2月17日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

中部国際空港開港記念日。
2005(平成17)年2月17日、中部国際空港が開港した。中部国際空港は、愛知県西部、知多半島西岸の中央部に位置する、常滑市沖の伊勢湾海上の人工島にある国際空港であり、「空港整備法(昭和31年4月20日法律第80号)」(「空港整備法及び航空法の一部を改正する法律[平成20年6月18日法律第75号]」により名称が「空港法」に変更)第4条1項で法定された拠点空港(ハブ空港、国際航空輸送網、又は国内航空輸送網の拠点となる空港)である。運用時間は24時間で、滑走路は3,500m。愛称のセントレア(Centrair)は、英語で「中部地方」を意味する"central"と、「空港」を意味する"airport"を組合わせた造語で、一般公募の中から選ばれている。商標として登録されており、空港内の施設の名称や空港島の地名にもなっている。また、英語での正式名にも使用されている(日本初)ことから、航空交通管制における中部国際空港の呼出名称にも使用されている。この空港は、航空会社の活動を支援し、業界の方針や統一基準制定に寄与している国際航空運送協会(IATA)より、混雑空港として、国内の関西国際空港、新千歳空港と共に、レベル2の指定を受けている。I国際航空運送協会(IATA)空港コードは「NGO」で、開港前に名古屋空港(通称:小牧空港)で使われていたものを継承している。中部国際空港は、イギリスに拠点を置く航空業界の格付会社、スカイトラックス社の空港総合評価調査において、空港施設・空港スタッフ等によるサービス提供レベルが世界最高水準である「5スターエアポート(THE WORLD'S 5-STAR AIRPORTS)」として認定されている(「5スターエアポート」認定空港は、中部国際空港を含め世界に7空港ある)。建造物の評価では、「中部国際空港旅客ターミナルビル」が、そのユニバーサルデザイン(文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる、施設・製品・情報の設計[デザイン])の実践等が評価され、2005(平成17)年度のグッドデザイン賞(建築・環境デザイン部門 - 建築デザイン)受賞作品となっている。2015(平成27)年度での空港別乗降客数国内順位は、国際+国内:8位、国内:8位、国際:4位であった。2005(平成17)年3月25日から同年9月25日まで、長久手会場(愛知県愛知郡長久手町[現:愛知県長久手市]と、愛知県豊田市に跨る場所)、及び瀬戸会場(愛知県瀬戸市)の2会場で開催された博覧会、2005年日本国際博覧会(「愛知万博」「愛・地球博」)の開催に合わせて開港し、開港した2005(平成17)年度の年間利用客数約1,200万名超をピークに、2008(平成20)年のリーマン・ショック(アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが経営破綻したことに端を発して、連鎖的に世界的金融危機が発生した事象)に加え、2010(平成22)年に日本航空が「会社更生法(平成14年12月13日法律第154号)」の適用を受けた等の影響による路線縮小・撤退が相次ぎ、底となった2011(平成23)年度は900万名を割っていたが、格安航空会社 (LCC)の就航や訪日外国人旅客の増加により回復傾向にある。愛知県名古屋市の中心から北へおよそ15kmの濃尾平野北東部、愛知県西春日井郡豊山町、愛知県小牧市、愛知県春日井市、愛知県名古屋市(北区)の3市1町に跨る名古屋空港は、21世紀初頭には空港容量が限界に達すると予測されたが、市街地に立地する空港のため、更なる空港拡張が困難であることや、航空機騒音のために空港利用時間の制約があり、国際拠点空港として持つべき機能である「24時間フル運用ができること」という必須要件が実現できないことから、今後更に増大する航空需要に対応するためには、24時間利用可能な新たな空港の建設が必要と考えられた。中部国際空港は、21世紀の中部圏等の航空需要に対応するため、「第7次空港整備五箇年計画」で成田国際空港、関西国際空港に続く国際拠点(ハブ)空港として位置付けられ、中部国際空港株式会社、及び愛知県企業庁が、愛知県常滑市沖の伊勢湾の海域の一部を埋立て、人工島等を造成し、空港用地、地域開発用地等を整備した。