1月13日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

0532年 - 東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(現在のトルコ北西部にある都市、イスタンブールの前身)で、ニカの乱(皇帝ユスティニアヌス1世に対する反乱)が発生。コンスタンティノープルの歴史の中で、最も暴力的な暴動となり、市街のほぼ半数が焼失、又は破壊され、数万名が殺害される。 
0888年 - パリ伯(現在のフランスの首都パリ周辺を統治していた支配者の称号)ウードが、西フランク王国(フランス王国の原型)国王に選出される。 
1392年 - 明徳の乱。室町幕府第3代将軍足利義満に挑発され、山陰地方を中心に勢力を持った守護大名の山名氏一族、山名氏清や山名満幸らが、室町幕府に対して反乱を起こす。1日の合戦で山名氏は敗れ去り、山名氏清は戦死し、山名満幸は後に殺され、山名氏の勢力は一時衰える。11ヶ国の守護(令制国[俗に「旧国名」と呼ばれる、日本国内を区分していた、古代の行政区画名]単位で設置された軍事指揮官・行政官)領国を誇っていた山名氏は、領国を僅か3ヶ国に減らされてしまい、一方では、足利義満が増強していた直轄軍の馬廻(奉公衆)は、この戦いで大いに働き、将軍権力の力を示している。その後も、足利義満は、第100代天皇、後小松天皇の代に、南朝の第99代天皇、後亀山天皇が吉野から京都に帰還して、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って退位した明徳の和約で、南北朝合一を成遂げ、1399年には、大内義弘を挑発して挙兵させて滅ぼし(応永の乱)、将軍権力を固めていく。一方、山名氏は、応永の乱では幕府方として活躍し、その戦功により(大内氏を牽制する意図を含めて)山名時熙に備後国、山名満氏に安芸国、山名氏利に石見国が与えられる。山名満氏と山名氏利の兄弟は、室町幕府に対して反乱を起こした山名氏清の遺児であったが、明徳の乱では足利義満の馬廻勢に加わっていた、山名氏清の甥に当たる山名時熙に匿われ、その後赦免を受けている。  
1602年 - イングランドの劇作家・詩人、ウィリアム・シェイクスピアが、喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』を発表。『ウィンザーの陽気な女房たち』は、同時代のエリザベス朝イングランド王国の中流階級の生活を扱った、ウィリアム・シェイクスピア唯一の「現代劇」である。 
1828年 - 加賀国/能登国/越中国加賀藩前田家の江戸藩邸上屋敷に、御守殿門(現在の東京大学本郷キャンパスの赤門)が建立される。 御守殿は、江戸時代において、律令制による位階が三位以上の大名に嫁いだ、徳川将軍家の娘の敬称である。また、その居住する奥御殿を指す。御守殿の門を御守殿門という。門を丹塗りにしたところから、表門の黒門に対して、御守殿門は俗に、赤門と呼ばれている。加賀藩前田家の江戸藩邸上屋敷の御守殿門は、現存する唯一の御守殿門(赤門)である。建築様式としては薬医門(鏡柱から控え柱までを取囲む屋根を持つもので、本来は公家や武家屋敷の正門等に用いられたが、扉をなくして医家の門として用いられたため、この名前がある)であり、切妻造(屋根形状の1つで、屋根の最頂部の棟から地上に向かって2つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根)となっている。左右に唐破風造(切妻[屋根の最頂部の棟から地上に向かい、2つの傾斜面が本を伏せたような山形の形状をした屋根]のむくり屋根[屋根の曲面形状が上方に凸となったもの]の先に曲線を連ねた形状の破風板[屋根の内部や屋根瓦の下に吹込む風を防止するための板]が付けられる)の番所を置いている。赤門は、国の重要文化財、旧国宝であり、転じて東京大学の俗称となっている。第二次世界大戦前における日本国内の大学の異称にも影響を与え、「○門」という異称を持つ大学を増やしたとされ、東京大学医学部が自ら名乗る異称である「鉄門(てつもん)」も、赤門に影響されて付けられた、と推測されている。テレビ等で赤門は、東京大学を紹介する際にも、東京大学の象徴としてよく背景に用いられる。
