1月11日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

0604年 - 第31代天皇、用明天皇の第二皇子で、天皇を中心とした中央集権国家体制の確立を図った飛鳥時代の皇族・政治家、聖徳太子(厩戸皇子)が冠位十二階の制度を制定。冠位十二階は、天皇が臣下のそれぞれに冠(位冠)を授け、冠の色の違いで身分の高下を表わすものである。前代の氏姓制度(中央貴族、次いで地方豪族が、国家[ヤマト王権]に対する貢献度、朝廷政治上に占める地位に応じて、朝廷より氏[ウヂ]の名と姓[カバネ]の名とを授与され、その特権的地位を世襲した制度)と異なり、氏ではなく個人に対して与えられ、世襲の対象にならない。豪族の身分秩序を再編成し、官僚制度の中に取込む基礎を作るもので、政治上の意義が大きかったとされる。かつて、冠位十二階は、摂政・皇太子の聖徳太子(厩戸皇子)の業績と見做されていたが、後には有力豪族で、天皇の補佐として執政を行なった大臣、蘇我馬子の関与が大きく認められるようになっている。 
1055年 - マケドニア朝東ローマ皇帝コンスタンティノス8世の三女テオドラが、東ローマ帝国皇帝に再即位する。テオドラは、1042年に姉のゾエと共に女帝として即位したが、ゾエとテオドラは仲が悪く、うまく帝国を統治できなかったため、僅か約2ヶ月後に退位している。ゾエは、元老院(皇帝の諮問機関)議員であったコンスタンティノス・モノマコスと結婚し、皇帝コンスタンティノス9世モノマコスとして即位させる。コンスタンティノス9世モノマコスは1055年に病死したため、 テオドラが女帝として再び即位するが、その翌年の8月31日に病気となり、数日の内に死去してしまう。テオドラには嗣子がなかったため、ここにマケドニア王朝の血筋は断絶している。
1172年 - 武士としては初めて太政大臣(最高国家機関である太政官の長官[最高職])となった平清盛の長女、平徳子(後の建礼門院徳子)が、後白河法皇(第77代天皇、後白河天皇が譲位・出家して引続き政務に当たっていた時[院政]の称号)の養女として入内(儀礼を整えて正式に内裏[天皇の私的区域]に入ること)する。 
1547年 - 室町幕府第12代将軍足利義晴の嫡男、足利義輝が、近江坂本(現在の滋賀県大津市に所在)の地で、室町幕府第13代将軍に就任する。 足利義輝は将軍就任当初、足利義藤を名乗るが、1554年に名を義輝に改めている。近畿地方や四国東部に勢力を展開し、安定した秩序を維持していた三好長慶は、足利義輝と長年敵対するが、1558年に和解し、幕府の主導者として、幕政の実権を掌握する。足利義輝は、幕府権力と将軍権威の復活を目指すものの、1565年、三好長慶の死後に台頭した三好三人衆(三好氏の一族・重臣、三好長逸、三好宗渭、岩成友通の3人)らに襲撃されて殺害される。
1696年 - 大坂千日前(現在の大阪市中央区千日前)で、商人の赤根屋半七と遊女の美濃屋三勝が心中。竹本三郎兵衛・豊竹応律の合作人形浄瑠璃(日本の伝統芸能である人形劇)『艶容女舞衣』の題材となる。 
1787年 - イギリスの天文学者・音楽家・望遠鏡製作者(ドイツ北部、ハノーファー出身)、ウィリアム・ハーシェルが、太陽系第七惑星、天王星の2つの衛星、第3衛星チタニアと第4衛星オベロンを発見する。21世紀初頭現在、天王星には27個の衛星が発見されており、天王星の5大衛星の1つであるチタニアは、赤道面での直径が約1,577.8kmと、天王星の衛星の中で最も大きい。同じく天王星の5大衛星の1つであるオベロンは、赤道面での直径が約1,522.8kmと、天王星の衛星の中ではチタニアに次いで大きい。 
1851年 - 太平天国の乱。中国清朝で、宗教家・革命家の洪秀全が率いる集団が武装蜂起。 
1861年 - 南北戦争: アラバマ州がアメリカ合衆国を脱退。 