空港建設事業については、1999(平成11)年7月に環境影響評価の手続きが完了し、2000(平成12)年6月の「公有水面埋立法(大正10年4月9日法律第57号)」に基づく免許が中部国際空港株式会社等に与えられた後、2000(平成12)年8月に着工し、2005(平成17)年2月に開港した。空港の設置・運営は、政府指定の特殊会社である「中部国際空港株式会社」が行なう。着工に入る前頃まで、「中部地域の新しい国際空港」の意味を込めて「中部新国際空港」と呼ばれていたこともあった。日本で初めて、民間の主導で開発された空港で、国内海上空港の先駆けである関西国際空港建設後に問題となった、空港島沈下の問題や建設費の高騰等の教訓を存分に考慮し、後発の強みを全面的に活かして建設された。埋立地の面積は、約5.80平方km(南北約4.3km、東西約1.9km)、その内、空港部分は約4.73平方kmで、残り約1.07平方kmは、愛知県企業庁が地域開発用地として、空港対岸部の約1.30平方kmと共に造成した「中部臨空都市(りんくう常滑駅を含む)」である。空港対岸部で、前島と呼ばれる、知多半島側の新規埋立地には、明太子のテーマパーク「めんたいパークとこなめ」(2012[平成24]年12月開店)、会員制倉庫型店の大型ディスカウントストア「コストコ」(2013[平成25]年8月開店)、大規模ショッピングモール「イオンモール常滑」(2015[平成27]年12月開店:外国人旅行者向けの免税対応が可能)等が出店している。2007(平成19)年8月の関西国際空港二期工事限定供用後は、成田国際空港、及び関西国際空港が、それぞれ滑走路2本となっているのに対し、中部国際空港は滑走路1本で、競争条件として不利であると、中部国際空港株式会社や地元財界は考えており、2本目滑走路整備事業の実現を求めている。2015(平成27)年初頭頃から、中国からの日本観光ブームも追い風となって、国外格安航空会社(LCC)の本格進出が始まり、日本の中部北陸9県の自治体、観光関係団体、観光事業者等が協働して、国内外への広報活動を行なっており、徐々に認知度を高めることに成功している三重県の伊勢神宮や、岐阜県の飛騨高山等への南北観光ルートをイメージした中部北陸圏広域観光プロジェクト「昇竜道」構想具体化の時期が重なり、中部国際空港から日本に入国する外国人入国者数は増加しており、建設工事着工が延期されている新ターミナルと併せて、第2滑走路建設の早期建設の必要性を指摘する業界団体も存在するという。
安吾忌。
作家・評論家・随筆家、坂口安吾の忌日(1955[昭和30]年2月17日)。この日には、東京都千代田区一ツ橋にある如水会館(一橋大学の同窓クラブ「如水会」の同窓会館として、1919[大正8]年に建設された、レストランや宴会場を備えた会館)や、新潟市の墓前で「安吾忌」が行なわれる。現在の新潟市中央区生まれで、脳出血により、48歳で没した坂口安吾は、昭和時代前半に活躍した近現代日本文学を代表する作家の1人で、純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆等、多彩に活動した。第二次世界大戦前はファルス(笑劇)的ナンセンス作品の短編小説『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、第二次世界大戦終戦直後に発表した随筆・評論『堕落論』と短編小説『白痴』によって時代の寵児となり、反俗・反権威・反道徳的言動で時代を象徴することになった無頼派、或いは新戯作派と呼ばれる作家の1人として地歩を築いた。歴史小説では、豊臣秀吉の側近として仕えたことで有名な武将、黒田如水(黒田孝高、黒田官兵衛)を主人公とした中編小説『二流の人』、推理小説では長編小説『不連続殺人事件』が注目された。坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、作家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは、器用な作家とは言えないが、その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹通っている、「がらんどう(何も無い状態)」のような風格の稀有な作家、と言われている。