1月9日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

宵戎。
十日戎の前日のことを、宵戎という。十日戎は、1月10日、及び、その前後の1月9日、1月11日に行なわれる戎社の祭礼である。西日本では一般的で、俗称は「えべっさん」。商売繁盛の神として親しまれる、戎(恵比寿)神(「えびす様」)を奉り、参詣者が商売繁盛を願う。大阪では江戸時代の昔から、毎年1月9日は宵戎に、小魚(雑魚)を始めとする大衆魚を扱う魚市場、雑喉場(ざこば)魚市場(現在の大阪市西区京町堀周辺に所在した)が戎神にゆかり深い大鯛(雌雄一対)を今宮戎神社(現在の大阪市浪速区恵美須西に所在)に奉献して、大漁と商売繁盛を祈願することが吉例になっていた。明治時代から昭和時代前期にかけては、最も盛大に美しく飾った献鯛行列が厳粛に繰広げられていた。現在では、雑喉場魚市場の流れを継承する民営の卸売市場、大阪木津卸売市場(通称は木津市場で、現在の大阪市浪速区敷津東にある)の人々によって、十日戎献鯛神事が奉納されている。三百年来の由緒ある古式に合わせて、縁起の良い鯛の初セリも、今宮戎神社の境内で賑々しく行なわれている。大阪市中央区の道頓堀川に架かる心斎橋筋・戎橋筋の橋、戎橋は、今宮戎神社への参詣の道筋に架けられたことから、「戎橋」の名が付けられた。江戸時代には、毎年の十日戎に、市中の人々は皆この橋を渡って、戎さんに詣り、往き帰りの群衆で橋上は大へん賑わった、とされる。17世紀末から18世紀初頭、江戸時代の元禄期頃になると、十日戎の祭礼を彩る宝恵駕の奉納も行なわれるようになり、今日と同じような祭礼が成立している。宝恵駕も、宝暦の頃には現在にみられる形式が整備される。宝恵駕行列はその昔、南地(現在の大阪市中央区に所在した花街[舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性、芸妓を呼んで楽しむことのできる区域])の芸奴が、船場(大阪市中央区の地域名で、大阪市の中心業務地区に当たり、 大坂の町人文化の中心となっていた)の旦那さん達の代わりに、「えべっさん」に商売繁盛祈願に向かったことに端を発する伝統行事である。現在は、ミナミ(大阪市中央区と浪速区に跨る繁華街の総称)で商いを営む人々や有名芸能人、福娘(今宮戎神社が毎年選ぶ、福を呼込みそうな、福の神のような女性)達等が駕篭に乗込み、華々しく今宮戎神社まで練り歩く。十日戎の3日間に亘って配布、又は販売される笹が福笹で、何の変哲もない笹であるが、これに併売される縁起物の小物類(小槌・小判・千両箱・まねき猫等のレプリカグッズ)を取付け、その年の商売繁盛を願う。 笹は無料配布か、有償でも100円程度での販売となるが、この小物類を付ければ付ける程運気が上がるという説があり、1つ当たり、500円から3,000円程度のものが多いながら、笹中に付けると10,000円を軽く越すこともある。なお、購入した福笹は1年保管し、1年経った次の年の十日戎に返す。諸神社のお守りのように、福笹の返却口も設けられる。 十日戎において、神社内やその周辺を中心に謳われる文句が「商売繁盛で笹持ってこい」で、文字通り、「1年経った笹を持ってもう一度おいで」という意味である。これには、「商売のますますの繁盛のために、次の年も笹と縁起物を買ってほしい」という意味も込められている。他に縁起物として、熊手等も販売され、地味に熊手の方が高いこともある(1つで5,000円や10,000円等)。熊手は、農業や庭の掃除に使われる、短い歯を粗い櫛状にならべた棒を、垂直に柄に取付けた農具で、様々な変形がある。熊手は、枯れ葉を集めたり、干し草をかき寄せたり、土を柔らかくしたり、平らにならしたり等、様々な用途に使われる。現代的な熊手は、歯が鋼鉄(炭素を0.04%から2%程度含む鉄の合金)、プラスチック等で作られているが、かつては、木や鋳鉄(鋼鉄よりも炭素を多く含む鉄の合金)で作られていたものもあった。柄は、多くは竹製か金属パイプでできている。竹製のもの等、伝統的な形の熊手は、歯の部分が長く、扇子のような形で作られていることもある。日本では、幸運や金運を「掻き集める」という意味を込めて、商売繁盛の縁起物として、熊手を飾ることがある。主に毎年11月の酉の日に神社で開催される酉の市(鷲や鳥に因む寺社の年中行事として知られ、関東地方を中心とする祭り)、十日戎等で販売され、毎年、昨年度の物より大きい物を購入することが、商売繁盛等に繋がる、とされている。
