2月13日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1980年 - レークプラシッドオリンピック(第13回オリンピック冬季競技大会)開催。2月24日まで。開催都市は、アメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州にあるリゾート地、レークプラシッド。1932年のレークプラシッドオリンピック(第3回オリンピック冬季競技大会)開催地であるレークプラシッドでは、2度目のオリンピック冬季競技大会開催となる。冬季オリンピック史上初めて、中華人民共和国が出場している。スピードスケート男子では、アメリカのエリック・ハイデンが5種目(500m、1,000m、1,500m、5,000m、10,000m)完全制覇の偉業を達成する。日本人選手では、ノルディックスキージャンプ70m級で、八木弘和が2本共に安定したジャンプを披露して銀メダルを獲得する。
1983年 - 太平洋中央部の洋上にあるアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市で開催されたハワイアン・オープン(現:ソニーオープン・イン・ハワイ)で、青木功が日本人初のアメリカPGAツアー(アメリカの基幹ツアートーナメント)優勝を果たす。千葉県我孫子市出身の青木功は、尾崎将司、中嶋常幸と共に「AON (エーオーエヌ)」と呼ばれる、日本を代表する名ゴルファーの1人である。日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位で、日本プロゴルフツアー永久シード保持者である。2016年から、日本のプロゴルフツアーの試合について主催・主管を行なっている組織、一般社団法人日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長を務めている。ハワイアン・オープン優勝は、最終日・最終ホールでピンまでの距離128ヤードのショットでチップインイーグルを決めて、2位に1打差の勝利であったが、1打差でリードしたままホールアウトしたジャック・レナーが、スコアカードを提出している最中の奇跡の逆転となる。同ショットはアメリカで、80年代を代表する印象に残るショットの1つに選定されており、このショットで使用したパワービルト(アメリカのスポーツ用品メーカー、H&B社のブランド)PWピッチング・ウェッジは、世界ゴルフ殿堂の施設内に展示されている。なお、128ヤードは、勝利の翌日青木が歩測して確認した数字であり、翌日、同じ場所から同じクラブで、何度打ってもバンカーに捉まり、グリーンに届かなかったという。青木功は、非常に自己流に徹しているゴルファーとも呼ばれ、パッティングスタイルと共に、通常のショットにおいても個性的である。外見的な特徴としては、深い前傾姿勢とベタ足の2点が挙げられる。実際に打球する際には、腕に意識を多く置くリストターン打法であり、本人は「ボールを直接打つのはクラブで、それを握るのは手なんだよ。多くのプロは体を回すことに重きを置いているが、俺のやり方は違う。」と述べている。メタルドライバーは自身の打法に合わなかったため、殆ど使用しなかったが、チタンドライバーが世に出ると、打法を変えることなく使えたため、すぐに実戦で使用するようになっている。但し、パーシモンドライバー(柿の木をヘッドに使っているドライバー)時代に比べると、フェースローテーションを抑えているとされる。尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功は、これまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの1人で、気さくで開けっ広げな性格で知られる。アメリカツアー参戦後も英語が上手く話せないながら、笑顔やボディランゲージを含めて、多くの選手らにどんどん話掛け、多くの人々と友人になれたという。
1984年 - 2月9日に死亡したソビエト連邦共産党書記長(ソビエト連邦の最高指導者)ユーリ・アンドロポフの後任に、急激な変化を嫌う既成勢力を背景とするコンスタンティン・チェルネンコ政治局員が就任する。
1985年 - 「風俗営業等取締法の一部を改正する法律(昭和59年8月14日法律第76号)」が施行される。1948年、「風俗営業取締法(昭和23年7月10日法律第122号)」として制定された、通称「風営法(風俗営業法)」は、1959年4月1日に「風俗営業等取締法」と題名改正され、この日に施行された大幅な改正法により、題名が「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」となる。営業時間は午前0時までとされ、対象業種が拡大する。
1985年 - 東京と愛知で青酸入りの菓子を発見。一連のグリコ・森永事件で、実際に毒物入りの菓子がばら蒔かれた最後の事件となる。 
