1月25日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

石ノ森章太郎生誕記念日。 
日本の漫画界に大きな功績を残し、今もなお多くの漫画家、クリエーターに影響を与え続けている漫画家の石ノ森章太郎。その誕生日、1938(昭和13)年1月25日を記念日として制定したのは、石ノ森章太郎の作品のライセンス管理を業としている企業、株式会社石森プロ(本部所在地は、東京都渋谷区代々木)。石ノ森章太郎の代表作は『サイボーグ009』『ロボット刑事』『さるとびエッちゃん』『マンガ日本経済入門』『HOTEL』等。仮面ライダーシリーズを始め、特撮作品の原作者としても活躍し、SF漫画から学習漫画まで幅広い分野で作品を量産し「漫画の王様」や「漫画の帝王」と評された。本名は「小野寺章太郎」で、「石ノ森」のペンネームは、生まれた町である宮城県登米郡石森町(いしのもりちょう、現在の宮城県登米市中田町石森)の名称に由来する。 1984(昭和59)年までは石森章太郎の表記を用いたが、この時期には「いしもり」と呼ばれるのが通例であった。画業30年を機に「石森章太郎」から「石ノ森章太郎」に改名したのとされる。元々は「石森」で「いしのもり」と読ませるつもりであったが、誰も「いしのもり」と読んでくれず、「いしもり」の読みが定着してしまっていたため、初心に戻る意味をこめて改名を行なったという。昭和30年代から昭和40年代、マンガの世界で新しい手法の開発者として特に目立った存在であり、多様な分野と作風の中でも、特にSFマンガで他への影響が、「マンガの神様」と評された漫画家、手塚治虫と並んで大きく、昭和40年代始め頃には「マンガの王様」と呼ばれていた。この時期の作風は、SF的感覚・詩的叙情・アクションを含むことが多かった。それらの要素は、1971(昭和46)年に放送開始された特撮テレビドラマ『仮面ライダー』以降、徐々に特撮作品へと移っていき、執筆する漫画の傾向は、青年漫画や学習漫画等、幅広いものとなっていった。1989(平成元)年、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表。以降は、自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。没後の2007(平成19)年末には、500巻770作品に及ぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』が、1人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。なお、テレビ原作者(アニメ、実写)としてのクレジットは、放映期間のべ60数年分に及び、最も有名な捕物帳(犯罪事件を題材とした時代物の推理小説)であり、代表的な時代劇作品の1つでもある『銭形平次 捕物控』の作者として知られる、作家の野村胡堂、日本初の女性プロ漫画家として知られ、代表作に『サザエさん』(日本の新聞連載漫画としては最大のベストセラーで、国民的なアニメ長寿番組の原作でもある)等がある漫画家の長谷川町子らを凌駕して国内最高である。因みに、SF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争もの、動物もの等、様々なジャンルの漫画を描いている松本零士と石ノ森章太郎は、同じ生年月日、1938(昭和13)年1月25日である。
とちぎのいちごの日。
栃木県宇都宮市平出工業団地に所在する、全国の農業協同組合が出資し組織している「全国農業協同組合連合会(JA全農)」の中の県本部組織の1つ、全国農業協同組合連合会栃木県本部(JA全農とちぎ)に事務局を置く「栃木いちご消費宣伝事業委員会」が制定。日付は、イチゴの流通の多い1月から3月の中の「と(10、十)ちぎのいちご(15、一五)」を「10 + 15 = 25」とした25日を、それぞれ記念日としたもので、1月25日、2月25日、3月25日の3日間。栃木県は、1968(昭和43)年からイチゴの生産量日本一を誇る。「とちおとめ」「スカイベリー」等、美味しい栃木のイチゴをより多くの人に知ってもらい、食べてもらうことが目的。栃木県は、県央部から南部に肥沃な関東平野が広がり、日光や那須を源とする、きれいな水が流れる自然豊かな土地である。そんな風土に加え、冬の日照時間が長く、昼と夜の寒暖差が大きいという気候特色は、イチゴの栽培に適している。太陽の光を最大限に利用したビニールハウス栽培で、低めの温度を保ちながらゆっくり成熟させることで、甘くて美味しいイチゴが作られている。2017(平成29)年)に栃木県は、イチゴの生産量が50年連続日本一となり、栃木は名実共に「いちご王国」となった。これを契機として、栃木県のブランド価値向上と県産イチゴの更なる発展を図るため、2018(平成30)年に栃木県は、1月15日を「いちご王国・栃木の日」として宣言している。 
