2月26日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

パナマ運河開通記念日。
1914(大正3)年2月26日、パナマ運河がアメリカ合衆国により開通した。なお、パナマ運河の開通日(完成日)は、1914(大正3)年8月15日という資料もある。パナマ運河は、中央アメリカ、パナマ共和国のパナマ地峡(南北両アメリカ大陸を結ぶ帯状の地峡[2つの陸塊を繋ぎ、水域に挟まれて細長い形状をした陸地])を開削して、太平洋とカリブ海・大西洋を結んでいる閘門式運河である。全長約80Km、最小幅91m、最大幅200m、深さは一番浅い場所で12.5m。マゼラン海峡やドレーク海峡を回り込まずにアメリカ大陸東海岸と西海岸を海運で行き来できる。大西洋と太平洋とを結ぶ運河は、16世紀前半のパナマ地峡の発見後、すぐに構想された。しかし、当時の技術力では建設は不可能であり、実際に建設されるまでには、これから400年近い歳月が必要となった。19世紀に入ると、産業革命や蒸気船の開発等によって船舶交通が盛んとなり、また、土木技術の進歩によって、運河の建設は現実的な計画となった。何度か運河計画が立てられたが、実際に着工したのは、北アフリカに位置するエジプトのスエズ地峡に位置し、地中海と紅海(スエズ湾)を結ぶ海面と水平な人工運河、スエズ運河の建設者であったフランスの外交官・実業家、フェルディナン・ド・レセップスが初めてである。フェルディナン・ド・レセップスはスエズ運河完成後、パナマ地峡に海面式運河の建設を計画し、パナマ運河会社を設立して資金を募り、当時この地を支配していた、南アメリカ北西部に位置するコロンビア共和国から運河建設権を購入。フランスの主導で1880(明治13)年1月1日に建設を開始したが、黄熱病(発熱と肝障害による黄疸[眼球や皮膚といった組織や体液が黄染した状態]を伴なう熱帯アフリカと中南米の風土病)の蔓延や、工事の技術的問題と資金調達の両面で難航し、1889(明治22)年にスエズ運河会社は倒産し、事実上計画を放棄した。パナマ運河会社の倒産によって、フランスは運河建設から事実上手を引くこととなり、運河建設はアメリカ合衆国によって進められることとなった。太平洋と大西洋に跨る国土を持つアメリカにとって、両洋間を結ぶ運河は、経済的にも軍事的にも必須のものである、と考えられた。当初パナマ地峡は、自治権を持つコロンビア共和国領であったが、パナマ運河の地政学的重要性に注目したアメリカ合衆国は、運河を自らの管轄下に置くことを強く志向し、コロンビア共和国との間で、パナマ運河の建設権、及び運河地帯での行政権を認めるヘイ・エルラン条約を締結した。しかし、コロンビア共和国議会がこれを批准しなかったことから、アメリカ合衆国は地元の独立派の運動家と手を結び、この地域をコロンビア共和国から独立させ、パナマ共和国を成立させて、パナマ運河と運河地帯(運河の中心から両側5マイル[約16km]ずつ)の永久租借権と運河の建設、管理運営権、軍事警察権をアメリカ合衆国に与えるパナマ運河条約を結び、運河の建設権と関連地区の永久租借権等を取得し、建設工事に着手した。パナマ運河は、約10年の歳月を掛けて開通し、長らくアメリカ合衆国による管理が続いてきたが、1999(平成11)年12月31日正午をもってパナマ共和国に完全返還された。現在は、パナマ運河庁(ACP)が管理している。通航量の増大や船舶の大型化の流れを受けて、2006(平成18)年4月に運河拡張計画がパナマ運河庁より提案され、10月に国民投票により実施されることが決定された。総事業費6,000億円で、単独財務アドバイザーをみずほコーポレート銀行(三大メガバンクの1つ、みずほ銀行を中核とするみずほフィナンシャルグループ内で、大企業、多国籍企業や金融機関を担当する銀行と位置付けられていたが、現在は、主に中小企業向け業務や個人向け業務、地方自治体向け業務を担当していた[旧]みずほ銀行を吸収合併して、[新]みずほ銀行となっている)が務めた。この計画は、既存の閘門の近くに、新たに大型の閘門を増設する計画となっており、以前に別ルートとして計画されていた「第2パナマ運河計画」とは別物である。第2パナマ運河計画に関しては、鉄道貨物輸送との競合があり、その採算性から、計画の具体化がなされていなかった経緯があった。しかし、鉄道輸送では賄えない部分も残っているため、既存の運河を拡張する方法により、事業費を圧縮しながらも拡張するため、新たに提示され実施されることになったのが、2016(平成28)年に完成したパナマ運河拡張である。パナマ運河を通過できる船の最大のサイズは、「パナマックスサイズ」と呼ばれている。閘門のサイズにより、通過する船舶のサイズは、全長が294.1m、全幅が32.3m、喫水が12m、最大高が57.91m以下に制限されていたが、2016(平成28)年6月26日の拡張工事完成後は、それぞれ最大全長が366m、全幅が49m、喫水が15.2mまでの航行が可能となり、通過可能船舶の範囲が大幅に拡大した。但し、載貨時の吃水が元々大きいタンカーや鉱石運搬船は対象外で、コンテナ船の内、最も大型の一部も、この新閘門には対応はできないものがある。旅客船については、現在までに計画具体化、或いは建造中のものを含めて全て通航可能で、クルーズ客船の運用に大きな変化を及ぼすものと考えられている(パナマ運河自体が1つの観光資源である)。この新水路は、昇降に用いた湖水を再利用できる設計となっている。パナマ運河には、一部幅の狭い区間があり、船舶が自力で航行できないため、専用の電気機関車を用いて船を牽引する。この機関車には、日本を代表する総合重機械メーカー、川崎重工業製の車両が使用されている(駆動用ギアケースは三菱重工業、インバーター・モーター、及びウィンドラスは東洋電機製造が製造)。別の区間では、船舶や水上構造物を押したり引いたりするための船、タグボート(引船、曳船)が曳航する。この線路は、最大で50%(角度にして約27度)の急勾配があり、その勾配を越えるため、運河の両側にラック式(2本のレールの中央に歯型のレール[歯軌条、ラックレール]を敷設し、車両の床下に設置された歯車[ピニオン]とかみ合わせることで、急勾配を登り下りするための推進力と、制動力の補助とする方式)の線路が敷設されており、両側の機関車からそれぞれワイヤーで引っ張って、船を水路の中央になるように保ちながら牽引する。パナマ運河を航行する船舶は膨大な量で、東西両洋を結ぶため、重要性も極めて高い。この膨大な需要は、運河周辺にさまざまな産業を立地させることになった。建国の経緯から言っても、パナマ共和国はパナマ運河計画があって初めて成立し得た国家であるが、経済的にもその他の面においても、パナマ共和国は、運河に多くを負っている。運河の両端に位置するパナマ市とコロン市には、パナマ共和国の経済活動の約75%が集中しているが、この両市の経済活動のかなりの部分が、運河に直接関係したものや、又は、運河建設による産業基盤整備によって新たに生まれたものである。運河を行き交う船への物資の供給や、船舶の修理用のドック、船員達への商品・サービスの提供、運河の修繕・維持管理等は、運河に直接関係した産業であるが、他にも、運河の両端に整備されたパナマ市のバルボア港や、コロン市のマンサニージョ港は、海運の拠点となっており、中でもマンサニージョ港は、ラテンアメリカ最大のコンテナ港となっている。