1月5日 できごと その1 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

1477年 - ブルゴーニュ戦争: ナンシーの戦い。現在のフランス北部にあるロレーヌ公国の都市ナンシー郊外で、スイス傭兵の力を借りたロレーヌ公ルネ2世と戦ったブルゴーニュ公シャルルが戦死し、ブルゴーニュ戦争が終結する。ブルゴーニュ公国(フランス東部からドイツ西部にかけて存在した国)が消滅し、ブルゴーニュ公の本領とその他の公領は、フランスに併合される。
1649年 - 幼くしてブルボン朝フランス王国の国王に即位していたルイ14世が、フランス王国の首都パリから脱出する。同日、三十年戦争(ドイツとスイスでの新教派[プロテスタント]と旧教派[カトリック]との対立から始まり、ドイツ以外のデンマーク、スウェーデン、フランス、スペイン等、ヨーロッパ中を巻込む国際戦争へと発展した)の勇者として知られるブルボン朝フランス王国の貴族・軍人、コンデ公ルイ2世に指令が出され、パリ市包囲が開始される。ルイ14世はその後、1661年に親政を開始し、中央集権と重商主義政策を推進した他、対外戦争を積極的に行ない、絶対君主制を確立する。約72年もの在位期間はフランス史上最長であり、「中世以後の国家元首として最長の在位期間を持つ人物」として、ギネス世界記録(イギリスの出版社、ギネスワールドレコーズが、地球上のあらゆる世界一を探求し、認定・登録してきた記録集)にも認定されている。 
1757年 - フランスの元軍人、ロベール=フランソワ・ダミアンが、フランス王国の国王ルイ15世の暗殺未遂事件を起こす。
1895年 - ドレフュス事件: ドイツのスパイとして有罪判決が下ったフランス陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスが、不名誉除隊の上で、南アメリカ北東部のフランス領ギアナにある小さな島、デビルズ島(ディアブル島)に終身禁錮となる。 
1904年 - 大阪朝日新聞(現在の朝日新聞大阪本社版の前身)に1面コラム『天声人語』が登場する。『天声人語』は、別の題名となった時期を挟みながら、1世紀以上に亘って継続して掲載されている。最近のニュース、話題を題材にして朝日新聞の論説委員が執筆し、社説とは異なる角度から分析を加えている。特定の論説委員が、一定期間「天声人語子」として匿名で執筆している。なお、見出しは付けられていない。 
1905年 - 日露戦争: 日本軍の第3軍(旅順要塞の攻略を目的として編成させた軍)司令官乃木希典陸軍大将と、ロシア軍の旅順要塞司令官アナトーリイ・ステッセリ陸軍中将が、中国清朝の遼寧省(現在の中国北東部に所在)大連市旅順の水師営(中国清朝の艦隊隊員の駐屯地)で会見する。 
1914年 - アメリカ合衆国中西部、ミシガン州ディアボーン(デトロイトの近郊都市)に本社を置く世界有数の自動車メーカー、フォード・モーター社が、従業員の8時間労働と日給5ドルの最低賃金導入を発表。 
1914年 - 静岡県田方郡戸田村(現在の静岡県沼津市戸田)舟山沖で、駿河湾汽船の貨客船『愛鷹丸』が強風に煽られて沈没。乗客乗員合わせて121名が死亡する惨事となる。生存者は25名で、定員26名の小型木造船に、その約5倍もの乗客を乗せていたことが、この惨事に繋がったとされる。 
1919年 - ドイツ労働者党(国家社会主義ドイツ労働者党[ナチス]の前身)が結成される。
1919年 - スパルタクス団蜂起。1915年から1918年まで存在した、ドイツの急進主義的なマルクス主義(プロイセン王国[現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国]出身で、イギリスを中心に活動した哲学者・思想家・経済学者・革命家、カール・マルクスとドイツの社会思想家・政治思想家・革命家、フリードリヒ・エンゲルスによって展開された思想をベースとして確立された、社会主義思想[個人主義的な自由主義経済や資本主義の弊害に反対し、より平等で公正な社会を目指す思想]体系の1つ)者らによる政治団体、スパルタクス団は、ヨーロッパの社会民主主義(自由競争市場経済や資本主義経済により発生する、労働者の貧困、失業等の問題を、議会や政府の管理と介入により軽減・解決し、実質・実態としての政治的・経済的・社会的な公正や、機会平等、人権保護、環境保護、国際協調と国際社会との共生を追求する、社会主義思想、民主主義思想の1つ)政党の中核的存在で、ドイツ現存最古の国政政党であるドイツ社会民主党(SPD)の分派として誕生し、ドイツ共産党(アドルフ・ヒトラーを首相とするドイツの内閣、ヒトラー内閣成立後の1933年に解散させられている)の前身となる。