1988年 - カルガリーオリンピック(第15回オリンピック冬季競技大会)開催。2月28日まで。開催都市は、カナダ西部、アルバータ州にあるカナダ有数の世界都市でリゾート都市でもあるカルガリー。ノルディックスキージャンプでは、フィンランドのマッチ・ニッカネンが大活躍、個人戦の70m級、90m級だけでなく、団体戦もフィンランドチームで金メダルを獲得して、ジャンプでは史上唯一の三冠に輝く。ボブスレー競技4人乗りに、国内に競技施設を持たず、雪も降らない南北アメリカ大陸に挟まれたカリブ海地域の洋上にあるジャマイカチームが初参加し、このエピソードから映画『クール・ランニング』が制作される。スピードスケート男子500mでは、前回サラエボオリンピック(第14回オリンピック冬季競技大会)で10位に終わった黒岩彰が、3位に入り悲願の銅メダルを獲得。スピードスケートの種目では、日本人選手としてサラエボオリンピック(第14回オリンピック冬季競技大会)での北沢欣浩(2位・銀メダル)に次ぐ2人目のメダリストとなる。公開競技のショートトラックスピードスケートでは、獅子井英子が女子3,000mで金メダルを獲得する。 
1989年 - リクルート事件: 東京地方検察庁特別捜査部(東京地検特捜部、独自の捜査権限を有している検察庁の中でも、大規模事件等、集中的に捜査を行なう必要がある案件に取組む機関として存在している検察庁の一部門)が、人材派遣、販促メディア、人材メディア等のサービスを手掛ける企業、リクルートの前会長江副浩正ら4名を逮捕する。 
1989年 - 大阪市の北区と大淀区が合区して現在の北区、東区と南区が合区して中央区が誕生する。 
1995年 - イギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズの「フェルマーの最終定理」の証明に誤りがないことが確認され、360年に亘る歴史に決着が付く。「フェルマーの最終定理」はフランスの弁護士で数学者、ピエール・ド・フェルマーが驚くべき証明を得たと書残したと伝えられ、長らく証明も反例もなされなかったことから「フェルマー予想」とも称されたが、360年後にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、「ワイルズの定理」、或いは「フェルマー・ワイルズの定理」とも呼ばれるようになる。 
2000年 - 阪神間(大阪市と神戸市に挟まれた地域)を舞台とし、食品会社を標的とした一連の企業脅迫事件、グリコ・森永事件の全ての事件が時効を迎える。 
2000年 - 前日の作者であるアメリカの漫画家チャールズ・M・シュルツの死去により、新聞掲載漫画『ピーナッツ』(日曜版)の連載が終了。 
2005年 - 岐阜県中津川市が岐阜県恵那郡の6町村と長野県木曽郡山口村を編入。46年振りの越県合併となる。 
2007年 - 馬英九が、翌年の総統選挙出馬のため中国国民党主席を辞任。 
2008年 - オーストラリア首相ケビン・ラッドが、オーストラリアの先住民であるアボリジニと盗まれた世代(オーストラリア政府や教会によって家族から引離された、オーストラリア・アボリジニ等の混血の子供達を指すために用いられる言葉)に対して政府として初めて公式に謝罪する。 
2016年 - 神奈川県海老名市から静岡県を経由し愛知県豊田市へ至る高速道路、新東名高速道路の浜松いなさJCT - 豊田東JCT間(55.2km)が開通。 
2017年 - 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の最高指導者、金正恩の異母兄である金正男が、東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする国、マレーシアの空の玄関口、クアラルンプール国際空港で暗殺される。
2018年 - 初の永世七冠(永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖)を達成した将棋棋士、羽生善治と、囲碁界、及び将棋界を通して、史上初の2度の七冠達成者であり、史上初の年間グランドスラム(その年の七大タイトルを全て独占)達成者となった囲碁棋士、井山裕太に、国民栄誉賞が授与される。
2021年 - 2021年の福島県沖地震。深さ約60kmの福島県沖を震源として、マグニチュード(M)7.3の地震が発生。2011年に発生したマグニチュード(M)9.0の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の余震とされ、宮城県と福島県で最大震度6強(烈震)を観測する。また、東日本の全域で、長周期地震動(ゆっくり繰返す長い周期の地震動)が長く続く。
2021年 - イタリア閣僚評議会議長(首相)に、欧州中央銀行(ユーロ圏20ヶ国の金融政策を担う中央銀行[金融システムの中核となる機関])第3代総裁でもあった経済学者・銀行家・政治家、マリオ・ドラギが就任。