1月23日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0829年 - 真言宗の宗祖、空海(弘法大師)が、綜芸種智院の設立を宣言する。綜芸種智院は、庶民教育や各種学芸の綜合的教育を目的に、平安時代初期の公卿である藤原三守から譲受けた京の左京九条(現在の京都市南区西九条に所在)の、空海自身の邸宅に設置した私立学校とされる。なお、綜芸とは、各種の学芸を綜合するという意味である。 
1337年 - 第96代天皇、後醍醐天皇が花山院(平安京左京一条四坊三町[現在の京都市上京区にある京都御苑敷地内]にあった邸宅)を脱出し、吉野の金峰山(現在の奈良県吉野郡吉野町に所在)へ入山。これが一般に、南北朝対立の始まりとされる。南北朝時代は、皇統が南朝と北朝に分裂抗争した1336年から、両朝が合一した1392年までの約57年間をいう。これに先行する、1333年からの建武中興鎌(倉幕府を滅ぼして、後醍醐天皇の下に実現された天皇親政の復活)の約3年間を含める場合もある。 
1556年 - 華県地震。中国明朝の陝西省(現在の中国中部に所在)で直下型地震が発生。規模はマグニチュード(M)8.0と推定される。深夜の地震、かつ、人口密集地での地震であったことから被害は甚大となり、この地震による死者は、朝廷に報告されたものだけで約83万名、実際は、それをさらに上回る死者数を出したとされ、史上最悪の震災を引起こす。 
1579年 - ネーデルラント(現在のベルギー、オランダ、ルクセンブルクの3ヶ国[ベネルクス]に相当する低地地域)北部7州がユトレヒト同盟を結成。ユトレヒト同盟は、オランダ建国の元となった、対スペイン軍事同盟である。1568年から1648年にかけて(1609年から1621年までの12年間の休戦を挟む)ネーデルラント諸州がスペインに対して反乱を起こした戦争、八十年戦争は、これをきっかけに後のオランダが誕生したため、オランダ独立戦争と呼ばれることもある。この八十年戦争中に成立したユトレヒト同盟は、現在のオランダ中部にある州、ユトレヒト州の州都ユトレヒトで調印された協定に基づいている。 
1719年 - 神聖ローマ皇帝カール6世が、リヒテンシュタイン家(ドイツ南部を発祥とするドイツ系貴族)が購入したファドゥーツ伯爵領とシェレンベルク男爵領とを併せ、リヒテンシュタイン公領(現在の西ヨーロッパの中央部、スイスとオーストリアに囲まれている地域に所在するリヒテンシュタイン公国)とすることを認可。 
1793年 - 第2次ポーランド分割。ロシアとプロイセン(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした国)によって、ポーランドの一部が分割される。 
1899年 - エミリオ・アギナルドがフィリピン第一共和国大統領に就任。フィリピン第一共和国の設立は、スペイン帝国の支配に対するフィリピン独立革命の絶頂であったが、アメリカ合衆国はすぐにフィリピン第一共和国を廃し、1946年に独立を付与するまでフィリピンを占領している。 
1902年 - 八甲田雪中行軍遭難事件。日本陸軍第8師団歩兵第5連隊が、青森市街から八甲田山の田代新湯(現在は温泉が廃湯となっている田代元湯の上流に位置する温泉)の宿に向かう雪中行軍の途中で遭難。訓練への参加者210名中199名が死亡(その内の6名は救出後死亡)するという、日本の冬季軍事訓練における、最も多くの死傷者が発生した事故であると共に、近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故となる。 
1905年 - 奈良県吉野郡小川村鷲家口(現在の奈良県吉野郡東吉野村鷲家口)で、ニホンオオカミの最後の1頭が捕獲される。これが、確実な最後の生息情報とされており、この個体は若いオスで、後に標本となり現存する。ニホンオオカミは、日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミの1亜種である。他の地域のオオカミよりも小さく、中型日本犬程であるが、中型日本犬より脚は長く、脚力も強かったと言われている。尾は背側に湾曲し、先が丸まっている。吻は短く、日本犬のような段はない。耳が短いのも特徴の1つとされる。環境省のレッドリスト(国際自然保護連合[IUCN]が作成した絶滅の虞[おそれ]のある野生生物のリスト)では、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。ニホンオオカミ絶滅の原因については確定していないが、概ね、狂犬病やジステンパー(犬ジステンパーウイルス[CDV]を原因とする、イヌを始めとしたネコ目[食肉目]の感染症で、明治時代以後には、西洋犬の導入に伴ない流行した)等の家畜伝染病と人為的な駆除、開発による餌資源の減少や、生息地の分断等の要因が複合したものと考えられている。なお、1892年の6月まで、東京都台東区上野公園の上野恩賜公園内に所在する東京都恩賜上野動物園(通称は上野動物園)で、ニホンオオカミを飼育していたという記録があるが、当時は、その後10年程度で絶滅するとは考えられておらず、写真も残されていない。  
