1月19日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1160年 - 平治の乱が始まる。平治の乱は、保元の乱(皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が第77代天皇、後白河天皇方と崇徳上皇[第75代天皇、崇徳天皇が退位した後の称号]方に分裂し、双方の武力衝突に至った政変)の後、平清盛と源義朝の勢力争いに、「院の近臣」(政務の実権を握った「治天の君」が上皇で、天皇に代わり政務を行なう院政の際、上皇の側近や従属した家臣)らの争いが絡んで戦乱となり、平清盛を筆頭とする平氏が、京都の治安維持や地方反乱の鎮圧、荘園の管理の役割を独占し、政治の実権を握るきっかけとなった政変である。 
1419年 - 百年戦争: イングランド王ヘンリー5世が、フランス西部にあるルーアンを陥落させる。 
1795年 - フランス軍の侵攻により、バタヴィア共和国(1806年まで、現在のオランダ、及びベルギー北部に存在したフランスの衛星国)が成立する。
1829年 - ドイツを代表する文豪で、作家・劇作家のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテによる戯曲『ファウスト 第一部』が初演。『ファウスト 第一部』は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの代表作とされる長編の戯曲『ファウスト』の第一部で、第二部は、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの死の翌年1833年に発表されている。『ファウスト』は、16世紀のドイツ人の占星術師・錬金術師、ヨハン・ゲオルク・ファウスト(ファウスト博士)の伝説を下敷きにして、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテがほぼその一生をかけて完成した大作である。学者としてかなり成功したが、自分の人生に満足しておらず、そのために悪魔と盟約して、自身の魂と引換えに、果てしない知識と現世での幸福を得た、というファウスト伝説に取材し、ヨハン・ゲオルク・ファウスト(ファウスト博士)を主人公とする長大な戯曲を書上げている。
1853年 - 19世紀を代表するイタリアのロマン派音楽の作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』がイタリアの首都ローマで初演。『イル・トロヴァトーレ』は、ジュゼッペ・ヴェルディ中期の傑作の1つとされる。 
1862年 - 南北戦争: ミル・スプリングスの戦い。アメリカ合衆国中東部、ケンタッキー州で、ジョージ・ヘンリー・トーマス率いる北軍が、南軍に勝利する。南北戦争における北軍の最初の大勝利で、北軍のテネシー州(ケンタッキー州の南隣に位置する)中部への進撃の道を開く。
1868年 - 江戸薩摩藩邸の焼討事件。薩摩国/大隅国薩摩藩が、江戸市中取締の出羽国庄内藩屯所を襲撃した為、江戸の三田(現在の東京都港区三田)にある薩摩藩の江戸藩邸が江戸市中取締の庄内藩らによって襲撃され、砲火により焼失する。
1897年 - 成田鉄道(現在の東日本旅客鉄道[JR東日本]成田線)の佐倉駅 - 成田駅間(路線距離13.1km)が開業。総武鉄道(現在の東日本旅客鉄道[JR東日本]総武本線)佐倉駅と連絡して、成田山(千葉県成田市成田にある真言宗智山派の仏教寺院、成田山新勝寺で、不動明王信仰の一大中心地となっている)詣での新しい移動手段になる。
1908年 - 任意団体として、日本天文学会が発足。日本天文学会は、天文学の進歩、及び普及を目的とする、日本の天文学研究者を中心とする学会(学術専門団体)で、現在は公益社団法人となっている。
1911年 - 南北朝正閏問題。読売新聞が、社説で国定教科書における南北朝並立の記述を批判、いずれの皇統が正当かを巡り、帝国議会(1889年の大日本帝国憲法[明治憲法]発布から1947年の日本国憲法への改正まで設置されていた議会で、公選の衆議院と非公選の貴族院から成る)での論争に発展する。小学校で使用されている国定教科書で、南北両朝は並立していたものとして書かれていたが、政府は野党や世論に押され、2月4日には帝国議会で南朝を正統とする決議を行ない、さらに教科書改訂を行なう。最終的には、『大日本史』の記述を根拠に、第122代天皇、明治天皇の裁断で、三種の神器を所有していた南朝が正統、とされる。
