1月2日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

書初め。
年が明けて初めて書や絵を書く(描く)、日本の年中行事の1つ。現在は、一般的には1月2日に行なわれるが、昔は旧暦の1月2日に行なわれていた。吉書(きっしょ)、試筆(しひつ)、初硯(はつすずり)、筆始(ふではじめ)等ともいう。若水(邪気を除くと信じられた、元日の朝に始めて汲む水)で墨を摺り、恵方(陰陽五行説[中国古代の宇宙観、世界観で、陰陽説と五行説が結合したものであり、陰陽説は宇宙の現象事物を陰と陽との働きによって説明する二元論、五行説は万物の根源を木火土金水の5元素に置き、それらの関係、消長によって、宇宙は変化するという自然論的歴史観]の概念を軸に、陰陽説と密接な関係にある天文学・暦学・易学等の自然哲学を付随させ、さらに、神道・仏教・修験道・禁呪道に影響を受けたことで、日本独自の思想・呪術体系として発展していった陰陽道で、その年の福徳を司る神、歳徳神の在する方位で、その方角に向かって事を行なえば、万事に吉とされる)に向かって詩歌を書く習慣があった。書く詩歌は、「長生殿裏春秋富、不老門前日月遅」という漢詩(中国の伝統的な詩)がよく用いられた。元々、宮中で行なわれていた儀式であったが、江戸時代以降に庶民にも広まった。書初めで書いたものを左義長(小正月[概ね1月15日]に行なわれる火祭りの行事)で燃やし、その炎が高く上がると字が上達すると言われている。毎年1月5日には、東京都千代田区北の丸公園にある武道館『日本武道館』(奈良県生駒郡斑鳩町にある寺院、法隆寺の夢殿[奈良時代の建立の八角円堂]をモデルにした八角形の意匠で、大屋根の稜線は富士山をイメージしており、日本伝統の武道を普及奨励し、心身錬磨の大道場としての役割を担うことを設立趣旨とするが、武道以外の屋内競技場、多目的ホールとしても利用される)で、日本武道館の管理運営者、公益財団法人日本武道館が主催する書道事業の行事として、「全日本書初め大展覧会 席書大会」が約4,000名を集めて催され、全国的に各種メディアで放映される。これは、新年の風物詩の1つにもなっている。平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家、菅原道真を祭神とする神社、天満宮は、菅原道真が優れた学者であったことから、「学問の神様」ともされ、各所の天満宮で、新春書初め大会や神前書初めが行なわれる。京都市上京区御前通今出川上ル馬喰町に所在する北野天満宮は、福岡県太宰府市宰府に所在する太宰府天満宮と共に、天神信仰(菅原道真を「天神様」として畏怖、祈願の対象とする神道の信仰)の中心で、北野天満宮から全国各地に勧請(本社の祭神を他所で祀る際、その神の神霊を分けたものを分霊と呼び、分霊を他の神社に移すことが勧請で、神道では、神霊は無限に分けることができ、分霊しても元の神霊に影響はなく、分霊も本社の神霊と同じ働きをする、とされる)が行なわれている。近年は、学問の神として多くの受験生等の信仰を集めている。北野天満宮では毎年、書道の神として崇敬されている祭神、菅原道真を偲び、書道の上達を祈願した後、 絵馬所で神前書初め(天満書)が行なわれている。1月2日の「筆始祭(ふではじめさい)」の後、1月4日までの3日間に亘り、書初めを奉納して書道上達を祈願する。古来、「天神様」の神前で書初めを行なうことを「天満書」といい、新年に当り、天満宮の神前で書初めを行ない、書道の上達を願う訳である。  
月ロケットの日。
1959(昭和34)年1月2日、月面に衝突させることを目標として打上げられた、ソビエト連邦(現在のロシア連邦の前身)の月ロケット「ルナ1号」が、月から逸れて太陽を公転する軌道に乗り、世界初の人工惑星「メチタ」となった。人工惑星とは、人工衛星が惑星周回軌道を廻る衛星軌道にあるのに対して、太陽(恒星)を周回する公転軌道上にあるものを指す。太陽を観測する探査機の一部がこの軌道に投入される他、近接フライバイ(探査機が探査しようとする惑星の軌道に入らずに、接近して通り過ぎながら、画像撮影や他の実験を行なう場合の飛行)観測を終了した(或いは、周回軌道投入に失敗した)惑星探査機がそのまま人工惑星となる例も多い。宇宙開発を積極的に進めていたソビエト連邦は、宇宙開発競争の一環として、月を目標にし、1958(昭和33)年以降は、月に探査機を着陸・衝突させることを目的とした無人月探査計画、ルナ計画を行なっていた。その4回目となるルナ1号は、月着陸まで至らなかったものの、1月4日に月の近傍約5,995kmを通過し、人類初の人工惑星となった。当初、宇宙開発競争において、アメリカ合衆国の一歩先を進んでいたソビエト連邦は、この計画によって、月探査計画でもアメリカ合衆国に先んじることとなった。アメリカ合衆国は、ルナ2号の月面到達や、ルナ9号の月面着陸によって、非常に危機感を覚えたという。しかし、アメリカ航空宇宙局(NASA)による、人類初の月への有人宇宙飛行計画、アポロ計画の成功(全6回の有人月面着陸に成功しており、アポロ計画[特に、月面着陸]は、人類が初めて、かつ現在のところ唯一、有人宇宙船により、地球以外の天体に到達した事業となり、これは宇宙開発史において画期的なできごとであっただけではなく、人類史における科学技術の偉大な業績としても引用されることがある)によって立場は逆転した。日本初の人工惑星は、日本の宇宙科学の研究を主に行なう機関で、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の一部である大学共同利用機関(大型測定機器や高速計算機等、非常に高額で、大学単独では購入することが難しい研究施設を整備し、或いは、貴重な文献や資料を収集保存することによって、学術研究の発展・振興に資するという、国家政策に基づく研究機関)、宇宙科学研究所(ISAS)が、1985(昭和60)年1月8日に打上げた惑星間空間探査機『さきがけ (MSーT5) 』である。『さきがけ (MS-T5) 』は、約76年周期で地球に接近する短周期彗星で、多くの周期彗星の中で最初に知られた彗星であり、古来多くの文献に記録されているハレー彗星の探査を行なう宇宙探査機であった。1986(昭和61)年3月11日には、国際協力による探査機群「ハレー艦隊」の一員として、ハレー彗星に約699万kmまで接近し、彗星付近の太陽風(太陽から吹出す極めて高温で電離した粒子)磁場やプラズマ(気体を構成する分子が電離し、陽イオンと電子に分かれて運動している状態)を観測した。1987(昭和61)年に、日本の探査機としては初の地球スイングバイ(天体の万有引力を利用して、宇宙機の運動方向を変更する技術)を行なって軌道を変更し、1992(平成4)年1月7日から1月9日にかけての地球スイングバイ(最近接距離約8万km)で、日本の探査機として初めて、地球磁気圏の尾部から頭部へと突抜ける磁気圏断面観測を行なっている。1992(平成4)年の地球スイングバイによって、更に軌道を変更した『さきがけ (MS-T5) 』は、地球と並走して太陽を公転する軌道に投入され、以降の『さきがけ (MS-T5) 』は、時折、地球の引力圏内(約150万km)に入りながら、地球からの距離を約4,000万km以内に保ち、太陽風と地球磁気圏との相互作用の観測を行なった。1999(平成11)年1月8日、探査機の送信機が停止され、『さきがけ (MS-T5) 』は、運用を終了している。