1907年 - アメリカ合衆国中西部、カンザス州出身の弁護士・検察官、チャールズ・カーティスが、アメリカインディアン出身者で初のアメリカ上院議員となる。 
1910年 - 逗子開成中学校の生徒ら12名が乗ったボートが遭難、全員が死亡する。この事件を題材とした『七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の根[嶺])』は全国で愛唱される。 
1912年 - 初の薬物統制に関する条約、万国阿片条約(ハーグ阿片条約)が調印される。麻薬のアヘンを始め、モルヒネやコカイン、また、そこから誘導された薬品、同等の害毒を起こすものが条約の統制対象となる。第二次世界大戦後、万国阿片条約(ハーグ阿片条約)は、1961年の「千九百六十一年の麻薬に関する単一条約(麻薬単一条約、昭和39年条約第22号)」に引継がれる。
1914年 - 衆議院予算委員会で、後に第19代衆議院議長も務めた島田三郎議員が、ドイツの多国籍企業、シーメンスによる日本海軍へのリベート供与を追及、シーメンス事件(日本海軍高官への贈賄事件)に発展する。 
1927年 - 第二次世界大戦前に小惑星を複数発見した天文学者、及川奥郎が新しい小惑星を発見。1927年から1929年にかけて、共同発見1つを含む計8つの小惑星を発見した及川奥郎は、東京府北多摩郡三鷹村(現在の東京都三鷹市)の東京天文台(現在の理論・観測の両面から天文学を研究する研究所・大学共同利用機関、国立天文台の前身)において、小惑星帯(太陽系の中で第四惑星、火星と第五惑星、木星の間にある小惑星の軌道が集中している領域で、アステロイドベルトとも呼ばれる)にある小惑星「隅田」を発見する。なお、合計で395個の小惑星を発見したドイツの天文学者、カール・ラインムートが2月24日に独立して発見しており、公表されたのはカール・ラインムートの方が早かったという。
1936年 - 阪神急行電鉄(関西の大手私鉄、阪急電鉄の前身)が大阪阪急野球協会を設立、阪急職業野球団(現在のオリックス・バファローズの前身)が発足する。
1937年 - 廣田弘毅内閣が閣内不一致で総辞職。 
1941年 - 第二次世界大戦: アメリカの飛行家、チャールズ・リンドバーグがアメリカ連邦議会で演説し、ナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国)と中立条約を結ぶべきと主張する。 
1942年 - 第二次世界大戦: 日本軍がラバウル(南太平洋、ニューギニア島沖にあるニューブリテン島北端に所在)を占領。1910年にドイツが建設した街、ラバウルは、コプラ(ココヤシの果実の胚乳を乾燥したもの)やコーヒー、ココアの産地として有名であるが、日本軍が占領した後は、東南方面への日本軍の一大拠点が築かれる。ラバウル航空隊の基地があり、連合軍側からは「ラバウル要塞」と呼ばれている。日本軍の占領後は、陸海軍合わせて約9万余の大軍が配置され、日本軍は豊富な兵力と自給自足体制による食料の確保、そして、堅固な要塞を築き上げていたことから、連合軍は反攻に当たり、頑強な抵抗が予想されるラバウルを占領せず、包囲するに止めた結果、終戦時まで日本軍が占領、保持することとなる。なお、連合軍が1943年の夏以降、日本に対し反攻に出た時、ラバウルは補給線を切断され、後方に取残されている(飛び石作戦)。その後も駐留していた日本軍は、度重なる連合国軍による攻撃に耐えつつ、兵力を温存し、洞窟陣地に篭もり武器を自作する等し、食料や日用品の自給自足体制まで整え、「籠城」を行なっている。なお、1994年にラバウルは、近郊のタブルブル火山とブルカン火山の同時噴火によって、5m以上の降灰が市街を襲い、大きな打撃を受けている。住民は近郊の山林に避難し、ラバウル空港は放棄され、南東に約20km離れたココポの町に、新空港と政府機関が移転する。ラバウル付近では、各国の援助で再建が進むものの、旧市街は降灰に埋もれ、放棄されたままである。