1月24日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0041年 - ローマ帝国第3代皇帝カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)が、カッシウス・カエレア率いるプラエトリアニ(皇帝を守るために組織された直属の精鋭部隊で、日本語では「近衛隊」「近衛軍団」「護衛隊」「親衛隊」と訳される)将校により暗殺される。カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)の親族に当たるクラウディウス(ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルスス)が第4代皇帝に即位。皇帝への忠誠心よりも、自分達の利害によって動くようになっていたプラエトリアニは、独自の判断により、元老院(古代ローマの統治機関)に反対させることなく、クラウディウス(ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルスス)を擁立する。クラウディウス(ティベリウス・クラウディウス・ネロ・カエサル・ドルスス)の皇帝就任は、軍事力がローマ皇帝を決定する最初の例となる。 
1336年 - 箱根・竹ノ下の戦い(現在の静岡県駿東郡小山町竹之下周辺で足利尊氏軍と新田義貞軍が戦い、足利尊氏軍が勝利した合戦)で 足利尊氏が建武新政府(第96代天皇、後醍醐天皇が「親政」[天皇が自ら行なう政治]を開始したことにより成立した政権)に叛旗を翻す。1333年、鎌倉幕府を打倒して成立した建武新政府であったが、現実から乖離した政策の数々に、武士は不満を募らせ、全国の旧北条氏所領で北条残党の蜂起が相次ぐ。特に、7月に信濃国(ほぼ現在の長野県に相当)で諏訪氏(信濃国中東部、諏訪地方の領主)の支援の下に蜂起した北条時行(鎌倉幕府最後の得宗[跡取り、家督相続予定者である惣領の家系]、北条高時の遺児)は、各地の反建武新政府勢力を吸収し、鎌倉にいた足利直義(後に室町幕府初代将軍となる足利尊氏の同母弟)を追出し、鎌倉を占領する勢いを見せる(中先代の乱)。これに対し、足利尊氏は北条時行を討つため、自分を派遣するように第96代天皇、後醍醐天皇に再三要請するが、足利尊氏が自立することを怖れた第96代天皇、後醍醐天皇はそれを不許可とする。しかし、足利尊氏は無断で関東に出兵したため、第96代天皇、後醍醐天皇は、追認で足利尊氏を征東将軍に任じ、結局、北条時行の反乱は鎮圧される。中先代の乱終結後、足利尊氏は、対立関係にあった新田義貞の所領を勝手に没収し、建武新政府では恩賞方(恩賞業務の審議や調査のために設置された部局)が行なう恩賞を分配する等、自立の意思を示す。第96代天皇、後醍醐天皇は再三、帰洛命令を出すが足利尊氏は無視し、新田義貞を非難する文書を送り返すだけとなる。新田義貞は反論の文書を提出し、審議の結果、新田義貞の訴えを認め、第96代天皇、後醍醐天皇は足利尊氏を討伐することを決定し、新田義貞に宣旨(天皇が発する命令)を下す。新田義貞は、第96代天皇、後醍醐天皇の第二皇子、尊良親王を奉じ、軍を率い東海道を下る。足利尊氏追討軍には多数の公家も参加しており、朝敵となることを恥じた足利尊氏が出家する等、足利側の士気が上がらなかったため、足利尊氏軍は、足利直義が中心となり作戦行動に出る。新田義貞軍は、東海道各所で足利尊氏軍を撃破し、鎌倉へ着々と軍を進める。新田義貞軍が箱根に迫ったとの報に接し、一時出家していた足利尊氏が足利直義の説得に応じ、戦線に復帰する。両軍は箱根付近で激突し、当初は優勢であった新田義貞軍は、足利尊氏の参陣で志気が上がる足利尊氏軍に次第に押されるようになり、味方側にいた武将の寝返りもあって、総崩れとなり敗走する。この後、足利尊氏軍は京都への進軍を開始して、足利尊氏は入京を果たし、第96代天皇、後醍醐天皇は比叡山(滋賀県大津市の西南、滋賀・京都県境に位置する、標高848mの山で、古くから山岳信仰の対象とされ、京都の鬼門に当たる北東に位置することもあり、比叡山は王城鎮護の山とされた)へ退く。    
