1月20日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1226年 - 鎌倉幕府が評定衆を設置する。評定衆は、行政・司法・立法の全てを司っていた、幕府の最高政務機関である。評定衆の長が、将軍を助け政務を統轄した執権であり、その地位は北条氏が独占している。これには、基本的に鎌倉幕府は、鎌倉殿(将軍)と個々の御家人の主従関係によって成立っている、という事情がある。北条氏も、鎌倉殿の家来の1つに過ぎず、数ある御家人の第一人者であっても、主君ではなかった訳で、従って、鎌倉殿が名目上、形式上の存在になった時に、代わって幕府を主宰することが有力御家人の合議になるのは、当然の成行きと言える。しかし、鎌倉時代を通じて、執権の地位を独占する北条氏の実質的な権力は次第に増大し、幕府の最高権力者は幕府の公的地位である執権ではなく、北条一門の最上位で、本来は北条一族内での地位に過ぎない得宗(跡取り、家督相続予定者である惣領の家系)へと移行する。鎌倉時代後期には、得宗を中心とした寄合(寄合衆)が実質的な権力を掌握し始め、それらに先議権を奪われた評定衆は、形骸化しすることとなる。室町時代においても、評定衆は、室町幕府による幕政の一機関として設定されたが、北条氏の鎌倉幕府末期の評定衆同様、足利氏一門の栄誉職的な色合いが濃く、実質的な権力は小さかった、とされている。 
1265年 - イングランドの貴族(第6代レスター伯)、シモン・ド・モンフォールの主導で、ウェストミンスター宮殿(現在のイギリスの首都ロンドン中心部、テムズ川河畔に存在する宮殿)において、全国から選出された貴族の代表者が会合する。これを、最初のイギリス国会と看做すこともある。シモン・ド・モンフォールは、イングランドの議会制度の基礎を作り上げた人物として有名で、不当な権力に反抗する不屈の闘士として、イングランドでは英雄視されている。
1320年 - ヴワディスワフ1世がポーランド王に即位。 
1777年 - アメリカ独立戦争: ミルストーンの戦い。 
1841年 - イギリスが中国南部にある香港を占領。中国清朝へのアヘン(麻薬の一種で、ケシという一年草の植物の実からとれる乳液を乾燥したもの)密輸販売で巨利を得ていたイギリスと、アヘンを禁止していた中国清朝の間で、1840年から約2年間に亘り行なわれた戦争、阿片戦争に勝利したイギリスは、多額の賠償金と共に、香港を獲得する。広義の香港は、九龍半島(中国大陸南部にある半島)等を含み、地区毎に主権が異なる時期もあったが、狭義には香港島のみを指す。この香港島の南西部に、香港仔(ヒョンコンツァイ)と呼ばれる湾に面した地区がある。観光客には、海鮮料理船があるアバディーンとして知られるが、昔は漁村であると共に、ここに香木が集積されたところから、香港と命名された、と伝えられている。香港は、広東語では「Heong Gong、ヒョンコン」と発音するが、これを英語で「ホンコン」と呼ぶ由来は、アヘン戦争前に遡る。イギリス軍が初めてアバディーン付近に上陸した時、土地の名を知らなかったため、地元の民に地名を聞いたところ「ホンコン」と言ったが、これは、現地の蛋民(水上生活者)の訛で、「香港」と言ったことを記録したため、と言われている。16世紀末頃に、中国明朝が水軍の根拠地を香港地区に設置し、中国清朝の代になり、広州(現在の中国南部、広東省に位置する、華南地域[中国南部]全体の経済、文化、教育、交通等の中心都市の1つ)が開港されると、1699年以降はイギリス東インド会社等が来航するようになり、1711年には、広州にイギリス商館が開設されている。阿片戦争中に、チャールズ・エリオット海軍大佐率いるイギリス軍は香港島を占領し、翌年締結された南京条約により、香港島はイギリスに永久割譲される。中国大陸におけるイギリス資本主義の拠点となった香港では、イギリス政府による植民地統治機関である香港政庁の下で、19世紀末から20世紀初にかけて、華南貿易の基地として発展する。1865年に創設されたイギリス資本の香港上海銀行が、その多くをイギリスが植民地統治下においていた極東最大の銀行に発展し、地域通貨として初期には銀貨が使用され、後の1935年には、中国本土(大陸と呼ばれる)、特に広東省の一部においても、しばしば通用する、香港の法定通貨、香港ドルが発券される。1984年12月19日、中英双方が署名した中英共同声明が発表され、イギリスは1997年7月1日に香港の主権を中華人民共和国に主権移譲し、香港は中華人民共和国の一特別行政区となることが明らかにされる。そして、1997年7月1日には、香港は正式にイギリスから中華人民共和国に主権移譲(香港島等のイギリスの領土は「譲渡」となる)されている。 