1927年 - 前年12月に没した大行天皇(天皇が崩御[死去]した後、追号が贈られるまでの呼称)の追号が、大正天皇と決まる。日本の天皇の崩御後の称号には、諡号と追号の別があり、諡号は、その人の高貴さや具体的な高徳を表わした美称を死後に贈るものであり、追号は、宮号や陵名等を用いたものである。明治の一世一元(元号を天皇の在位中には変えない制度)と共に、元号を以って帝号(追号)とするように定められている。 
1927年 - イギリス政府が支那派兵(中国への軍隊の派遣)を決定。
1934年 - エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の甥アラヤ・アベベの妃に、旧上総国久留里藩藩主の家系である黒田広志子爵の次女、黒田雅子が決定するが、4月には、エチオピア利権を狙うイタリアの干渉で破談となる。ハイレ・セラシエ1世は、当時のエチオピアに影響力のあったイタリア王国、イギリス、フランスに対抗するため、アメリカ合衆国、日本に接近する。1931年7月16日には、大日本帝国憲法を範とし、7章55条から成るエチオピア帝国初の成文憲法、「エチオピア1931年憲法」を制定している。1935年、イタリア王国がエチオピアに進攻し、ハイレ・セラシエ1世はイギリスに亡命する。1939年の第二次世界大戦勃発後、1941年にエチオピアはイギリス軍に解放され、皇帝ハイレ・セラシエ1世は凱旋帰国している。
1940年 - 中国共産党の毛沢東が「新民主主義論」を発表。「新民主主義論」では、発展途上の農業国という特殊な条件下で共産主義を実現するため、まず第一段階として反帝国主義・反封建主義の「民主主義革命」を行ない(新民主主義革命)、ある程度生産力が発展した段階で、第二段階として「社会主義革命」を実施する、とされている。
1942年 - ファン・イムホフ号事件。オランダ領東インド(現在のインドネシア)に抑留していたドイツ人を護送中のオランダ貨物船『ファン・イムホフ』が、インド洋上で日本軍によって撃沈され、救助活動が充分に行なわれないまま、ドイツ人非戦闘員約400名が犠牲となる。 
1946年 - 極東国際軍事裁判所条例(極東国際軍事裁判所憲章)が制定される。作成に際しては、ニュルンベルグ裁判(第二次世界大戦において、ドイツによって行なわれた戦争犯罪を裁く国際軍事裁判)のための国際軍事裁判所条例をモデルにした、とされる。 
1946年 - 日本放送協会(NHK)のラジオ番組『のど自慢素人音楽会』(現在の『NHKのど自慢』)が放送開始。 
1950年 - 日本社会党(現在の社会民主党[社民党]の前身)が第5回党大会で左派・右派に分裂。 
1952年 – フィリピンの首都マニラに隣接するモンテンルパにあるニュー・ビリビッド刑務所で、BC級戦犯とされた元日本軍兵士17名の死刑(絞首刑)が、教誨師の加賀尾秀忍立会いの下で執行される。このできごとがきっかけとなり、歌手、渡辺はま子の第二次世界大戦後最大のヒット曲『ああモンテンルパの夜は更けて』が、2名の日本人戦犯によって作詞、作曲される。
1960年 - 「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安全保障条約、昭和35年条約第6号)」に調印。形式的には「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安全保障条約、昭和27年条約第6号)」を失効させ、新たな条約として締約批准されたが、実質的には安保条約の改定と見做されている。この条約に基づき、アメリカ軍の日本駐留を引続き認め、いわゆる日米同盟の根幹をなす条約となる。 
1966年 - インド首相にインディラ・ガンディーが選出される。 
1968年 - アメリカ海軍の原子力航空母艦(空母)『エンタープライズ(CVAN/CVNー65)』が長崎県の佐世保港に寄港し、1月23日まで停泊する。 
1977年 - 東京ローズことアイバ戸栗ダキノ(「ラジオ・トウキョウ放送[現在のNHKワールド・ラジオ日本]」で連合国側向けプロパガンダ放送を行なっていたとされる、日系アメリカ人女性アナウンサー)が、アメリカ合衆国大統領ジェラルド・R・フォードの特赦により、アメリカ国籍を回復される。 
1978年 - ドイツの自動車メーカー、フォルクスワーゲン社が、42年間ものロングセラーであった小型車「ビートル」の国内生産を打切る。その後も海外での生産は続けられたが、2003年に総生産台数約2,153万台を達成して生産終了となる。発表以来、基本的な設計を変えずに2,000万台以上を生産した四輪乗用車は、他に存在しない。
1978年 - TBS系列の音楽番組『ザ・ベストテン』放送開始( - 1989年9月28日)。『ザ・ベストテン』は、毎週生放送で独自の邦楽ランキング上位10曲をカウントダウン形式で発表し、ランキングされた曲を歌手が披露する音楽番組で、最高視聴率41.9%を記録している。