1月6日 記念日 その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

出初式(東京消防出初式)。
日本の消防関係者により、1月初旬に行なわれる仕事始めの行事で、新春恒例行事の1つであり、「出初式」は新年の季語となっている。江戸時代の江戸(現在の東京)では火事が頻発したため(江戸の火事)、江戸幕府によって、消防組織である火消が制度化されていった。まず、制度化されたのは、武士による火消(武家火消)であり、1643(寛永20)年、大名に課役として消防を命じた大名火消が制度化された。しかし、1657(明暦3)年に発生した明暦の大火では火勢を食い止めることができず、江戸城天守閣を含む江戸の大半が焼失、約3万から約10万と推計される犠牲者を出し、江戸の歴史上最大の被害となった。そのため、明暦の大火翌年の1658(万治元)年、江戸幕府直轄の新たな消防組織として定火消が制度化された。4,000石以上の旗本から4名(秋山正房・近藤用将・内藤政吉・町野幸宣)が選ばれ、臥煙(がえん)と呼ばれる火消人足と共に、火消屋敷(消防署の原型)に居住し消防活動を担当することとなった。翌1659(万治2)年1月4日(旧暦)、老中の稲葉正則に率いられた定火消4組が、上野東照宮(現在の東京都台東区上野恩賜公園内にある神社)に集結し気勢を上げた。この行動は出初と呼ばれ、明暦の大火後の復興作業に苦しんでいた江戸の住人に対し大きな希望と信頼を与えた。以降、毎年1月4日に上野東照宮で定火消による出初が行なわれるようになり、次第に儀式化していった。出初は大名火消によっても行なわれ、派手な装束と勇壮な活躍で知られた加賀鳶(加賀国/能登国/越中国加賀藩前田家が江戸藩邸で抱えていた各自火消[大名火消])の出初では、梯子の曲乗りが衆目を集めた。1718(享保3)年、江戸南町奉行の大岡忠相が主導し、町人による消防組織である町火消が制度化された。1720(享保5)年には江戸の町を20町から30町毎に分けて1組とし、隅田川から西を担当する「いろは組」47組(後に1組増加して「いろは四十八組」となる)と、東の本所(現在の東京都墨田区本所)と深川(現在の東京都江東区深川)を担当する16組の火消組合が設けられた。町奉行の支配下に置かれ、町人地の消防を担当するために設けられた町火消であったが、その能力が認められるに従って活動範囲を拡大し、武家地を始め米蔵・橋梁等の重要地の消防が命じられ、江戸城の火事にも出動するようになった。武士による火消に遅れて誕生した町火消にも、新年に定火消が行なっていた出初の風習が伝わり、これに倣って仕事始めの儀式が行なわれた。武家火消の出初に対し、町火消の行なった仕事始めの行事は、区別のために文字を逆にして初出と称している。町火消は、毎年1月4日にそれぞれの組を象徴する纏(江戸時代に町火消の各組が用いた旗印の一種)を掲げて組内の町を練歩き、梯子乗りや木遣り歌を披露した。明治維新後、1875(明治8)年1月4日に第1回東京警視庁消防出初式が行なわれ、1899(明治32)年には「消防出初式順序」が制定された。なお、東京警視庁は、東京の警察を管轄する内務省(地方行政・警察・土木・衛生等の国内行政を担っていた中央官庁で、現在の総務省、国家公安委員会、警察庁、国土交通省、厚生労働省等の前身に当たる)の地方官庁で、東京以外の府県警察部は知事が管轄していたが、東京に関しては、内務省が直接警視庁を置き統制下に置いた。1948(昭和23)年に内務省の地方官庁としての警視庁は廃止され、警視庁は国家地方警察東京都本部と東京23区を管轄する、現在の警視庁等の自治体警察に再編された。1880(明治13)年、東京消防庁の前身となる消防本部が誕生した。1894(明治27)年には、消防組規則が制定され、それまでは各市町村の条例により、或いは私的に設けられていた日本各地の消防組織に代わり、警察署長が監督する官設消防組が全国的に組織されることとなった。1899(明治32)年、消防出初式順序が制定され、慣例で行なわれていた出初式に警視庁訓令による規定が設けられた。