2月2日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

二日灸、如月灸。
この日に灸をすえると倍の効能となり、その年を無病息災で過ごせるという。元は旧暦2月2日の行事。俳句等の春の季語で、「春の灸」とも称する。旧暦2月2日だけではなく、旧暦8月2日にも灸をすえる習わしがあり、こちらも俳句等の秋の季語となっている。元々は、節句の行事であったとされ、子どもに灸をすえる風習が残る地域もある。なお、8月9日の「8」と「9」で、「鍼(はり[8、八])灸(きゅう[9、九])」の語呂合せから、社団法人全日本鍼灸(しんきゅう)マッサージ師会が、鍼灸マッサージの普及のために制定した「ハリ・灸・マッサージの日」は、8月9日とされている。鍼灸とは、身体に鍼や灸を用いた刺激を与えることで、多様な疾病への治療的な介入や、健康増進を目指す医療技術である。中国医学系伝統医学で用いられる治療法の1つで、補完・代替医療と見做されることもある。身体へ加えた様々な物理刺激による、治療的経験則の数世紀に亘る集積を、技術論として構築した技法が「鍼灸」であり、近世まで、生薬方と共に、東アジア各国の主要な医療技術として発展した。特に、17世紀から19世紀の日本において、鍼灸は独自の発展を遂げ、現在世界的に活用される鍼灸技法の基盤を形成した。
国際航空業務再開の日。
1954(昭和29)年2月2日、第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により禁止されていた日本の航空機が、再び世界の空を飛び始めた。再開したのは日本航空である。日本航空は、大型レシプロ旅客機ダグラスDC-6B型機(36人乗り)を使用し、東京(羽田空港) - (給油のためウェーク島[北太平洋、南鳥島(マーカス島)の東南東約1,400kmに位置する、アメリカ合衆国領の環礁]を経由) - ホノルル(太平洋中央部の洋上に位置するアメリカ合衆国ハワイ州の州都) - サンフランシスコ(アメリカ合衆国西部、カリフォルニア州に所在)線に就航した。これは第二次世界大戦後、日本の航空会社による最初の国際線定期便であり、海外旅行が身近ではなかった時代の週2便での路線開設で、当時はファーストクラスのみの客室であった。ホノルルまでの運賃は片道515ドル(185,400円、1ドル = 360円、現在の貨幣価値に換算すると約6,500,000円程度)、飛行時間は、経由時間を含め18時間以上で、第1便の乗客は21名。運航開始当初は、新鋭機を揃え、しかも、長年の実績があり信頼性の高い、パンアメリカン航空(1991[平成3]年に会社破産し消滅)やノースウェスト航空(現在はデルタ航空の子会社)、英国海外航空(現在のブリティッシュ・エアウェイズ)との競争に苦戦した。機数が少なく、よく出発到着が遅れたため「Just Always Late(いつも遅れる)」と揶揄された。第二次世界大戦後直ぐということもあり、「神風パイロットが操縦するのか」と罵倒される等、殆どが乗客数1桁で、2桁になると大喜びという有様であった。社員は必死のイメージ回復戦略を行ない、さらに、1954(昭和29)年2月には、航空会社の活動を支援し、業界の方針や統一基準制定に寄与している国際航空運送協会(IATA)の決定により、これまでのファーストクラスに合わせて、エコノミークラスの設置が許可された上に、ニューヨーク、サンフランシスコ、ホノルルやロサンゼルス等、アメリカの主要都市に相次いで営業所を開設して、1955(昭和30)年度には国際線、国内線とも黒字に転じた。1965(昭和40)年1月20日、第二次世界大戦後の日本の航空会社として、初の国際線の運航を開始していた日本航空は、海外団体旅行の「ジャルパック」を発売した。高度経済成長(飛躍的に経済規模が継続して拡大することで、好景気時の実質経済成長率が約10%以上となった)による外貨獲得高が伸びたため、第二次世界大戦後以降の日本人の海外渡航制限が1964(昭和39)年に解除されたことを受けて、日本初の海外パッケージツアーブランドである「ジャルパック」第1弾の発売が、日本航空によって開始され、全7コースが国際線を運航する航空会社、旅行代理店、その他の関連業界のための業界団体、国際航空運送協会(IATA)加盟旅行代理店から一斉に発売された。当時は、ツアー参加者にサービスとしてトラベルバッグを配布しており、そのバッグが、海外旅行者の間でステータスとされていた。 
