1月5日 記念日 その4 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

紬(つむぎ)の日。
奄美の基幹産業である本場奄美大島紬への認識を高め、大島紬の振興で豊かな街作りを推進するため、また、鹿児島県名瀬市(現:鹿児島県奄美市)では、この日に成人式を行なうことから、市民がこぞって紬を着用し、その良さを再認識することを目的に、1978(昭和53)年から始められた。紬とは、紬糸で織られた絹織物で、木綿を素材とするものもある。紬の生地を縫製した和服を指す場合もある。絹糸は、繭の繊維を引出して作られるが、生糸を引出せない品質のくず繭を潰して真綿にし、真綿より糸を紡ぎ出したものが紬糸である。くず繭には、玉繭、穴開き繭、汚染繭が含まれ、玉繭とは、2頭以上の蚕が1つの繭を作ったものをいう。紬糸は手で撚りをかけるため太さが均一ではなく、玉繭から作られる糸は、2本の糸が複雑に絡まっており、節の多い糸になる。これを玉糸や節糸ともいう。また、紬糸には、綿を解いて紡いだいわゆる木綿糸もある。これらの糸を平織りした布が紬の生地である。紬糸は緯線(横)・経線(縦)の両方に使用する場合と、片方に使用する場合がある。本繭から作る絹糸を用いた布の表面が絹独特の光沢を帯びるのに対し、紬は鈍い光沢を放ち表面に小さなこぶが生じ、独特の風合いを持つ。耐久性に非常に優れ、古くから日常の衣料や野良着として用いられ、父から子へと数代に渡って着繋がれた。しかし、織りたてでは生地が硬く着心地がよくないため、裕福な商人は番頭等に自分の紬を着せて柔らかくなった所で自分で着用したという話もある。色合いが渋い上に、絹なのに絹らしい光沢を持たない、さりげなく趣味の良さを主張できる粋な反物として人気を博した。そのため、農村の若い女性にとっては大切な収入源となったが、紬の名産地米沢(山形県の米沢盆地周辺)の女性達は、丹念に織り上げた布を出荷する夜には別れを惜しみ「米沢の女は紬を抱いて寝る」とも言われた。織るのに手間が掛かることもあって、現代では着物好きの人が趣味的に着用する衣装として、高額で取引されている。野良着であったことから、材質が絹であっても正装に用いてはならないとされ、外出着、若しくはお洒落着として用いられることが多いが、近年では、略正装程度であれば用いる場合がある。大島紬は、鹿児島県南方の奄美群島の主島である奄美大島の特産品で、手で紡いだ絹糸を泥染めしたものを手織りした平織りの絹布、若しくは、絹布で縫製した和服である。大島の通称、又は略称で呼ばれる。最も古い記録では、1720(享保5)年、薩摩国/大隅国薩摩藩の指示により、島役人以外の紬着用を禁じている。そのため、それ以前より生産が行なわれていたと考えられ、黒砂糖と共に藩の重要な財源であった。
シンデレラの日。
1956(昭和31)年にアメリカ合衆国の女優、グレース・ケリーが、モナコ公国の大公レーニエ3世と婚約した日。同1956(昭和31)年4月18日、モナコ大公宮殿で法的な結婚式が行なわれ、翌4月19日、モナコ大聖堂(サン・ニコラ大聖堂)において、カトリック式の挙式が行なわれた。これらの模様は、ヨーロッパ諸国で生中継された。モナコ公国は都市国家であり、首都モナコ市がそのまま全領土となる、世界で2番目に小さいミニ国家で、国際連合加盟国の中では世界最小である。フランス南東部、地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置する。カジノやF1モナコグランプリ、世界ラリー選手権(WRC)ラリー・モンテカルロが開催されることで知られる。モナコ公国の近くに高級リゾート地と知られるカンヌがあり、毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地となっているが、モナコ公国大公レーニエ3世は、そのカンヌ国際映画祭でグレース・ケリーと知合った。グレース・ケリーは、同時代のアメリカの女優マリリン・モンローの、明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的な、気品に満ちたそれが「クール・ビューティー」と賛美された。人気絶頂の最中、モナコ公国大公レーニエ3世と結婚し、女優業から引退した。童話の1つで、また、その主人公の名でもあるシンデレラは、古くから広い地域に伝わる民間伝承である。