1月5日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

いちごの日(いちご世代の日)。
1月5日の「1」と「5」で、「いち(1)ご(5)」の語呂合せから。全国いちご消費拡大協議会が 「いい(1)いち(1)ご(5)」の語呂合わせで、1月15日を「いちごの日」としているが、これは果物のいちご(ストロベリー)の記念日である。「いちごの日(いちご世代の日)」は、果物のいちご(ストロベリー)ではなく、15歳という世代を表現した「いちご族」を意味するもので、高校受験を間近にして、人生の転機の1つを迎えたこの世代にエールを送る日、とされる。記念日の制定者は定かではないが、学習塾が冬休み中の生徒のやる気を出させるために制定した、とも言われる。1971(昭和46)年から1974(昭和49)年までのベビーブーム(主に特定の地域で、一時的に新生児誕生率[出生率]が急上昇する現象)に生まれた世代で、第二次ベビーブーム世代とも呼ばれる団塊ジュニアは、毎年200万名以上生まれた世代であり、世代人口は第1次ベビーブームの団塊の世代(1947[昭和22]年~1949[昭和24]年生まれ)に次いで多い。団塊ジュニアという名称ではあるが、厚生労働省の人口動態統計(1年を通して厚生労働省が集計・公表を行なう出生・死亡・死産・婚姻・離婚の集計)によると、両親の約70%が第二次大戦前、又は第二次大戦中に生まれており、団塊の世代を両親に持つ者は全体の約30%である。団塊ジュニアはイチゴ世代とも呼ばれるが、この世代が1980年代後半に15歳を迎えた時期に使われた語である。最も広義では、1970年代生まれの世代を「団塊ジュニア」と呼ぶ。これは、第二次ベビーブームに当たる1970年代前半生まれと、団塊の世代の子どもの中心に当たる1970年代後半生まれを一括している。団塊ジュニアが生まれた時期は、石油ショックによって高度経済成長が収束し、安定成長期に移行し始めた時期であった。小学校時代に当たる1980年代前半は、校内暴力が深刻化していた時期で、学校では管理教育の締付けが強まり、いじめや不登校が社会問題となった。また、学校週5日制はまだ実施されておらず、授業内容も多かったため、「落ちこぼれ」も社会問題となっていた。その一方で、「末は博士か大臣か」という高学歴者は勝ち組になれるという信仰がまだまだ根強く、「受験戦争」と呼ばれる程の入学試験等の競争を強いられた。この世代は、1980年代に実施されたゆとりカリキュラムで学んだ世代であり、ゆとり教育を受けた世代であると言える。成人、及び卒業、就職の前後で、1991(平成3)年3月から1993(平成5)年10月までの景気後退期、いわゆるバブル崩壊に直面した。この為、大学卒業者の全てが就職氷河期に遭遇し、高校卒業後の受験戦争と相互経験から「不運の世代」とも呼ばれている。他方で、専門学校、短大の卒業者や高卒者は、バブル景気の恩恵を受けて、多くが就職している。団塊ジュニア世代は自室を所有し、家庭のシングル化の中で育った。団塊ジュニア世代が15歳を迎えた1980年代後半には、テレビ、ラジカセ、ミニコンポ、電話等、情報機器の占有も珍しいものではなくなり、10代の内から多くの情報に触れることが容易になった。ファストフードやコンビニエンスストア等も普及し、家族と一緒に暮らしていても1人で食事を摂る若者が増えていった。また、オタク第二世代(1970[昭和45]年前後生まれ)の後半に重なり、アニメ、漫画、コンピューターゲームといった1980年代の若者文化を担った。1990年代には、団塊ジュニア世代が壮年期を迎え始める2000年代に「第三次ベビーブーム」を起こすという希望的な予測が立てられ、また、1990年代から2000年代にかけては、マスコミや広告代理店が団塊ジュニア世代の人数の多さを当込んで企業が乱立したブライダル産業やベビー産業等とも絡んで、団塊ジュニア世代の、特に女性層をターゲットに、結婚・出産へと煽り立てる様な広告戦略を盛んに繰返した。