つぼ漬の日。 
南九州の特産品である干し大根を、風味豊かなしょうゆに漬込んで作る、鹿児島で発祥した「つぼ漬」を全国にPRしようと、「つぼ漬」を製造販売している、鹿児島県姶良市加治木町木田の企業、九州新進株式会社が制定。日付は、2月2日の「2」と「2」で、「つぼ漬(ツー[2]ぼツーけ[2])」と読む語呂合わせと、鹿児島ではこの時期に、「つぼ漬」の原材料の大根の新物が出回ることから。「つぼ漬」は、鹿児島県揖宿郡山川町(現在の鹿児島県指宿市山川地区)付近で作られていたので、「山川(やまがわ)漬け」とも呼ばれ、干した大根をぬかに漬けた沢庵漬けと同様に、べっこう色であるが粒が小さく、パリパリした歯ごたえのする漬物である。癖がなく万人受けし易いので、最近では全国的に流通しており、和風の外食メニューや弁当類で、口直しの香物として添えられることも多い。なお、大根はかつて、秋に収穫される越冬野菜の典型として、冬季間の食卓に供される重要な保存食であった。野菜の漬物には食物繊維が豊富に含まれており、野菜を加熱しないことで、加熱に弱いビタミンCが豊富に残存する。
2連ヨーグルトの日。 
2連ヨーグルトを夫婦や親子で仲良く食べてもらい、健康的な生活を送ってもらおうとの願いから、2連ヨーグルトを主力製品の1つとしている、東京都港区芝に本社を置く大手乳製品メーカー、森永乳業株式会社が制定。日付は、2月2日が「2」と「2」が重なる日であることから、「2連」をアピールしたもの。また、ヨーグルトの消費が減る時期であり、ヨーグルト市場の活性化もその由来の1つ。ヨーグルトは、乳に乳酸菌や酵母を混ぜて発酵させて作る、発酵食品の1つである。ヨーグルトに溜まる上澄み液は乳清という。乳原料を搾乳し利用する動物は、専用のウシ(乳牛)だけでなく、水牛、山羊、羊、馬、ラクダ等の乳分泌量が比較的多く、搾乳が行ない易い温和な草食動物が利用される。ヨーグルトの起源は、ヨーロッパ、アジア、中近東にかけての様々な説があり、およそ7,000年前とされる。生乳の入った容器に、環境常在菌である乳酸菌が偶然入り込んだのが始まりと考えられている。気温の高い地方では、生乳のままであると腐り易いが、乳酸菌で乳を発酵させると保存性が良くなる。いわゆるヨーグルトに相当する食品は世界各国に存在し、それぞれの国で色々な名で呼ばれている。欧米や日本でこの乳製品を指すのに用いられる「ヨーグルト」という言葉は、トルコ語でヨーグルトを意味する「ヨウルト」に由来する。人の老化について研究していたロシア出身の免疫学者、イリヤ・メチニコフが、東ヨーロッパに位置するブルガリア(当時はロシア領であったが、直前までは、現在のトルコの前身、オスマン帝国領)を訪れた際に、ブルガリア人が長寿であることを発見する。その原因を現地の伝統食品であるヨーグルトとし、『ヨーグルト不老長寿説』を発表したことによって広まった。日本では、歴史的には「酪(らく)」と呼ばれ、仏教伝来と共に寺院の中等で伝えられていたが、寺院の外の庶民には広まらず、一般に普及したのは第二次世界大戦後である。ヨーグルトは発売開始当初、牛乳瓶と同じ瓶に入れられ、販売されていたが、消費者の目には「腐ったミルク」「固まったミルク」と見られてしまい、販売業者にクレームが出たことから、牛乳との誤解を避けるため、1975(昭和50)年以降は、徐々に紙容器等を経て、現在の形状のテトラパックやプラスチック容器に入れて販売されるようになっていった。なお、イリヤ・メチニコフの誕生日、5月15日が「ヨーグルトの日」とされている。