ジャマイカ ブルーマウンテンコーヒーの日。
関係機関、及び輸出業者との協力により、輸入ジャマイカコーヒーの品質の維持向上や、秩序ある流通を図ることを目的とする団体、ジャマイカコーヒー輸入協議会が、2018(平成30)年に制定。日付は、ジャマイカ産コーヒーが、ジャマイカの首都キングストンの港より、日本向けに初めて1,400袋(1袋は約60Kg)もの大型出荷をした、1967(昭和42)年1月9日から。ジャマイカ産コーヒーの最大の需要国、日本と、ジャマイカとの関係を大切にし、ジャマイカ産コーヒーの名物である「ブルーマウンテンコーヒー」のさらなる普及が目的。南北アメリカ大陸に挟まれた、カリブ海の大アンティル諸島の洋上に位置する島国で、イギリス連邦王国(イギリス連邦[イギリスとその植民地であった独立の主権国家から成る、緩やかな国家連合]の加盟国であって、グレートブリテン=北アイルランド連合王国[イギリス]の王座にある者を自国の国王として戴く主権国家)の島国、ジャマイカは、アメリカ合衆国、カナダに続き、アメリカ州(南北の両アメリカ大陸、及び、カリブ海やグリーンランドを含む周辺の島嶼・海域)で3番目に英語の話者が多い国でもある。ブルーマウンテン・エリアは、ブルーマウンテン山脈の標高約800mから約1,200mの範囲にある。1953(昭和28)年、ジャマイカ政府は法律によって、このエリアと他のエリアとの間に、はっきり境界線を引くと同時に、「ブルーマウンテン」の名称は、ブルーマウンテン・エリア以外で生産されたコーヒーに使用してはならない、と定めた。従って、この選ばれた地区でできたものだけが「ブルーマウンテンコーヒー」と呼べる。美味しいコーヒーの3つの条件、香り、味、コクが、完璧なまでにバランスのとれた上質な味わいのブルーマウンテンは、手仕事ならではの逸品で、正にコーヒーの伝統工芸品と言える。コーヒーの中でも、樽詰めで輸出されるのはブルーマウンテンだけで、他のコーヒーは麻袋詰めで輸出される。18世紀中頃から後のイギリスの植民地時代に、イギリスから船積みされた、小麦粉等の空き樽を再利用し、コーヒーやラム酒等を入れて出荷したことが始まりと言われている。ブルーマウンテン樽は、アメリカの温帯林の木材で、匂いがない。樽詰するメリットは、木が内外の湿気を吸収・放出することによって、大きな変化を与えず、また、輸送時等に発生する急激な温度変化を緩和する。コストも手間も掛かるが、樽は、最高級コーヒーの品質を保持するための重要な役割を担っている。ジャマイカ産のブルーマウンテンコーヒーは、かなり高価なコーヒーとなっており、喫茶店等で一般向けに出すにも数が出ないため、置くことが極めて困難な豆とも言われ、その約80%以上が日本に輸出されている。 
青々忌。
俳人、松瀬青々の1937(昭和12)年の忌日。大阪市東区(現在の大阪市中央区北部・東部に相当する)出身の松瀬青々は、俳人・歌人の正岡子規に賞賛され、俳句雑誌『ホトトギス』の編集係に就く。後に、現在の朝日新聞大阪本社版の前身に当たる大阪朝日新聞社に入社して、会計部に務めながら俳句欄選者を担当する。さらに、俳句雑誌『倦鳥』を創刊・主宰し、関西俳壇で俳人・作家の高浜虚子に師事した、ホトトギス派の俳人として重きを成した。初期には、日本三大俳聖の1人で俳諧師・画家、与謝蕪村に傾倒して天明調(松尾芭蕉の句風である蕉風への復帰を唱えて興った俳風)の句を詠んたが、後には江戸時代前期の俳諧師、松尾芭蕉に傾倒し、その研究に努めた。古季語、難季語を意欲的に詠んだ点も特筆される。古典によく通じ、漢詩や古典の気に入った詩句に思いを寄せることで句を作り、これを「字がらみ作句法」と称した。また、独自の俳画を切開き、個展も開いている。1937(昭和12)年1月9日、狭心症により死去。行年69歳。