2月24日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第4土曜日 旧暦  1月15日、先負(戊午)、月齢 14.2  
グレゴリオ暦で年始から55日目、年末まであと311日。
誕生花 桜草・ツル日々草・クロッカス・アマリリス。

二十四節気・雑節等
満月。
望。月と太陽の黄経差が180°となる日。天文学的満月。旧暦の十五夜とは一致しないことが多い。なお、旧暦八月の十五夜は、「中秋の名月」と呼ばれる。「中秋」という表現は、「秋の中日(ある期間の真ん中に当たる日)」であることから、旧暦8月全体を指す「仲秋」とは区別される。満月 (望) の月齢は、13.9日~15.6日と大きく変化する。旧暦15日は月齢14.0を含む日で、月の満ち欠け周期の半分は約14.8日となるため、平均的には満月 (望) が後になり易いと言える。
霞始めてたなびく。
七十二候の1つ(5候)。

上元(旧暦)。
元々は正月15日の上元、7月15日を中元、10月15日の下元を合わせて「三元」とする中国の習慣が伝わったもの。新暦で計算されることも多いが、ここでは旧暦の月日によった。中国では「元宵節」や「元夕」等と言い、この日を中心に、色取々の灯籠を灯して夜祭を行なった。この日に小豆粥(米と小豆を炊込んだ粥)を食べると、その年の疫が避けられると言われる。日本では、1月15日は小正月に当たった。但し、新暦(グレゴリオ暦)への改暦後の日本では、小正月は新暦1月15日に移動する場合が多い。
クロスカントリーの日。
1877(明治10)年2月24日、クロスカントリーの統一ルールによる初めての大会がイギリスで開催された。クロスカントリー競走は、陸上競技の長距離種目の1つで、森や野原、丘等の起伏や変化に富んだ、整地されていないコースを走ってタイムを競う。競技コースはテープによってはっきり示されている。19世紀後半にイギリスで始まり,欧米では非常に人気がある。距離は男子で7km~14km、女子で2km~6km。オリンピック競技大会においては、1912(明治45)年のストックホルムオリンピック(第5回オリンピック競技大会)で正式種目に採用されたが、1924(大正13)年のパリオリンピック(第8回オリンピック競技大会)が炎天下のレースとなり、倒れる選手が続出したこともあって、この大会を最後に中止となった。1973(昭和48)年から、国際陸上競技連盟主催の世界クロスカントリー選手権が2011(平成23)年までは毎年行なわれ、それ以降は2年に1回行なわれている。クロスカントリー競走は、トラックでもロードでもなく、未舗装でアップダウンがある、時には、丸太や水溜まりを越えて野山を駆け巡る競走で、急勾配が続く本格的な山道を走る訳ではない。本格的な山道を走る場合は、山岳レースやトレイルラン、また、登りばかりで峠や山の山頂をゴールにした場合は、登山競走等と呼ばれる。 
地雷を考える日。
1995(平成7)年2月24日、東南アジアのインドシナ半島南部に位置するカンボジアで、地雷の根絶を訴える集会が開かれた。地雷は、地上、又は地中に設置され、人や車両の接近や接触によって爆発して危害を加える兵器である。古典的な感圧起爆方式では、一定の重量が信管に掛かることによって作動し、爆発することで、通過した人や物を殺傷・破壊することを目的としている。この方式は、構造の単純さから安価かつ信頼性があり、今でも配備・使用される地雷の多くを占める。 対人地雷には、感圧起爆方式の他、ワイヤでピンが抜かれることで爆発するもの(引張式)、赤外線センサ等を使用するものがある。中には、地雷探知機の発する磁気を感知して爆発するものまである。設置方法はさまざまで、人力で設置する、地雷敷設車両や専用ヘリコプターを使って敷設する、航空爆弾やロケット弾等、大型の弾殻の中に入れて遠隔地から散布する等の方法がよく利用される。踏むと瞬時に起爆するものが一般的である。対応する重量によって、対人地雷・対戦車地雷等に分類される。戦乱のあった地域では、一旦地雷が埋設されると残存し、戦争終結後も一般市民への事故(傷害事故だけではなく死亡事故も多い)が後を絶たない。世界では正確な数は不明であるが、未だに「7,000万個とも1億個とも言われる対人地雷が埋設」されていると考えられている。