城で王子に見初められ、妃として迎えられる、というのが大筋の話で、それを元に、惨めな境遇から、ちょっとしたことがきっかけで成功を掴んだ人(特に女性)を「シンデレラ」、出世譚を「シンデレラ・ストーリー」と呼ぶようになった。グレース・ケリーは裕福な家に生まれ、1955(昭和30)年には「映画界最高の栄誉」とされるアカデミー主演女優賞を受賞しており、人気絶頂の最中に結婚している。しかし、少女時代はおとなしく、赤い頬の人前に姿を現すのが苦手な子どもで、3人姉妹の中でも、真ん中のグレース・ケリーが1番不器用であったという。グレース・ケリーは1957(昭和32)年、長女の妊娠をマスコミに悟られないよう、カメラを向けられた際、妊娠中の腹部を持っていたフランスの皮革製品メーカー、エルメス社の鞄「サック・ア・クロワ」で隠したところ、その写真が雑誌に掲載され、一躍その認知度が高まった。エルメス社ではこれに便乗して、モナコ公国の許可を得て、「サック・ア・クロア」を「ケリーバッグ」と改称した。
ホームセキュリティの日。
日本で初めての警備保障会社として1962(昭和37)年に創業し、日本に「安全産業」を創出したセコム株式会社が制定。東京都渋谷区神宮前に本社を置く警備保障会社、セコム株式会社が、1981(昭和56)年1月5日に発売した家庭用安全システム「マイアラーム」(現:「セコム・ホームセキュリティ」)は、2014(平成26)年6月に契約数が100万軒を突破。現在では、「ホームセキュリティ」という言葉は、一般的な用語として定着している。この記念すべき日を通して、家庭の「安全・安心」を見直してもらうことが目的。なお、セコム株式会社が、創立50周年の記念の年となる2012(平成24)年に、社名のセコムに因み、7月5日、6日を「7(セ)」「5(コ)」「6(ム)」と読む語呂合わせから制定した「セコムの日」は、7月5日と7月6日とされている。ホームセキュリティシステムとは、家庭用の総合防犯システムである。屋内外に設置した防犯センサーが侵入者等を感知すると、大音量で泥棒を威嚇したり、 センサー異常を電話回線等の通信回線を通じて、各登録先や責任者の携帯電話等へ自動的に緊急連絡するシステムで、通常の操作は、外出する時はセンサーを作動(警戒モード)して出掛け、 帰宅した時は解除して入室、の繰返しとなる。 強盗対策等で、夜間にセンサーを動かした状態で就寝することもできる機種や、台所や日常的に火を扱う場所に火災センサーを設置し、異常を監視する機能を持つ機種等も出ており、非常通報ボタンを押して、外部へ異常を通報することもできる。操作方法は、カード方式、無線リモコン方式、暗証番号方式等、様々となっている。セコム株式会社は、通常「日本初の警備保障会社」と見做されることが多いが、より厳密には、1962(昭和37)年3月23日設立の「日本船貨保全株式会社(現:株式会社大日警)」がより早い、という見方も可能である(セコム株式会社の前身である日本警備保障株式会社の設立は同年7月7日)。但し、株式会社大日警は近年まで、主として港湾地域のみで業務を行なってきたことから、「総合的な警備保障会社」としては、セコム株式会社を「日本初」と評価することが一般的となっている。日本で初めて警備会社が誕生した頃は、仕事の受注がなく苦労を重ねたが、警備業が大躍進するのは、1964(昭和39)年の東京オリンピック(第18回オリンピック競技大会)の選手村の警備や、1970(昭和45)年の日本万国博覧会(大阪万国博覧会)会場の警備を、日本警備保障株式会社や綜合警備保障株式会社(コーポレートブランドは「ALSOK」)等が行なったことが挙げられる。また、1965(昭和40)年から1971(昭和46)年にかけて、TBSで放送されたテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』のヒット等により、徐々に警備業という業種や警備員という職業が、社会的認知を受けるようになっていった。当時は警備員の名称が定まっておらず、「警務士」「夜警」等の名称が混在していたが、このドラマにより、「ガードマン」(和製英語[英語に似ている和製外来語]である)という名称が、広く認知されるようになった。また、冒頭での「警備と保障を業務とし、大都会に渦巻く犯罪に立向かう勇敢な男達の物語である」というナレーションも評価が高かった。