1月21日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0304年 - 聖アグネスが13歳で殉教する。ローマの聖アグネスや聖イネス、聖女アグネス、聖女アニエスとしても知られている聖アグネスは、若い少女達の守護聖人であるが、セント・アグネス・イブ(1月20日 - 1月21日)に夕食を抜いて眠ると、夢で未来の夫を見るという民間伝承がある。この迷信は、19世紀前半のイギリスの詩人、ジョン・キーツの詩『The Eve of Saint Agnes』で不朽のものとなる。 
0754年 - 奈良時代の帰化僧で、日本における日本律宗(戒律[仏教において守らなければならない道徳規範や規則]の研究と実践を行なう仏教の一宗派)の開祖となった鑑真が、仏舎利(入滅[仏教用語で、煩悩の炎が吹き消えた状態、宗教的解放を意味する解脱のこと]した釈迦が荼毘[火葬]に付された際の遺骨)を携え、薩摩国坊津(現在の鹿児島県南さつま市坊津町坊)に来日する。鑑真は、日本の学問僧の要請に応じ、5回の渡航失敗と失明にも係わらず、6回目の渡航で来日に成功する。また、鑑真は、戒律の他、彫刻や薬草の造詣も深く、日本にこれらの知識も伝え、悲田院(仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設)を作り、貧民救済にも積極的に取組んでいる。現在の奈良市五条町に所在する日本律宗の総本山、唐招提寺は、鑑真が晩年を過ごした寺であり、奈良時代建立の金堂、講堂を始め、多くの文化財を有し、1998年には、「古都奈良の文化財」の一部として、国際連合教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の世界遺産(文化遺産)に登録されている。唐招提寺は759年、鑑真が新田部親王(第40代天皇、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲受け、寺としたものである。寺名の「招提」は、インド等、南アジアや東南アジアにおいて用いられた古代語、サンスクリット由来の中国語で、元来は「四方」「広い」等の意味を表わす語であったが、「寺」「院」「精舎」「蘭若」等と同様、仏教寺院(私寺)を指す一般名詞として使われており、唐招提寺という寺号は、「唐僧鑑真和上のための寺」という意味合いとなっている。 
1187年 - 鎌倉幕府が鎮西奉行(鎮西守護)を設置する。鎮西奉行は、鎮西(九州)の御家人の指揮統制を行なった職である。 
1720年 - スウェーデンとプロイセン(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした国)が、大北方戦争(スウェーデンと反スウェーデン同盟[北方同盟]を結成した諸国とが、スウェーデンの覇権を巡って争った戦争)の講和条約の1つであるストックホルム条約を締結。 
1757年 - フレンチ・インディアン戦争: 最初のかんじきの戦いが起こる。かんじきの戦いは、ロジャーズ・レンジャーズ(イギリス軍直属のアメリカ植民地民兵による独立部隊で、この軍の訓練は、非公式にイギリス陸軍少佐のロバート・ロジャーズに委ねられ、運動能力に優れた軽歩兵隊として、偵察と、距離のある相手を標的にした)と、フランス、及び、その同盟関係にあるインディアン(現在のアメリカ合衆国北部や中西部に先住する部族)との小規模の戦闘である。ロジャーズ・レンジャーズの兵が、かんじき(泥上や雪上等、不安定な地面を歩くための民具で、靴や草鞋等の下に着用するものであり、履くと接地面積が増え、体重が分散されることから、雪に深くめり込まず、さらに、斜面等でずり落ちにくくする効果がある)を履いていたため、この名がある。ロジャーズ・レンジャーズの兵は、シャンプラン湖(現在のアメリカ合衆国北東部、バーモント州とニューヨーク州、及び、カナダ東部のケベック州の境界に位置するシャンプレーン湖)に面したカリヨン砦で偵察遠征を行ない、フランスとインディアンによる混成軍を待伏せし、両軍は戦闘状態となる。数時間続いて戦闘は終わり、両軍で50名程度の死傷者が出る。翌1758年3月13日、2度目のかんじきの戦いで、ロジャーズ・レンジャーズの兵は、フランスとインディアンの連合軍を相手に、陣容を立直すことができず、敵に挟撃ちされそうになり、ロバート・ロジャーズは、高台へ退却するように命じる。