同様に、ドイツ社会民主党(SPD)からから離党した勢力によって結成された社会主義政党、ドイツ独立社会民主党(USPD)の党員で唯一要職にあった、ドイツの首都ベルリンの警察長官エミール・アイヒホルンが、当時のドイツの統治を担当していた「人民の代理委員会」によって解任される。エミール・アイヒホルンは解任を拒否し、警察の建物に立籠もってしまう。スパルタクス団に率いられた武装した労働者達が、ベルリンにある新聞社の編集事務所を閉鎖し、通信施設を占拠した上で、通りにバリケードを築く。間もなく、更に多くの労働者が加わり、ドイツ社会民主党(SPD)の機関紙「前進」の事務所等のベルリン中心部の新聞社街の通りを数ヶ所封鎖する。この新聞は、9月初めからスパルタクス団を敵視する記事を印刷していたという。ドイツ社会民主党(SPD)党首フリードリヒ・エーベルトは、武力鎮圧を決し、ドイツ義勇軍に労働者への攻撃を命じる。ドイツ義勇軍に参加していた元兵士らは、依然として第一次世界大戦からの武装をしており、恐るべき優位に立っていて、労働者達が占拠していた通りや建物を急速に奪還する。労働者達の多くが降伏し、また、多くの労働者が射殺され、数知れない市民もこの戦闘の巻添えとなり死亡する。一連の暴動による死者は、ドイツ全国で数千名に達した、と言われる。
1925年 - 政治家で、アメリカ合衆国西部、ワイオミング州知事であったウィリアム・ロスの妻、ネリー・ロスが、ウィリアム・ロスの任期半ばでの病死後、亡夫を継いでワイオミング州の州知事に当選して就任。アメリカ合衆国の歴史上、初めての女性州知事となる。なお、全米で初めて、女性参政権付与と女性州知事輩出を成遂げたことから、ワイオミング州は、「平等州」と呼ばれることがある。 
1927年 - 東京の大日本相撲協会(現:日本相撲協会)が、江戸時代から大正の末まで大阪に存在した相撲の興行組織、大阪大角力協会を合併する。大坂(現在の大阪)商人の後援等を背景に、18世紀後半までは江戸相撲(後の東京相撲)を凌ぐ程の隆盛を誇った大坂相撲は、その後、徐々に相撲の本場の座を江戸に奪われることになる。明治時代には、大阪相撲協会が結成されたが、東西の格差は広がってしまい、実力は低下の一途を辿る。東西の合併が議論されるようになったが、大阪側が東京に吸収される形になるのを嫌い、東京側も既得権益について譲らず、条件面での妥協点がなかなか見出せずに終わる。1925年、当時の皇太子、摂政宮裕仁親王(後の第124代天皇、昭和天皇)が東京相撲を台覧(皇族が直接観戦すること)、奨励金を下賜したことは、大きな転機になる。下賜金から摂政宮賜杯(現在の天皇賜杯)を作成した東京相撲側は、大阪相撲側に対して大きなイニシアティブを握ることになり、公式に「摂政宮賜杯を東京相撲の力士だけで独占するのは忍びない、ぜひ大坂相撲の力士にも持つ機会を与えたい」と大阪側に告知し、東西合併を強力に推進する。1925年には東西合同に関しての原則合意が取交わされ、同年11月から1926年にかけて、番付を統合すべく、技量審査のための東西合同の興行が都合3度行なわれ、それを参考にして、1927年1月の番付は編成され、また、この合同興行で、不戦勝の制度が初めて試みられる。1926年1月には、台湾北部の台北(現在の中華民国の首都)で大阪相撲最後の本場所が開催されている。大阪相撲の歴史はこうして幕を閉じることになったが、現在でも、時津風、三保ヶ関等の名跡や、後援者を指す「タニマチ」等の隠語に、その名残を残している。 
1933年 - アメリカ合衆国西海岸、カリフォルニア州の北部に位置する都市、サンフランシスコのサンフランシスコ湾と、太平洋が接続するゴールデンゲート海峡に架かる吊り橋『ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)』の建設が開始される。主塔の間の長さ(中央径間、支間)が1,280m、全長2,737m、主塔の高さは水面から227mで、1937年に完成した『ゴールデンゲートブリッジ(金門橋)』は、1964年にニューヨークのヴェラザノ・ナローズ橋が完成するまで、スパン世界一の吊橋であった他、スパン世界一であった期間が記録に残っている中で最も長かった(27年)橋でもある。 
1939年 - 枢密院(天皇の諮問機関)議長の平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命され、平沼騏一郎内閣が発足する。
1939年 - 福井県三方郡北西郷村(現在の福井県三方郡美浜町の北西端に当たる)の沖合でブリ漁を行なっていた伝馬船(木造の小型和船)2隻が転覆し、漁師55名が行方不明となる。
1940年 - 雪山登山中の北海道大学山岳部部員が、北海道の中央南部にある山脈、日高山脈中部のペテガリ岳(標高1,736m)8合目付近で雪崩に遭遇し、8名が死亡する。