2月21日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

日刊新聞創刊の日(続き)。
大阪の毎日放送(MBS)は、毎日新聞社が、大阪を地盤とする大手私鉄の京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)や、大手電機メーカーの1つである日本電気(NEC)と提携し、新日本放送(NJB)を設立。名古屋の中部日本放送(CBC)と共に民放第1号の名乗りを上げたが、実際に開局に尽力したのは、毎日新聞社本社ではなく、毎日新聞社を依願退職し、新日本放送(NJB)に移籍した高橋信三(専務・社長・会長を歴任)であった、と言われる。このため、毎日放送(MBS)は従来から独自色が強く、現在では、毎日新聞は毎日放送(MBS)の大株主上位10位に名を列ねていない。つまり、在阪局で同じく新聞と共通の名前を持つ朝日放送や讀賣テレビ放送とは、新聞社の関係度合いが異なる事情となっている訳である。日本の新聞の歴史は、紙等が庶民に普及し始めた江戸時代に見ることができる。有名な物では、瓦版(天変地異や大火、心中等、時事性の高いニュースを速報性を以って伝えた情報紙)と呼ばれるもので、亙に文字を彫り込み、凹版印刷の要領で多量に印刷し、作る物である。明治期になると、ヨーロッパ等から活字印刷技術が導入され、インクをローラー等で版の出張った部分だけに付着させて、版に紙をバレン(竹の皮等で作った撚紐を渦巻状にした紙縒りを芯として、大量の紙を重ねて漆を塗った丸皿状の当て皮に当てて、滑りを良くするために、これを竹の皮で包んで作る道具)、又はプレス(版画プレス機)で押付け、紙に写し取るという方法、凸版印刷が主流になる。昭和時代中期に入ると、鉛板に活字を彫り、1枚の板状の凸版印刷となる。昭和時代後期から平成期になると、印刷にコピー機の原理が加わる。レーザーを使用したフィルムプリンターの登場により、新聞紙面大のフィルムに文字を焼付け、現像する。ネガであるため、白抜きの文字になる。作成したフィルムをフィルターとして大型の感光ドラムに照射し、感光ドラム、又は感光フィルム(これらは、感光体と呼ばれる)の表面電位を変化させ、感光体に文字を電位変化という形で作成する。次に、液体トナーと呼ばれるインク物質を感光体に触れさせ、電位変化のあった感光体の文字部分にインクを付着させる。次に、紙と触れさせ転写を行なう。カラー印刷を行なう場合は、4色の色別に印刷機が組合わされる。また、新聞の印刷は、1980年代前半頃までは鉛版を使い、手作業で紙面を製作していったが、1980年代後半以後からは、CTS(コールドタイプシステム)という方式を採用し、紙面作成のイメージをDTP(デスクトップパブリッシング、日本語で卓上出版を意味し、書籍、新聞等の編集に際して行なう、割付け等の作業をパーソナルコンピュータ上で行ない、プリンターで出力を行なうこと)で組立てるようになり、紙面作成・印刷までの時間の大幅な時間短縮にも繋がった。更に、同時期頃まで、全国紙の場合は、主に発行本社が所在する北海道(札幌市)、東京都(千代田区・中央区)、愛知県(名古屋市)、大阪府(大阪市)、福岡県(福岡市・北九州市)か、それに近い近隣府県の印刷工場で印刷を行ない、そこから航空便、船便、鉄道輸送を使って、遠隔地に向けて新聞を配送していたため、遠隔地や離島では、情報格差の開きが懸念され続けたが、1980年代後半以後は、印刷技術向上が進み、地方都市に自社印刷工場を建設したり、或いは、コスト削減の目的で地方紙と提携し、地方紙の印刷工場を使い、電話回線(NTTデジタル回線網)や、通信衛星を使って、現地印刷による紙面発行が可能となり、情報の格差縮小にも繋がっている。特に、日本経済新聞は自社工場の他、地方紙への委託印刷を積極的に進めている。一般紙には、国内全域で販売される全国紙、複数の都道府県を対象にしたブロック紙、1つの県単位で発行される地域密着の地方紙がある。販売方法としては、各地域の新聞販売店からの宅配による月極め販売と、鉄道駅売店、コンビニエンスストア等での1部毎の販売が行なわれ、朝刊と夕刊が発行される場合が多い。一般に、朝・夕刊の1日2回発行する新聞を「セット版」、どちらかのみ(全国紙、一部地方紙等、一般には朝刊のみを指す)を発行するものを「統合版」という。大分県の地方紙『大分合同新聞』のような朝夕刊連続紙も存在し、同紙では、夕刊が配達されない地域は、発行翌日の朝刊と一緒に配達するシステムを採っている。ただ、近年は朝刊だけを購読する家庭が増えてきており(「セット割れ」)、『産経新聞』(東京本社)のように夕刊を廃止した社もある。全国紙では、欧米等の主要な国に紙面が伝送されて、現地で国際版が印刷されており、一部主要都市の書店やホテル等で販売されている。地方新聞の題字(1面)は、その地域の名産品、気候、文化、観光名所等をデザインにあしらったものもある。1日のページ数は、朝刊が20ページから多いものでも40ページ近く、夕刊は8ページから20ページ近くである。但し、大型選挙(参議院、衆議院の国政選挙、或いは統一地方選挙)の開催翌日や年末(12月29日から12月31日)の朝刊は、特別紙面体制の関係で16ページから20ページに縮小(夕刊は、年末年始、12月29日から1月3日と、日曜・祝日は専売紙の一部を除いて休刊)となる。また、年始には、特別に増ページされることが多い。日本は、新聞が最も読まれている国の1つである。その結果、世論の形成に新聞が大きな影響を及ぼすことが多い、と言われる。全国紙等では、配達される地域によって印刷される時間が異なるため、突発的なできごとや、特ダネ、若しくは続報等が入った場合、同じ日によっても違う内容になる場合がある。このため、特別に大きなできごとが発生した場合には、速報のため「号外」を発行して、新聞社に近い繁華街や駅前等の街頭で配ることがあるが、多様なメディアの発達した近年では、新聞に速報性が期待されることは少なくなったため、専らPR活動の一環として、都市部のみで行なわれている。また、ラジオ、テレビ、インターネット等、競合するメディアが展開され、購読者数の減少が危惧される中、テレビ等で紙面を放映し、文章をそのまま読み上げるという形式で、文責を新聞側で担うことで、「間接的」に、他局の意見・主張を批評でき、世論形成に少なからず影響を与え、その存在意義を再認識する場面が認められる。テレビでの朝の情報番組にはよく使われ、夕刊や日曜日では使われない。日本国内で新聞が発行されて間もない頃は、東京や大阪等、大都市圏とその周辺しか販売地域が無く、地方では、新聞はとても珍しいものであった。そのため、地方へ行く者や、地方から来た者の中には、発行されている新聞を、東京の土産品として持帰る人達が大勢いたという。新聞は、小説の発表の場としての役割もあり、連載された小説は「新聞小説」と言われる。多くの場合、挿絵が載っているのが特徴で、連載された小説を切取って綴じることで、1冊の本にすることも可能であり、書籍の購入ができない人にも小説を読む楽しみを与えた。日本を代表する文豪の1人である作家・評論家・英文学者、夏目漱石等の小説は最初、新聞に発表された。「新聞小説」は、作者としても体力の要る仕事であり、江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残した作家、藤沢周平は、「自分の新聞小説の数が少ないのは、主として体力不足が原因」「不思議な面白い発表舞台」と述べている。