2月4日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2024年 令和6年 平成36年 
昭和99年 大正113年 明治157年 皇紀2684年 干支 甲辰(きのえ たつ)
第1日曜日 旧暦 12月25日、赤口(戊戌)、月齢 23.6 
グレゴリオ暦で年始から35日目、年末まであと331日。
誕生花 ヒトリシズカ・ボケ・サクラソウ(赤)。


二十四節気・雑節等
立春。
二十四節気の1つ、旧暦正月節気。太陽黄経が315度を含む1日で、春の初め。『暦便覧』には「春の気たつをもつてなり」と記されている。冬至と春分のほぼ中間に当たり、昼夜の長短を基準に季節を区分すると、この日から立夏の前日までが春となる。九州等、暖かい地方では梅が咲き始める。暦の上では「春」になるが、実際には余寒が厳しく、大寒と共に、最も寒い時節でもある。立春の前日は節分である。立春は、雑節(二十四節気・五節句等の暦日の他に、季節の移り変りをより適確に掴むために設けられた、特別な暦日)の起算日(第1日目)となっていて、立春から数えて88日目を八十八夜、210日目を二百十日、220日目を二百二十日と呼ぶ。また、立春以降、初めて吹く南よりの強風を春一番と呼ぶ。桜の開花時期には、立春からの最高気温の合計が540℃という概算法がある。立春の早朝、禅寺では門に「立春大吉」と書いた紙を貼る習慣がある。立春は旧暦1月1日、という勘違いがあるが、殆どの場合は正しくない。旧暦1日は必ず朔(新月)であるが、立春は朔に関係なく定められるため、多くの年は旧暦1日にならない。但し、約30年に1度、立春が朔と重なり、旧暦1月1日になる年があり、これを朔旦立春と称する。近年では、1954(昭和29)年と1992(平成4)年が該当し、次は2038(令和20)年と予測される。暦注(こよみに関する書物である暦本に記載される諸種の注記)の日取りを節月によるもの、即ち、二十四節気の節気からの干支や日数で決めるものである節切りにあっては、立春が年初となる。四柱推命や風水等の占いでは、節分までは前年に属し、立春をもって年が改まるとしているものが多い。節分の豆撒きは立春を年初として、新しい年の幸運を願っての昔からの習慣である。二十四節気の「立春」は、『暦便覧』では「春の気たつをもつてなり」とされるが、時候的な解説では、「大寒から立春までは一年の内で最も寒い季節であり、立春を過ぎると少しずつ寒さが緩み始め、春の気配が忍び入ってくる」とされるのが一般的である。ただ、注意が必要なのは、このような気象的事象の故に「立春」が定められたのではなく、冬至から春分への中間点として、暦法上の要請から定められたもの、ということである。春の区分は、西欧では習慣的に暑くも寒くもない季節、つまり、春分から夏至までを「spring」とするのに対し、古代中国では昼夜の長短のピークとなる二至(夏至、冬至)と、昼夜の長さがほぼ同じとなる二分(春分、秋分)を各季節の中心とし、これらの中間に各季節の区切りとして四立(立春、立夏、立秋、立冬)を設けた。従って、両者の季節の区切りは約1.5ヶ月ずれていることになる。なお、日本の気象庁では、3月から5月が春、6月から8月が夏、9月から11月が秋、12月から2月が冬としている。
東風凍を解く。
七十二候の1つ(1候)。 


銀閣寺の日。
1482(延徳元)年、室町幕府第8代将軍足利義政が、慈照寺の造営に着手した。慈照寺は、現在の京都市左京区に所在する臨済宗相国寺派の寺院で、相国寺の境外(けいがい)塔頭(禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた庵等の小院)である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。足利義政が鹿苑寺(現在の京都市北区にある臨済宗相国寺派の寺院)の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は、銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる。「古都京都の文化財」の一部として、国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣(現在の京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山である寺院、西本願寺の境内に所在する楼閣建築)と合わせて京の三閣と呼ばれる。山号は東山(とうざん)で、開基(創立者)は足利義政、開山は鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧、夢窓疎石とされている。夢窓疎石は、実際には慈照寺創建より約1世紀前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という。足利義政は1473(文明5)年に次男の足利義尚(室町幕府第9代将軍)に将軍職を譲り、1482(文明14)年から東山の月待山麓に東山山荘(東山殿)の造営を始めた。この地は、応仁の乱(将軍家を始めとする室町幕府勢力の内乱)で焼亡した浄土寺のあったところであり、近代以降も京都市左京区浄土寺の地名が残っている。当時は、応仁の乱が終了した直後であり、京都の経済は疲弊していたが、足利義政は庶民に段銭(臨時の税)や夫役(労役)を課して東山殿の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていた。造営工事は足利義政の死の直前まで8年に亘って続けられたが、足利義政自身は山荘の完成を待たず、工事開始の翌年である1483(文明15)年には東山殿に移り住んでいた。東山殿には会所、常御所、釣秋亭、竜背橋、泉殿、西指庵、漱せん亭、超然亭等の大規模な建物が建ち、足利義政の祖父である室町幕府第3代将軍足利義満が建てた北山殿(後の鹿苑寺)程ではないが、ある程度は政治的機能も持っていた。但し、現存する当時の建物は、銀閣と持仏堂(日常的に礼拝する仏像である念持仏を安置する堂)として建てられた東求堂のみである。1490(延徳2)年2月、同年1月に死去した足利義政の菩提を弔うため、東山殿を寺に改め、相国寺の末寺として創始されたのが慈照寺である。慈照寺観音殿(銀閣)は木造2階建ての楼閣建築で、慈照寺境内、錦鏡池(きんきょうち)の畔に東面して建つ。屋根は宝形造、杮葺きで、屋頂に銅製鳳凰を置く。鹿苑寺舎利殿(金閣)が文字通り金箔を張った建物であるのに対し、銀閣には銀箔は張られておらず、張られていた痕跡もない。金閣に準えて、慈照寺観音殿が銀閣と呼ばれるようになったのは、江戸時代以降のことである。銀閣寺西の今出川通銀閣寺橋を北端とする哲学の道は、京都市左京区にある琵琶湖疏水分線に沿った歩道である。春は桜、初夏は木々の緑、秋は紅葉と、四季折々に景色が変化する自然の美しい区間で、京都で最も人気のある散歩道として訪れる人が多く、桜の季節や紅葉の季節には、多くの観光客で賑わう。哲学の道は元々、1890(明治23)年に琵琶湖疏水が完成した際、管理用道路として設置された道である。当初、芝生が植えられている程度の道であったが、ここを歩いて通行する人々が増えていった。明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。その後、京都大学の哲学者、西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」と言われたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」等と呼ばれた。1972(昭和47)年、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まり、その名前で親しまれるようになった。哲学の道の桜は、近くに居を構えた日本画家、橋本関雪とその妻、よねが1921(大正10)年、京都市に300本の桜の苗木を寄贈したことに始まる。寄贈の経緯は、画家として大成した橋本関雪が、京都に対する報恩を考えた際に、よね夫人が桜を植えてはどうかと発案をしたためで、当初の木はほぼ樹齢が尽きたと思われるが、佐野藤右衛門(現在の京都市右京区の嵯峨野にある造園業「植藤」の当主が襲名する庭師の名跡で、当代は第16代)らの手により植え替えられ、手入れされて、現在に至っている。代替わりをした今でも桜並木の名称として、「関雪桜(かんせつざくら)」と呼ばれている。哲学の道は、付近に神社仏閣が多数点在していることから、これらを巡る散策路にも利用されている。
高齢者安全入浴の日。
東京都中央区日本橋室町に所在し、高齢者に対して適切な入浴指導を行なう一般社団法人、高齢者入浴アドバイザー協会が制定。冬場になると入浴に関わる死亡事故が増えることから、高齢者に安全に入浴することを意識してもらう日。日付は、いつまでも元気な「不老不死」を、風呂での死亡事故の無い「風呂不死」とかけて、その「不死(ふ[2]し[4])」と、「入浴(にゅう[2]よ[4]く)」と読む語呂合わせで2月4日に。また、2月4日は立春の頃であり、暦の上の1年の始まりの時期に当たることから、今年1年安全な入浴を、との願いも込められている。高齢者入浴アドバイザーは、2016(平成28)年3月に設立された、一般社団法人高齢者入浴アドバイザー協会によって実施されている民間資格である。日本では、これから急速に高齢化が進み、約40年後には、国民の約2.5人に1人が65歳以上、約4人に1人が75歳以上という、世界でも類をみない超高齢化社会が訪れると予想されている。現在、厚生労働省の発表によると、高齢者の入浴に係わる死亡者数は、年間約19,000名と推定されており、特に、家庭での溺死者数は4,866名(2014[平成26]年)と、この10年間で約1.7倍に増加している。これは、交通事故で死亡する人の約4倍以上という数字で、あまり一般的には知られていないものの、大きな社会問題とされる。最近では、高齢者の入浴に係わる死亡事故の研究が進んでおり、脱衣所や浴室の温度、湯の温度、入浴時間、入浴方法等、事故の危険を回避できそうなポイントが明らかになりつつある。そこで、高齢者の入浴に係わる事故を減らすために、分かり易く、誰もが実践できるプログラムとして世間に定着させる、ということを目的に、高齢者入浴アドバイザーの資格が創設された。一般社団法人高齢者入浴アドバイザー協会は、「高齢者の安全入浴に関する教本」を出版しており、「高齢者の安全入浴に関する教本」では、高齢者が入浴事故を起こす原因とは何なのか、その理由を読み解き、それに応じた対策、入浴方法はいかにすべきか、さらに、それでも事故が起きた場合、どのような対応を取るべきか等、考えられるあらゆる状況を網羅しており、また、高齢者入浴アドバイザー資格認定テストに関する情報も掲載している。