1月16日 できごと その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

1556年 - フェリペ2世がスペイン王に即位。フェリペ2世は、スペイン帝国・スペイン黄金世紀の最盛期に君臨した偉大なる王で、絶対主義の代表的君主の1人とされている。その治世は、スペイン帝国の絶頂期に当たり、ヨーロッパ、中南米、アジア(フィリピン)に及ぶ大帝国を支配し、地中海の覇権を巡って争ったオスマン帝国(現在のトルコ共和国の前身)を退けて、勢力圏を拡大する。さらに、ポルトガル国王も兼ね、イベリア半島(ヨーロッパ南西部の半島)を統一すると同時に、ポルトガルが有していた植民地も継承する。その繁栄は、「太陽の沈まない国」と形容されている。フェリペ2世は、1584年には、日本から来た天正遣欧少年使節(九州のキリシタン大名、大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の名代としてローマへ派遣された、4名の少年を中心とした使節団)を歓待している。そこで示した愛想良く快活な振舞いは、普段の厳かで抑制的な態度と異なり、周囲を驚かせたという。1581年、ネーデルラント(現在のオランダに相当する地域)北部諸州は、フェリペ2世の統治権を否認する布告を出す。1588年には、フェリペ2世は北部諸州を支援しているイギリスを叩くため、「無敵艦隊」を派遣したが、アルマダの海戦で敗北する。フェリペ2世によって編成された強力な海軍、「無敵艦隊」は、新興のイギリス勢力に対抗するため、軍艦130隻、船員約8,000名の艦隊を組織させ、それに約19,000の陸軍兵力を乗組ませ、イギリス本土攻撃を企図したものである。これを迎撃するイギリス艦隊は、僅か約80隻に過ぎなかったが、イギリス艦隊とスペイン無敵艦隊との決戦は、機動力に富んだイギリス艦隊の大勝利に終り、スペインに帰国した戦艦は半数以下となる。スペイン「無敵艦隊」の大敗北により、制海権はイギリスの手に渡り、スペイン帝国の国際貿易や植民地経営は打撃を受け、スペイン帝国の国力の衰退を招くこととなる。
1581年 - イングランド議会が、ローマカトリック(カトリック教会)を非合法化する。 
1605年 - 近世スペインの作家、ミゲル・デ・セルバンテスの長編小説『ドン・キホーテ』前巻が、現在のスペインの首都マドリードで刊行される。『ドン・キホーテ』は、騎士道の妄想に憑かれたドン・キホーテと従者サンチョ・パンサが、旅先で巻起こす失敗や冒険の中に、理想と現実との相克等のテーマを織込んだ、近代文学の先駆的作品である。1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。ミゲル・デ・セルバンテスは、前編の序文の中で、牢獄の中でこの小説の最初の構想を得たことを仄めかしている。ミゲル・デ・セルバンテスは生涯において、何度も投獄されているが、現在のスペイン北中部に所在するバリャドリードで多くの家族を養いながら前編を書き上げ、1605年に現在のスペインの首都マドリードのファン・デ・ラ・クエスタ出版所から出版する。前編はたちまち大評判となり、出版した年だけで海賊版を含め6版を数え、1612年には早くも英訳が、1614年には仏訳が登場するが、作品の高い評価にも係わらず、版権を売渡してしまっていたため、ミゲル・デ・セルバンテスの生活は依然困窮している。後編は、1615年に同じくファン・デ・ラ・クエスタ出版所から出版され、前編と同様に大評判となったが、ミゲル・デ・セルバンテスは相変わらず貧しいまま、1616年に没している。前編は、ミゲル・デ・セルバンテスの短編集としての色合いが濃く、作中作「愚かな物好きの話」(司祭達が読む小説)、「捕虜の話」、「ルシンダとカルデーニオの話」等、ドン・キホーテとは直接の係わり合いのない話が多く挿入されている。また、前編の第一部(ドン・キホーテ単独の一泊二日の遍歴)も、1つの短編小説としての構成を持っている。後編では、この点を作者のミゲル・デ・セルバンテス自身が反省して、脱線を無くしている。