1847年 - アメリカとメキシコが、カフエンガ条約に調印し、米墨戦争(アメリカ・メキシコ戦争)のカリフォルニア(現在のアメリカ合衆国西部、カリフォルニア州)での戦いが終結する。 
1876年 - 東京でマイナス9.2度を記録(東京の最低気温記録)。
1898年 - ドレフュス事件: フランスの作家、エミール・ゾラが、反逆罪で逮捕されたフランス陸軍大尉アルフレド・ドレフュスの無実を新聞で主張する、公開状『私は弾劾する』を新聞に発表。 
1935年 - ヴェルサイユ条約(第一次世界大戦における、連合国とドイツの間で締結された講和条約)に基づいて国際連盟が管理した地域、ザール盆地地域(現在のドイツ南西部にあるザールラント州に相当)で住民投票が行なわれた結果、ドイツ復帰支持が多数を占める。 
1936年 - 舞踊集団『日劇ダンシングチーム(NDT)』が初公演。東京府東京市麹町区有楽町(現在の東京都千代田区有楽町)に所在する日本劇場でデビューした『日劇ダンシングチーム』は、演目「ジャズとダンス」で初公演し、『隠し砦の三悪人』や『モスラ』等の東宝映画やホームグラウンドである日本劇場で開催された音楽フェスティバル『日劇ウエスタンカーニバル』にも出演する。長らく群舞を中心とするスピーディーなショーで人気を得ていたが、1977年4月24日に定期公演を終了し、1981年2月15日、日本劇場の閉館と共に解散する。 
1945年 - 第二次世界大戦・独ソ戦: 赤軍(ソビエト連邦地上軍)がケーニヒスベルク(現在のロシア連邦の最西端で、飛び地のカリーニングラード)に到達、街を包囲する。 
1945年 - ソビエト連邦(現在のロシア)の作曲家・ピアニスト・指揮者、セルゲイ・プロコフィエフの『交響曲第5番』が、ソビエト連邦の首都モスクワで初演。『交響曲第5番』は、セルゲイ・プロコフィエフの作品の中でも、最も人気のある作品の1つとなっており、セルゲイ・プロコフィエフ自身も、「私の第5交響曲は自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌の意味を持っている」と述べている。
1945年 - 三河地震。愛知県南部の三河湾付近で、マグニチュード(M)6.8の直下型地震が発生。典型的なプレート内部の活断層による地震で、地表に断層が出現する。三重県津市で震度5(強震)を記録したが、震源に近い現在の西尾市等では、震度6(烈震、現在の震度階級では7[激震])であったとされる。死者2,306名、行方不明者1,126名、負傷者3,866名等の被害となり、1945年の第二次世界大戦終戦前後で、4年連続で1,000名を超える死者を出した4大地震(鳥取地震、昭和東南海地震、三河地震、昭和南海地震)の1つである。 
1946年 - 一部の閣僚の公職追放(連合国軍最高司令官総司令部[GHQ]の指令により、特定の関係者が公職に就くことを禁止されたこと)に伴ない、幣原喜重郎内閣が閣僚を入替える。 
1946年 - 高級たばこ「ピース」が発売される。10本入りで7円(現在の貨幣価値に換算すると、およそ3,500円程度になる)。 
1950年 - ベトナムの革命家・政治家のホー・チ・ミンが、ベトナム民主共和国(北ベトナム)の独立を宣言。 
1953年 - 第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビア(かつて南東ヨーロッパのバルカン半島地域に存在した国家の枠組み)に影響を与えたとされる政治家、ヨシップ・ブロズ・チトーが、ユーゴスラビアの大統領に就任する。 
1953年 - 医師団陰謀事件。ソビエト連邦共産党の機関紙『プラウダ』が「ユダヤ人医師らがソビエト連邦要人の毒殺を企てた」と報道し、ソビエト連邦史上の最大の反ユダヤキャンペーンに発展する。
1957年 - 昭和の歌謡界を代表する歌手・女優の1人である美空ひばりが、東京都台東区浅草にある『浅草国際劇場』(1982年に閉鎖)で、ファンに塩酸をかけられ負傷する。