ロバート・ロジャーズは後に、この退却途中で50名の兵を失ったと、日誌に書いている。なお、メジャーリーグベースボール(MLB、大リーグ)アメリカンリーグ西地区に所属するテキサス・レンジャーズのレンジャーズという愛称は、南北戦争(奴隷制存続を主張するアメリカ合衆国南部諸州の内、11州がアメリカ合衆国を脱退、アメリカ連合国を結成し、アメリカ合衆国に留まった北部23州との間で戦争となったもの)後に、治安維持のために作られた、ロジャーズ・レンジャーズを模した北アメリカ最古の公安組織、テキサス・レンジャーの愛称から取られている。さらに、通常戦力では達成することが不可能な任務、特殊作戦を実行するために組織された、選抜されて特殊な訓練を受けた人員による特殊部隊、アメリカ陸軍特殊部隊(グリーンベレーという通称で知られるが、これは、特殊部隊資格課程を修了し、該当部隊に所属する将兵だけが着用を許される、緑のベレー帽に因む)は、ロジャーズ・レンジャーズの緑の帽子と服の伝統を受継いでいる。 
1793年 - フランス国王ルイ16世が、断頭台(死刑執行人が斬首刑を行なう時に使用する木製の台)で処刑される。ルイ15世の孫で、フランス最後の絶対君主(貴族、諸侯、議会等よりも君主の権威が優越する)にして、フランス最初の立憲君主(君主の権力が憲法により規制される)であるルイ16世は、フランス史上最長となる約72年もの在位期間に王朝の最盛期を築き、太陽王と呼ばれたルイ14世や、ルイ14世の曾孫となるルイ15世の積極財政の結果を受継いだため、即位直後から慢性的な財政難に悩まされ続ける。それにも係わらず、イギリスの勢力拡大に対抗してアメリカ独立戦争に関わり、アメリカを支援する等したため、財政はさらに困窮を極める。政治に積極的に関わり、フランスの変革に努力を注いだが、保守派貴族等の抵抗に遭い、改革は挫折する。貴族層に対抗する窮余の策として、ルイ16世が招集した三部会(フランス国内の三つの身分[第一身分である聖職者、第二身分である貴族、第三身分である平民]の代表者が重要議題を議論する場として、中世から近世にかけて存在した身分制議会)は思わぬ展開を見せ、平民層を大きく政治参加へ駆立てたことで、結果的にフランス革命を呼起こす。1791年、ルイ16世は、家族と共にパリ脱出を企てたが、捕えられ軟禁される。1792年の王権停止後は一家共々幽閉され、不自由な生活を強いられることになる。行政府の役割も担っていた革命政治の中央機関となる一院制の立法府、国民公会は、ルイ16世の処遇を決定するために投票を行ない、その結果、ルイ16世の死刑執行が決まっている。
1868年 - オーストリアの作曲家・指揮者、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『天体の音楽』が、現在のオーストリアの首都ウィーンで初演。「ワルツの父」と呼ばれ、クラシック音楽全体でみても、有数の人気曲である『ラデツキー行進曲』を作曲したことで知られる、オーストリア帝国(現在の中部ヨーロッパに位置するオーストリア共和国の前身)の首都ウィーンを中心に活躍した作曲家・指揮者・ヴァイオリニスト、ヨハン・シュトラウス1世の次男で、「ウィーンのワルツ王」として知られるオーストリアの作曲家、ヨハン・シュトラウス2世の弟に当たるヨーゼフ・シュトラウスは、兄の陰に隠れ勝ちな存在であったが、その音楽的能力は兄に優るとも劣らず、その詩情豊かで深みのある作風から、「ワルツのシューベルト」と呼ばれる。『天体の音楽』は、ヨーゼフ・シュトラウスの最も代表的なワルツ作品であり、戦間期(第一次世界大戦終結から第二次世界大戦勃発まで、つまり、基本的には、1919年から1939年までの時代である)に制作されたドイツ映画、『会議は踊る』のテーマ曲として使われたことでも知られる。
1887年 - 官設鉄道(国鉄[日本国有鉄道、現在のJRグループ]の前身)東海道本線で、旧揖斐川橋梁の供用が開始される。旧揖斐川橋梁は、現在の岐阜県大垣市新開町と岐阜県安八郡安八町西結を結ぶ、木曽川三川の1つ、揖斐川に架かる鉄橋である。旧揖斐川橋梁は、東海道本線開通当時の橋梁としては唯一、現位置に現存する貴重な近代化遺産であり、国指定重要文化財となっている。