1679年 - イギリス王チャールズ2世がイングランド議会を解散する。 
1742年 - カール7世が神聖ローマ皇帝に即位。 
1776年 - アメリカ独立戦争: イギリス軍のタイコンデロガ砦(現在のアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州に所在)から大陸軍が奪った59基の大砲と迫撃砲が、56日かけてボストン(現在のアメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州に所在)へ輸送される。 
1813年 - イギリスの首都ロンドンで、フィルハーモニック協会(オーケストラ等、器楽のコンサートを催すことを目的としたイギリスの音楽協会、現在のロイヤル・フィルハーモニック協会)が発足する。 
1842年 - 江戸幕府が株仲間(同業の問屋による私的な集団)解散令を発布する。 
1848年 - アメリカ合衆国西部、カリフォルニア(1850年に公式にカリフォルニア州へと昇格)のアメリカン川河底で砂金が発見され、カリフォルニア・ゴールドラッシュの始まりとなる。 
1859年 - アレクサンドル・ヨアン・クザがワラキア(東ヨーロッパに位置する現在のルーマニア南部)・モルダヴィア(現在のルーマニア東北部)両公国の公位に就任。1862年に両国を統一して、ルーマニア公国(現在のルーマニアの前身)とする。 
1862年 - ルーマニア南東部にあるブカレストが、ルーマニアの首都になる。 
1911年 - 第122代天皇、明治天皇の暗殺を計画したとして、大逆罪(天皇、皇后、皇太子等に危害を加えることをその内容とした犯罪類型)の容疑で多くの社会主義者、無政府主義者が逮捕・処刑された事件、幸徳事件(大逆事件)で、ジャーナリスト・思想家の幸徳秋水ら11名の処刑が行なわれる。 
1915年 - 第一次世界大戦: ドッガー・バンク海戦。北海(東をノルウェー、デンマーク、南をドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、西をイギリスに囲まれた、大西洋の付属海)のドッガー・バンク(イギリスの東方約100km沖合いにある北海の浅瀬の広大な砂堆[特に浅くなっているが、船の航行には支障のないところ])で、ドイツ海軍とイギリス海軍とが戦う。ドイツ海軍の主力艦隊、大洋艦隊は、1914年8月28日、ドイツ北西部の海岸線から約70km沖合いに位置するヘルゴラント島(英語名はヘリゴランド島)沖合いの北海で、圧倒的に軍事的優位に立つイギリス海軍が、ドイツ海軍を罠に掛け、3隻の軽巡洋艦と水雷艇を撃沈することに成功したヘルゴラント海戦の結果、実質的に封じ込められており、この状況を打開するために、ドイツ海軍の巡洋戦艦隊は、イギリス東岸の3都市に攻撃を行なう。この攻撃が成功したことから、ドイツ海軍は、ドッガー・バンクでイギリス漁船への断続的な攻撃活動を企画するが、イギリス海軍情報部は事前に、ドイツ側の暗号電文を傍受・解析しており、ドイツ海軍の艦隊は、ドッガー・バンクでイギリス艦隊の迎撃を受ける。巡洋戦艦3隻、巡洋艦5隻、水雷艇18隻の戦力のドイツ艦隊、巡洋戦艦5隻、巡洋艦7隻、駆逐艦35隻の戦力のイギリス艦隊、両軍の艦隊による砲撃戦となり、戦力に勝るイギリス艦隊は、巡洋戦艦1隻が大破するが、戦死者は15名となる。ドイツ艦隊は巡洋艦1隻が沈没し、974名の戦死者を出して離脱、敗退する。
1915年 - サンディエゴ計画が発覚。サンディエゴ計画とは、親メキシコ勢力によりアメリカ合衆国南部、テキサス州を中心に南部一帯で発生した武装蜂起計画で、翌年にかけて騒乱事件が発生するが、アメリカ合衆国は陸軍を派遣して制圧する。  
1918年 - 1年を365.25日とする太陽暦、ユリウス暦を使用していたロシアの人民委員会議(行政府)が、同年2月1日(グレゴリオ暦2月14日)から、現行太陽暦として世界各国で用いられている暦、グレゴリオ暦を導入することを決定。