1610年 - 徳川家康の11男、松平鶴千代丸(後の徳川御三家の1つである水戸徳川家の祖、徳川頼房)が、常陸国水戸藩25万石に転封される。徳川頼房は、幼少時から長く、徳川家康が隠居していた駿府城(現在の静岡市葵区駿府城公園に所在)に居住し、徳川家康の死後、駿府から江戸に移った後もしばらく水戸藩領には赴かず、1619年10月、17歳の時に初めて就藩する。しかし、徳川頼房は、青年時代の殆どを江戸で過ごしており、水戸への就藩はその後もあまりない。これが先例となり、水戸藩主は基本的に、江戸常住である定府となっており、万が一の変事に備え、将軍目代の役目を受持っていた、とも言われる。
1707年 - スコットランド議会で1707年合同法が可決成立。これにより、グレートブリテン王国が成立する。イングランド王国(グレートブリテン島の南西に位置するウェールズ[旧ウェールズ公国]を含む)とスコットランド王国が合同して成立したグレートブリテン王国は、グレートブリテン島全体を支配した、歴史上最初の国家で、イングランド・スコットランド両国のこの合同は、現代まで続く連合王国(イギリス)の基盤となっている。1603年にステュアート朝のジェームズ1世(スコットランド王としてはジェームズ6世)がイングランドとスコットランドの国王を兼ねて以来、両国は同君連合の関係にあったが、アン女王時代の1707年合同法により、両国の議会は統一され、1つの国家となる。但し、1999年にスコットランドの自治拡大政策によって、スコットランド議会は復活することになる。 
1777年 - ニューコネチカット共和国(後のバーモント共和国、現在のアメリカ合衆国北東部、バーモント州)がイギリスからの独立を宣言。 
1780年 - アメリカ独立戦争: サン・ビセンテ岬の月光の海戦。
1876年 - 横浜に日本初のアイススケート場(氷すべり場)がオープン。 
1889年 - 水戸鉄道の小山駅 - 水戸駅間(現在の東日本旅客鉄道[JR東日本]水戸線全線・東日本旅客鉄道[JR東日本]常磐線の一部)が開業。水戸鉄道は1891年、日本鉄道に事業譲渡されて消滅する。なお、日本鉄道は日本初の私鉄であるが、1906年公布の「鉄道国有法(明治39年3月31日法律第17号)」により、同年11月1日に国有化される。
1906年 - ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が、北アフリカ北西部にあるモロッコ北端の港湾都市タンジールを訪問し、フランスのモロッコ進出を牽制したことによって生じた国際紛争、第1次モロッコ事件解決のためのアルヘシラス会議が始まる。
1911年 - 国鉄(日本国有鉄道、現在のJRグループ)が、車両称号規定を定める。 
1912年 - 陸軍軍人の白瀬矗率いる日本の南極探険隊が南極大陸(大陸と思われた地)に上陸し、その地点を「開南湾」と命名する。但し、この地点は棚氷(氷棚とも呼ばれる、陸上の氷河、又は氷床が海に押出され、陸上から連結して洋上にある氷)であり、大陸ではない。
1912年 - 概ね、現在の大阪市中央区難波に当たる難波新地で大火が発生し、4,576戸が焼失する。 
1919年 - 酒の製造や販売等を禁じたアメリカ合衆国憲法修正第18条(禁酒法)がアメリカ議会を通過。翌1920年に施行されるが、1933年に廃止となる。 
1920年 - フランスの首都パリで、国際連盟の第1回理事会を開催する。 
1920年 - アメリカ合衆国上院が、アメリカ合衆国の国際連盟への加盟を否決。 
1932年 - 第123代天皇、大正天皇の第二皇子、秩父宮雍仁親王の口添えで、ホテルオークラ(「老舗ホテル」の1つ)の創業者大倉喜七郎男爵が私財を投じて建設した、大倉山ジャンプ競技場が開場。北海道札幌市中央区宮の森に所在するスキージャンプの競技場(ラージヒル)、大倉山ジャンプ競技場は、サマージャンプやナイタージャンプが可能な設備を整えており、国内大会や国際大会を数多く開催している。
1938年 - 内閣総理大臣近衛文麿が「国民政府を対手とせず」の声明を出し、日中戦争和平交渉の打切りを宣言する(第1次近衛声明)。 
1940年 - 海軍軍人の米内光政が日本の第37代内閣総理大臣に就任し、米内内閣が成立する。 
1945年 - 第二次世界大戦: ドイツ国指導者兼首相(総統)アドルフ・ヒトラーが総統地下壕に移る。 
1947年 - ヴァンサン・オリオールがフランス第四共和政の初代大統領に就任。 
1947年 - 「皇室典範(大日本帝国憲法と同格の法規と見做されていた皇室の家憲[掟、決まりごと]で、法令番号[法令に対して識別のため個別に付される番号]はない)」が廃止され、新たに法律として制定された「皇室典範(昭和22年1月16日法律第3号)」が公布される。