東京での出初式は、1916(大正5)年から1月6日の開催となった。1929(昭和4)年1月6日には第124代天皇、昭和天皇臨席の下、特設消防隊と全国消防組の親閲式が行なわれている。1939(昭和14)年、現在の消防団の前身となる警防団が誕生。警防団は、戦争に備えて防空や水火消防を担当することとなり、消防組は警防団に吸収されてその役割を終えた。東京での出初式は、1940(昭和15)年から帝都消防検閲式と改称され、1月15日に日本陸軍代々木練兵場(現在は東京都渋谷区に所在する代々木公園となっている)で開催されることとなった。帝都消防検閲式は、模擬火災に焼夷弾を使用する等、戦時色が濃厚であった。1945(昭和20)年と1946(昭和21)年の出初式は戦争の影響で行なわれず、第二次世界大戦後初となる出初式は、名称を帝都消防出初式と改め、1947(昭和22)年1月15日に開催された。その1947(昭和22)年には、「消防団令(昭和22年9月1日勅令第185号)」により警防団が廃止されて、各市町村が任意に設置する消防団が誕生した。1948(昭和23)年、「消防組織法(昭和22年12月23日法律第226号)」と「消防法(昭和23年7月24日法律第186号)」が施行され、消防は警察から独立して市町村が管理する自治体消防が誕生、消防機関は常備消防である消防本部と、非常備消防である消防団の2種類となった。東京では、消防本部として東京消防庁が誕生し、翌1949(昭和24)年1月15日には東京消防出初式が開催された。東京消防庁の消防署員らが消防動作の型等を演習・披露する行事、東京消防出初式は、1953(昭和28)年から1月6日の開催となり、開催場所を東京都千代田区皇居外苑にある皇居前広場(国民公園として開放されている、皇居外苑の代表的な広場)、東京都新宿区霞ヶ丘町・東京都港区北青山(一部)にある明治神宮外苑、東京都中央区晴海にある晴海埠頭、東京都江東区有明にある東京国際展示場(愛称:東京ビッグサイト)と変更しながら、現在は東京国際展示場(東京ビッグサイト)で、毎年1月6日に行なわれている。観閲式は、警察や消防、自衛隊、海上保安庁等において実施される式典、及び総合訓練で、諸外国の観兵式に相当する。出初式は、消防の観閲式となっている。自衛隊の観閲式は、駐屯地(陸上自衛隊の部隊、又は機関が所在する施設)、基地(飛行場を伴なう大規模な用地を保有している航空自衛隊の基地や、海上自衛隊の港湾・陸上施設群、航空基地等)の創立記念や方面隊・師団・連隊等、各部隊の創隊記念に行わなれる記念式典である。主に、国民や地域住民等に対して、自衛隊の活動に理解を得るためや、周辺国に対する牽制の意味で行なわれる。東京都を管轄する警察組織、警視庁は、「警視庁年頭視閲式」と呼ばれる、年頭行事(消防出初式のような性格をもつ行事)を開催している。機動隊を始め、交通機動隊、機動捜査隊、公安機動捜査隊、特科部隊(警視庁音楽隊カラーガード・警視庁鼓隊、警察犬部隊、騎馬隊)等が参加し、2018(平成30)年)は、1月12日に2,200名規模で実施された。消防出初式では、消防音楽隊の演奏も行なわれる。消防音楽隊は、音楽の演奏を通じて市民と消防との融和を図り、消防活動の広報に当たるための、消防吏員(消防官)等によって編成されている部隊である。殆どが、軍楽隊と同様の吹奏楽の形式を採用しているが、一部、金管楽器だけで編成されている音楽隊も存在する。1949(昭和24)年7月16日、旧日本海軍軍楽隊のメンバーを主体に、23名で東京消防庁音楽隊が発足したのが、日本の消防音楽隊の始まりである。消防音楽隊の内、音楽活動を専門とする専務隊は、東京消防庁や政令指定都市の12都市に置かれている。残りの消防本部の音楽隊(約150隊)は、消防の通常業務を兼ねている兼務隊である。入隊に際して、実技(楽器演奏)選考を課す隊もある。兼務隊の中には、消防団員を消防吏員と共に、音楽隊員として採用している部隊もある。大阪市消防音楽隊は、2007(平成19)年度をもって、政令指定都市では初の廃止となったが、この廃止には、日本全国からの反対署名が多く寄せられた。