1877年 - 官営鉄道(国鉄[日本国有鉄道]の前身、現在のJRグループ)の建設・運営母体が、工部省(近代国家のための社会基盤整備と殖産興業を推進した中央官庁)鉄道寮から工部省鉄道局へと改組。1885年に工部省が廃止されると、鉄道局は内閣の直属となる。後に内閣鉄道院が新設され、1920年には鉄道省に昇格。さらに、1943年には戦時体制に伴なう官庁統廃合の一環として逓信省と合併し、運輸通信省に改組され、1945年には逓信事業(郵便・貯金・保険・電信・電話)を分離して運輸省(現在の国土交通省の前身の1つ)に改組される。
1878年 - 静岡県の管轄下にあった、伊豆半島の南東方向、伊豆大島から孀婦岩までの間にある100余りの島嶼からなる伊豆諸島の中の、伊豆大島(大島)、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の七島、伊豆七島が、東京府(現在の東京都の前身)に移管される。 
1879年 - ズールー戦争勃発。ズールー戦争は、大英帝国(イギリス帝国)とズールー王国(現在の南アフリカ共和国東南部に所在)との間で戦われた戦争である。大英帝国植民地当局の思惑により、本国政府の意向から離れて開戦したものの、大英帝国軍は緒戦のイサンドルワナの戦いで、槍と盾が主兵装で火器を殆ど持たないズールー王国軍に大敗を喫して思わぬ苦戦を強いられる。その後、大英帝国各地から大規模な増援部隊が送込まれ、大英帝国軍が勝利して、ズールー王国の独立は失われる。 
1908年 - グランド・キャニオン国定公園を設置。グランドキャニオン国立公園は、アメリカ合衆国の最も古い国立公園の1つであり、アメリカ合衆国南西部、アリゾナ州の北西部に位置している。公園内には、コロラド川の峡谷であるグランドキャニオンがあり、これは大自然の驚異の1つとされている。1919年2月26日には国立公園に指定される。この公園の誕生は、環境保護運動の初期の成功例である。
1913年 - チベット(現在の中華人民共和国西南部に所在)の政府、ガンデンポタンと、東アジア北部に位置するモンゴルのボグド・ハーン政権(大モンゴル国)が、「チベット・モンゴル相互承認条約」を締結する。 
1919年 - 中央ヨーロッパに位置するハンガリーの領土となっていたトランシルバニア(東ヨーロッパに位置する、現在のルーマニア中部と北西部の歴史的地名)が、ルーマニアに併合される。 
1920年 - 北海道夕張郡夕張町(現在の北海道夕張市)にある新夕張炭鉱で爆発事故が発生。死者36名、負傷者23名を出す。
1922年 - 血糖値(血液中のグルコース[ブドウ糖]濃度)が病的に高い状態である糖尿病の患者に、世界で初めてインスリン(主として血糖を抑制する作用を有するホルモンの一種)が投与される。当時14歳であった1型糖尿病患者に、世界で初めてインスリンの投与が行なわれたが、これは、精製方法が未熟であったこともあり、患者にひどいアレルギー反応(免疫反応が特定の抗原に対して過剰に起こること)が出たため中断されている。その後、投与量等の改善が施され、1月23日に再び投与が行なわれる。その際には、副作用を引起こすこともなく、糖尿病の症状を取除くことにも成功している。
1923年 - フランス軍とベルギー軍が、ドイツの第一次世界大戦賠償支払の遅延を理由に、ルール鉱工業地帯(現在のドイツ中西部に所在する、ドイツの重工業を牽引した地方)を占領する。 
1930年 - 金解禁(金輸出解禁)。濱口雄幸内閣が金輸出を解禁し、金そのものを貨幣として実際に流通させる金本位制に復帰する。第一次世界大戦以前の主要国は、殆どが金本位制を取っており、兌換紙幣を自由に金に交換することが可能であったが、第一次世界大戦勃発後、金の国外流出が危惧されるようになり、1917年9月10日にアメリカ合衆国が金への兌換の一時停止と輸出禁止を発表する。2日後の9月12日には、日本政府も「金貨幣又ハ金地金輸出取締ニ関スル件(大正6年9月12日大蔵省令第28号)」を出して金輸出の許可制を導入する。実際には許可が出されることはなく、事実上の輸出禁止となっていたが、国際協調を重視して、金輸出の解禁に踏切った訳であるが、翌年には金輸出再禁止が決定され、日本の金本位制の歴史は幕を閉じることとなる。 
1930年 - 聖徳太子の肖像の、日本銀行兌換券乙号券(新百円札)が発行される。