初天神。
1年で最初の天神の縁日。天神は、全国に多数存在する天満宮に祀られた神、菅原道真の神号である。平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家、菅原道真はその能力、人気を時の権力者に嫉まれて左遷され、その任地で無念の死を遂げた人物とされる。菅原道真の死後、都では天変地異が続発し、特に落雷と、これに伴なう火災等の被害が続いたため、「これは菅原道真の祟りだ」と人々が畏れ、菅原道真を火雷天神という神に見立てて、これを祀ることによって、祟りを除こうと建てられたのが、現在の京都市上京区にある北野天満宮である。菅原道真の誕生日が旧暦6月25日、命日が旧暦2月25日で、共に25日であったことから、毎月25日が天神の縁日になっている。天神は当初、雷神として恐れられたが、菅原道真が元々優れた学者であったことから、次第に「学問の神様」と考えられるようになり、毎月25日の天神の縁日には、進学を控えた者やその身内の者等が盛んに参拝するようになった。天満宮は「天神」「天神さま」「天神さん」とも呼ばれる。社名は、天満神社、祭神の生前の名前から菅原神社、天神を祀ることから天神社等となっていることもあり、また、鎮座地の地名を冠していることもある。但し、「天神社」については、天津神(高天原[神が住むとされる天上界]から天降った神)を祀る神社という意味のものもあり、これは菅原道真とは関係がない。政治的不遇を被った菅原道真の怒りを静めるために神格化し祀られるようになった、御霊信仰の代表的事例である。江戸時代でも、毎月25日は天神様の縁日であり、特に旧暦1月25日を「始め天神」や「初天神」、12月25日を「終い天神」と呼んで参詣したが、これは、新暦に移行した現在でもそう呼ばれている。
菅公学生服の日。 
岡山市北区駅元町に本社を置く、日本を代表する学生服メーカーの1つ、尾崎商事株式会社が制定。自社ブランドの「カンコー(菅公)学生服」の優れた機能性やデザインをアピールすると共に、子ども達の学業成就と健やかな成長を祈る日、としている。日付は、学問の神様である菅原道真公(菅公)にゆかりの初天神の日に由来する。2013(平成25)年8月1日に尾崎商事株式会社は、社名を菅公学生服株式会社に変更した。創業は1854(安政元)年で、160年余りの歴史があり、スクールウェアやスポーツウェア等、各種衣料の製造販売を行なっている。主力ブランドの「カンコー(菅公)学生服」は、学問の神様として親しまれている菅原道真に因んで名付けられた。学校制服・学校体育衣料業界第1位のメーカーで、大正時代から学生服の大量生産を開始しているが、特に、第二次世界大戦後のベビーブーム(一時的に新生児誕生率[出生率]が急上昇する現象)期には、子どもの数が増えたこともあって、学生服の需要が増加し、業績を拡大した。
法然上人忌。
阿弥陀仏を対象とする浄土信仰に基づく日本仏教の宗旨、浄土宗の開祖である法然上人の1212(建暦2)年の命日(旧暦)。「南無阿弥陀仏」を提唱した美作国(現在の岡山県東北部)出身の法然は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧である。山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、1175(承安5)年、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏(仏教における行の1つで、仏の姿や功徳を思い描いたり、その名号を口に出して呼ぶこと)を唱えれば、死後は平等に往生できるという、専修念仏の教えを説いた。論文『選択本願念仏集(選択集)』を著す等、念仏を体系化したことにより、日本における称名念仏(仏の名を称える念仏)の元祖と称される。元々、「法然忌」は1月25日であったが、浄土宗では1877(明治10)年より、4月19日から4月25日までともされ、全国から多くの参詣者を集め、盛大に法要が営まれる。法然の忌日法要は、特に「御忌(ぎょき)」と呼ばれる。