戦後の復興には、安全な土地の保証が欠かせない。その地域の国家が地雷除去の能力に不足する場合等、他国の部隊や非政府組織(NGO)が対人地雷除去を人道援助として行なうことがある。対人地雷だけでなく対戦車地雷でも、放置されることでバスのような民間車両が被害を受けて、多くの人命が失われている。地雷の除去方法は未だに効率が悪く、地雷1個の除去に、その地雷の製造費の100倍は費用が掛かるとされる。また、危険を伴なう人力作業が一般的である。しかし、紛争の傷跡が残る国では失業率が高いことが多く、地雷除去作業は雇用対策としての側面もある。世界的に地雷の問題が注目を集める中で、危険な人力による除去方法の代替となり得る、機械を用いた除去方法が世界各国で研究されているが、貧しい国は機械を購入したり、運用する負担に見合わないと考えることが多く、援助以外での普及は進んでいない。また、機械により物理的な外力で起爆を誘う対人地雷の除去方法は、人手より確実性に劣り、特に、金属要素を殆ど含まなくなった性能向上型では、極めてローテクに属する人手に頼った除去方法以外に有効な手段がない。旧式の地雷は、長年土中に埋まっていることで、金属筐体の腐食や信管/爆薬の劣化といった、経年変化による機能喪失が期待できたが、近代的な地雷では、プラスチックの採用を含む兵器としての性能向上によって、意図的に有効期間を短くしない限り、何十年経っても機能を保ち続けるという特徴がある。日本の政府開発援助(ODA、発展途上国の経済発展や福祉の向上のために行なわれる援助や出資)は、地雷除去を進める非政府組織(NGO)にも「日本NGO支援無償」として資金協力している。また、難民を助ける会が行なう地雷回避教育や被害者の義足作成支援等、日本の非政府組織(NGO)による対人地雷除去を後方から支援する活動も、盛んに行なわれている。また、地雷により皮肉にも義足の需要が急激に増えており、義足等を無料で配布するボランティア等も多く存在している。地雷という語は、「うっかり踏むと爆発する、踏んではいけない」という連想から、色々な場面で「触れてはいけないもの」「禁忌(してはいけないこと)」を表わす喩えとして用いられる。巧妙に偽装され爆発するまで気付かない、仕掛けられてから長期間放置されていたものが突如爆発し、相手に被害をもたらすといった、地雷の特性による喩えもある。
月光仮面登場の日。
1958(昭和33)年2月24日、ラジオ東京(KRテレビ、現在のTBSテレビ)で、国産初の子ども向けテレビ映画『月光仮面』の放送が始まった。月光仮面は、「タケダアワー」(日本の医薬品企業[薬品メーカー]での売上高が1位となっている武田薬品工業[タケダ]の一社提供による番組シリーズ枠で、ウルトラシリーズ[空想特撮シリーズ]の『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』、柔道にSFの要素を取入れた『柔道一直線』等も、この枠で放送されている)第1作で、日本初のフィルム製作による国産連続テレビ映画である。月光仮面は、悪人によって危機に陥った人々の前に、颯爽と現れる正義の味方である。白いターバンと覆面の上に黒いサングラスと白マフラー、白の全身タイツに黒いベルトを着け、裏地に色の付いた白マントを纏い、手袋とブーツを着けている。日本のヒーロー番組の元祖でもあり、時代劇と探偵活劇の要素を組合わせた作風は、その後のヒーロー番組に多大な影響を与えた。作詞家・脚本家・作家の川内康範原作で、主題歌『月光仮面は誰でしょう』の作詞も、川内康範が担当した。子ども達の圧倒的な支持を受け、平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録し、放送期間は、当初の3ヶ月から大幅に延長された。放送時間には、銭湯から子どもの姿が消えたという。『月光仮面は誰でしょう』のレコードは、当時の子ども向け楽曲としては異例の10万枚以上を売上げる大ヒットとなった。1959(昭和34)年まで130回が放送され、1958(昭和33)年からテレビ版の漫画化と、実写映画化がされている。その後、1972(昭和47)年にアニメテレビドラマ化、1981(昭和56)年に実写映画化、1999(平成11)年には、キャラクターを転用したテレビギャグアニメ化もされる等、数多くの作品を残している。