1891年 - 1890年11月24日に竣工しており、第1回帝国議会(1889年の大日本帝国憲法[明治憲法]発布から1947年の日本国憲法への改正まで設置されていた議会で、公選の衆議院と非公選の貴族院から成る)が開会され、その会期中であった帝国議会議事堂(第一次仮議事堂)が、漏電により全焼する。
1892年 - アメリカ合衆国北東部、マサチューセッツ州スプリングフィールドのキリスト教青年会(YMCA)訓練校で、同校講師ジェームズ・ネイスミスが考案した、バスケットボールの初の公式試合が行なわれる。 
1917年 - 東南アジア南部に位置するインドネシアの西部にあるバリ島で、マグニチュード(M)6.8の地震が発生し、約1,300名が死亡する。
1918年 - 山形県東田川郡朝日村(現在の山形県鶴岡市の一部)にある大鳥鉱山で雪崩が発生。154名の鉱夫が死亡して、鉱山そのものの衰退を招く。
1924年 - 第一次国共合作が成立。国共合作は、中国国民党と中国共産党の間に結ばれた協力関係であり、第一次国共合作は、軍閥(地方に割拠する軍事組織)と北京政府(北洋軍閥政府、1912年から1928年まで北京に存在した中華民国政府)に対抗する共同戦線である。 
1924年 - 阪神電気鉄道(阪神)の阪神伝法線(後の阪神西大阪線の一部、現在は阪神なんば線の一部)の伝法駅 - 大物駅間(路線距離3.9㎞)が開業。阪神伝法線は、阪神電気鉄道(阪神)が第二次世界大戦前に建設を計画していた、阪神本線の並行路線とする高速新線、第二阪神線の一部として先行開業したが、本来の計画は建設されず、難波に乗入れる計画に変更されている。
1925年 - 『日本國及「ソヴィエト」社會主義共和國聯邦閒ノ關係ヲ律スル基本的法則ニ關スル條約(日ソ基本条約、大正14年条約第5号)』が締結される。この条約は、ロシア革命以後の同国を支配するソビエト共産党政権と日本国政府との間で、国交を正常化するための基本原則を定めたもので、これが日ソ間における初の二国間条約となる。 
1927年 - 仏教を主とした宗教書を軸に、哲学、思想、心理、文学、音楽の各部門の専門書や入門書等を刊行している出版社、春秋社の叢書(テーマ等、特定の共通項に基づいて、幾つかの書物を纏め上げた本のシリーズ)『世界大思想全集』が創刊される。いわゆる「円本」(1冊が1円の全集類の俗称)の1つとなる『世界大思想全集』は、1937年にかけて刊行した、全153巻の叢書で、発行点数は約10万とされている。因みに、「円本」に押されて、雑誌や単行本の発行部数が一時的に減ったという。
1936年 - エドワード8世がイギリス国王に即位。 
1937年 - アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトの2期目の任期が始まる。憲法修正第20条が初めて適用され、任期開始が3月4日から1月20日に変更される。 
1941年 - アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが、史上初めて3期目に突入。1945年の同日に4期目に入る。 
1942年 - ヴァンゼー会議でホロコースト(第二次世界大戦中のナチス・ドイツ[国家社会主義ドイツ労働者党支配下のドイツ国]が、ユダヤ人等に対して組織的に行なった大量虐殺)が最終決定する。ヴァンゼー会議とは、ドイツ国の首都ベルリンの高級住宅地、ヴァンゼー湖畔にある親衛隊の所有する邸宅で開催された、15名のアドルフ・ヒトラー政権の高官が会同して、ヨーロッパ・ユダヤ人の移送と殺害について分担と連携を討議した会議である。 
1944年 - 第二次世界大戦: イギリス空軍がドイツ国の首都ベルリンを空襲。約2,300tの爆弾を投下する。 
1945年 - 第二次世界大戦: 中央ヨーロッパに位置するハンガリーが、枢軸国(ドイツや日本、イタリア等、第二次世界大戦時に連合国と戦った諸国)から離脱する。