しかし、実際には、出産適齢期である20代後半が完全に「失われた20年」(日本経済が安定成長期終焉後である1991[平成3]年2月から約20年以上に亘り低迷した期間)に巻込まれてしまった為(中でも、1997[平成9]年のアジア通貨危機に端を発する、北海道拓殖銀行や山一證券の経営破綻を始めとする金融不安に伴なう影響が最も大きかった)、結婚できない者や、結婚しても子どもを産まない者が増え、ベビーブームが起こるどころか、2000(平成12)年から2005(平成17)年まで、出生数が減少するという事態が起きてしまった。中でも、この世代の人口が集中している首都圏程未婚率が高く、出生率も低い。
遺言の日。
東京都港区赤坂に所在し、さまざまな社会問題の解決に取組む、公益財団法人日本財団が制定。相続のトラブルを少なくできる遺言書の作成の普及が目的。日付は、1月5日の「1」と「5」で、「遺言(い[1]ご[5]ん)」と読む語呂合わせと、この時期は正月で家族が集まる機会も多く、遺言について話し合えることから。なお、「4」と「15」で「ゆ(4)い(1)ご(5)ん」の語呂合わせから、4月15日が「遺言の日」、「11」と「15」で「い(1)い(1)遺言(い[1]ご[5]ん)」と読む語呂合わせから、11月15日が「いい遺言の日」とされている。遺言とは、日常用語としては形式や内容に係わらず、広く故人が自らの死後のために遺した言葉や文章をいう。日常用語としては、「ゆいごん」と読まれることが多いが、法律用語としては「いごん」と読まれることが多い。「民法(明治29年4月27日法律第89号)」上の法制度における遺言は、死後の法律関係を定めるための最終意思の表示をいい、法律上の効力を生じせしめるためには、「民法」に定める方式に従わなければならないとされている。遺言がない場合は、「民法」が相続人の相続分を定めているため、これに従って遺産を分けることになる。これを法定相続と称し、その相続人のことを法定相続人と称する。本来、相続とは、被相続人の財産を承継することであり、被相続人自身が自ら築いた財産の行方については、被相続人自身が決めることとなる。また、それを尊重するのは当然のことで、遺言とは、被相続人が亡くなる前に、その最終の意思表示を形にし、死後に実現を図るものである。相続問題で起こる遺産争いを未然に防ぐためには、遺言は重要な要素となる。
初水天宮。
水天宮の初縁日。水天宮は、福岡県久留米市瀬下町にある水天宮(久留米水天宮)を総本宮とした、日本全国にある神社である。仏教の神(天部)である「水天」の信仰は、神仏習合(日本土着の神祇信仰と仏教信仰が混淆し、1つの信仰体系として再構成[習合]された宗教現象)時代には「水」の字繋がりで「天之水分神(あめのみくまりのかみ)・国之水分神(くにのみくまりのかみ)」と習合していた。「水分神(みくまりのかみ)」は本来、子どもとは関係なかったと思われるが、「みくまり」の発音が「みこもり(御子守り)」に通じるというので「子育て」の神、子どもの守り神として信仰されるようになった。水天宮は、水と子どもを守護し、水難除け、農業、漁業、海運、水商売、また、安産、子授け、子育てについて信仰が厚い。水天宮の縁日は毎月5日(5日・15日・25日とすることもある)であるが、犬のお産が軽いことに因み、戌の日(十二支の11番目に当たる、12日に1度巡ってくる日)は安産祈願の人で賑わう。なお、「戌」の字は、十二支の11番目や旧暦9月(新暦10月)等を指し、「作物を収穫し纏める」という意味や、「滅の字と同意で草木が枯れる状態」を表わしているとされる説があり、どちらも本来の「イヌ」とは何ら関係のない文字である。元々、十二支や歴月、方角や時刻に用いられていた「戌」が、後に十二支を庶民に浸透させる目的で12種類の動物を割当てた際、「戌」=「イヌ」となり、今に至ったと言われる。