2月19日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1674年 - 第3次ウェストミンスター条約が締結され、イングランドとネーデルラント連邦共和国(オランダ共和国)の戦争、第三次英蘭戦争が終結する。 
1771年 - フランスの天文学者、シャルル・メシエが楕円銀河M49を発見する。M49は、おとめ座にある、かなり潰れた楕円銀河で、地球からの距離は、約6,000万光年とされる。このM49の発見を契機として、おとめ座から、かみのけ座にかけての、おとめ座銀河団に属する銀河が、10個以上立続けに見付けられている。なお、楕円銀河は、渦巻銀河、レンズ状銀河と共に、ハッブル分類(アメリカの天文学者、エドウィン・ハッブルが提唱した、銀河をその形態によって分類する方法)における主要な3つの銀河分類の内の1つである。滑らかな、およそ楕円形の形状を持ち、表面輝度(天文学で、銀河や星雲等の広がりを持った天体の明るさを表わすために用いられる概念)に殆ど特徴がない。球形に近い形から非常に扁平なものまであり、内部に1,000万から1兆個以上の星を含む。エドウィン・ハッブルは当初、楕円銀河が渦巻銀河へ進化すると考えていたが、後に、これは間違いであることが分かっている。楕円銀河内の星は、渦巻銀河のものよりも非常に古いことが知られている。 
1819年 - イギリス人の航海者、ウィリアム・スミスが、サウス・シェトランド諸島を発見する。南アメリカ南東部に位置するアルゼンチンの首都ブエノスアイレスから、南アメリカ南西部に位置するチリの首都サンティアゴに近い港町、バルパライソへ向かう途中に、ウィリアム・スミスはよい風を捉えようと、チリ最南端で南アメリカ最南端、ホーン岬のかなり南を通り、西経62度で陸地を発見する。ウィリアム・スミスは、その諸島を、スコットランドの北のシェトランド諸島に因んで、サウス・シェトランド諸島と名付けている。 
1833年 - マルディグラ(カトリック系ヨーロッパ社会で始まった、年に1度の民衆的祝祭、謝肉祭[カーニバル]の最終日)となるこの日、フランスの詩人・作家、ヴィクトル・ユーゴーが、女優ジュリエット・ドルーエと愛人関係になる。 
1846年 - テキサス併合: テキサス共和国(現在のアメリカ合衆国南部、テキサス州とその周囲の地域が独立して短期間存在した共和国)が、アメリカ合衆国南部、テキサス州に主権を公式に移管する。 
1861年 - ロシア皇帝アレクサンドル2世が農奴解放令を発令。ロシア帝国で農奴制(農民は自身が耕す土地に拘束され、賦役、貢納といった義務を果たす制度)が廃止となり、農民は自由を得ることとなるが、農民にとっては高額な償却費用が必要となったり、解放後も事実上共同体に縛り付けられる等、不十分な形に終わる。
1865年 - 長崎に大浦天主堂が完成する。フランス人の礼拝堂として建設された大浦天主堂は、長崎市中心部の南側、長崎市南山手町にあるカトリックの教会堂で、日本最古の現存するキリスト教建築物である。正式名は「日本二十六聖殉教者堂」。その名の通り、日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。1945年8月9日、長崎市への原爆投下によって破損したが、爆心地から比較的離れていたため、倒壊・焼失は免れる。1953年には国宝に指定され、2007年に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。2016年には、日本初の「小バシリカ」(ローマの教会、及び、ローマ教皇との特別な絆を表わす、歴史的、芸術的、典礼・司牧的に重要な特定の教会)に指定されている。観光客の増加に伴ない、1975年には、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行なわれている。建立間もない大浦天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさと物珍しさから、付近の住民達が多数見物に訪れていて、フランス出身のベルナール・プティジャン神父には、「今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないか」という僅かな期待があったという。1865年3月17日(元治2年2月12日)、長崎市北部に位置する浦上の住民十数名が天主堂を訪れたが、その内の40歳から50歳位の女性が、祈っていたベルナール・プティジャン神父に近付き、「私どもは神父様と同じ心であります(宗旨が同じです)」と囁き、自分達がカトリック教徒であることを告白する(この女性の名は、イザベリナ杉本百合と言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから、間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分達が迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきた、いわゆる隠れキリシタンである事実を話し、ベルナール・プティジャン神父を喜ばせる(信徒発見)。その後、ベルナール・プティジャン神父は、密かに浦上や五島(九州の最西端、長崎港から西に約100kmに位置する、大小合わせて140余りの島々が連なる列島)等に布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努め、浦上だけでなく、長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が、秘密裏に信仰を守り続けていたことが分かり、この「信徒発見」のニュースは、やがて当時の第255代ローマ教皇ピオ9世の下にもたらされる。ローマ教皇ピオ9世は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。ベルナール・プティジャン神父は、1868年には日本代牧区司教に任命され、1873年にキリシタン禁制が解かれると、長崎を拠点に、キリスト教布教や日本人信徒組織の整備と日本人司祭の養成、教理書や各種出版物の日本語訳等に力を注ぐ。1884年に長崎市大浦で死去し、大浦天主堂内に埋葬されている。 
1877年 - 日本が万国郵便連合(UPU)に加盟する。 
1878年 - アメリカの発明家、トーマス・エジソンがレコードプレーヤー(フォノグラフ)の特許を取得。 
1890年 - 三重県伊賀市の柘植駅から滋賀県草津市の草津駅に至る関西鉄道草津線が全通。草津線は、旧東海道沿いに大津と名古屋を結ぶ鉄道を計画した、関西鉄道の最初の路線で、現在の西日本旅客鉄道(JR西日本)草津線の前身となる。路線距離は36.7km。沿線の鉄道構造物(駅の歩廊、立体交差部等)は、明治期の早い時期に敷設されたものが、現在に至っても使用されているものもあり、その構造や装飾等に、草津線の前身の関西鉄道の社印を残す等、意匠に富んだものを散見することができる。 かつては、途中駅の三雲駅や貴生川駅で貨物営業を行なっており、また、東海道新幹線の開業前は、関西本線と結んで、東海道本線のバイパス的役割も担っていたため、関西本線と東海道本線を結ぶ貨物列車も多数運転されていたが、現在では、貨物営業をする駅も貨物列車の運転もない。なお、関西鉄道は現在、東海旅客鉄道(JR東海)と西日本旅客鉄道(JR西日本)が保有する関西本線・草津線・片町線・紀勢本線・桜井線・和歌山線・奈良線・大阪環状線の前身となる私鉄で、旅客サービスや車両技術において、先進的な試みを行なったことでも知られるが、この背景として、日本の鉄道技術の先駆者と言われる島安次郎が、初期に技師として関西鉄道に在職していたことが挙げられる。関西鉄道は、一地方のみの路線であるため、国有化を除外されたい、との請願書を出したが、政府に受入れられず、1906年公布の「鉄道国有法(明治39年3月31日法律第17号)」により、1907年10月1日に国有化される。
1915年 - 第一次世界大戦: ガリポリの戦いが始まる。