央公論新社が設立され、営業を譲り受けている)の編集者として日本出版史に残る企画に数多くたずさわり、名編集者と謳われる。医師で作家の北杜夫を世に出したことも。功績の1つである。『中央公論』や女性雑誌『婦人公論』編集長を務めた後には、「世界の歴史」シリーズ、「日本の歴史」シリーズ、「中公新書」等に関わる。「世界の歴史」シリーズでは、専門的過ぎて分かりづらい学者の文章は、衝き返して再度執筆させた。1977(昭和52)年5月28日、馬県桐生市の桐生駅から栃木県日光市の間藤駅に至る国鉄(日本国有鉄道)足尾線(東日本旅客鉄道[JR東日本]足尾線を経て、現在は、群馬県等の出資による第三セクター方式の鉄道事業者、わたらせ渓谷鐵道が運営する、わたらせ渓谷線となっている)を最後に国鉄全線を完乗する。1978(昭和53)年6月30日に中央公論社を退社。同1978(昭和53)年7月10日には、国鉄全線完乗の旅を綴った鉄道紀行文『時刻表2万キロ』で作家デビューする。処女作となった『時刻表2万キロ』で、「鉄道に乗る」ことを趣味とする者の存在を世間に認知させ、第2作の『最長片道切符の旅』では「最長片道切符」を広く知らしめることとなった。紀行作家としては、地理や歴史の深い教養に裏打ちされた簡潔かつ格調高く、軽妙なユーモアに溢れた文章を書くことで知られる。また、熱心な鉄道ファンでありながら、専門用語等を自慢気に羅列したり、評論家のような振舞いをする等の、極一部の趣味者に見られる嫌味さが、作品内には殆どなく、飄々とした文体が多くの人々に受入れられ、鉄道ファンに止まらない、多くの愛読者を惹き付ける。晩年に刊行した『鉄道廃線跡を歩く』シリーズ(全10巻)では、「廃線跡探訪」という、これまで殆ど注目されていなかった鉄道趣味を記した。