12月26日 できごと その2 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

1776年 - アメリカ独立戦争: トレントンの戦い。 
1793年 - プロイセン王国(現在のドイツ北部からポーランド西部にかけての地域を領土とした王国)の王族ルートヴィヒ・フォン・プロイセンと、メクレンブルク=シュトレーリッツ(ドイツ北部に存在した公国)の公女フリーデリケ・フォン・メクレンブルク=シュトレーリッツが結婚する。 
1805年 - フランスとオーストリアが、講和条約であるプレスブルクの和約に調印。フランス第一帝政皇帝ナポレオン1世が、北イタリアやバイエルン(現在のドイツ南東部からオーストリアにかけての地域)へ侵攻したオーストリア軍を破ったことで、ナポレオン1世と神聖ローマ皇帝フランツ2世(オーストリア皇帝フランツ1世)が、オーストリア領内のプレスブルク(現在は、中央ヨーロッパの内陸に位置するスロバキア共和国の首都ブラチスラヴァ)で和平交渉に入り、講和条約により、オーストリアはイタリア王国を承認すると共に、イタリア王国にヴェネツィア(現在のイタリア共和国北東部に位置する)を割譲している。 
1825年 - デカブリストの乱。ロシアで起きた反乱事件で、デカブリストとは、武装蜂起の中心となった貴族の将校達を指す。ロシア史上初のツァーリズム(皇帝専制)と農奴解放を要求した闘争と位置付けられ、以後のロシアにおける革命運動に大きな影響を与える。 
1854年 - 豊予海峡地震。豊予海峡(大分県の関崎と、愛媛県の佐田岬によって挟まれる海峡)を震源として、マグニチュード(M)7.4のプレート内地震(スラブ内地震)が発生。2日前に発生した安政南海地震と被害地域が重なるため、現存する記録からは、いずれの地震による被害か、区別は困難である。
1887年 - 薩長藩閥(明治維新後、有力な特定藩の出身者が政府の要職を独占して結成した、政治的な派閥)政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障等の要求を掲げた、自由民権運動を弾圧するための法律「保安条例(明治20年12月25日勅令第67号)」が公布・施行される。労働運動を取締まる為の「治安警察法(明治33年3月10日法律第36号)」や、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取締まる為の「治安維持法(大正14年4月22日法律第46号、後に全面改正され、昭和16年3月10日法律第54号となる)」と並んで、第二次世界大戦前日本における、弾圧法の1つとされる。集会・結社の自由を規制した「集会条例(明治13年4月5日太政官布告第12号)」同様、秘密の集会・結社を禁じる。また、内乱の陰謀・教唆、治安の妨害をする恐れがある、とされた自由民権派の人物が、「保安条例」第4条の規定に従って、皇居から3里(約11.8km)以外に退去させられ、3年以内の間、その範囲への出入りや居住を禁止される。12月28日までに、思想家・ジャーナリスト・政治家の中江兆民ら570名に、東京市外(皇居から3里[約11.8km])以外への退去を命令する。 
1889年 - 両毛地域と呼ばれる、栃木県南西部から群馬県南東部に至る平野部の諸都市を結ぶ路線、両毛鉄道が全通。1906年に国有化された後、栃木県小山市の小山駅から群馬県前橋市の新前橋駅までを結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)両毛線(路線距離84.4km)の前身となる。元々、この地域で盛んに生産されていた生糸や、桐生織に代表される織物の輸送のために建設された路線であったが、現在では、地元の通勤通学客の利用が中心となっている。沿線の主要な都市に立寄るように建設されたため、平野部を走る路線でありながら路線は大きく蛇行しているが、それでも沿線の都市間アクセスには利点がある。 
1898年 - ポーランド出身の物理学者・化学者、マリー・キュリーが、フランス科学アカデミー(フランス国立の学術団体)の研究報告で、ラジウム(ウラン鉱の副成分として産出するアルカリ土類金属の1つで、放射線を出す元素)の単離に成功したと発表。
1909年 - 日本初のループ線駅、かつ、日本唯一のループ線・スイッチバックを併せ持つ駅で、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の、熊本・宮崎県境の国見山地を越える高低差が430mある、山線と呼ばれる険しい区間に位置する大畑駅が開業。大畑駅は、開業当時に走っていた蒸気機関車のために設けられた、信号所と給水所としての役割が大きかった駅で、現在でも駅の周りには人家がなく、大畑の集落に出るには、徒歩で1時間近く掛かる。鹿児島本線所属駅として鉄道院(鉄道国有化により設置された鉄道行政の中央官庁で、現在の国土交通省・JRグループの前身)が開設。1927年10月17日、海岸ルート(川内本線)全通に伴ない、熊本県八代市の八代駅から、熊本県人吉市の人吉駅を経由し、鹿児島県霧島市の隼人駅に至る、肥薩線所属に変更される。 
1925年 - 西アジアのアナトリア半島(小アジア)と東ヨーロッパのバルカン半島東端の東トラキア地方を領有するトルコで、グレゴリオ暦を導入する。 
1933年 - 神奈川県横浜市で、自動車製造株式会社(現在の大手自動車メーカー、日産自動車株式会社)が設立される。翌1934年、日産自動車株式会社に商号変更するが、1944年に日産重工業株式会社と商号を変更する。第二次世界大戦後の1949年、再度、商号を日産自動車株式会社と変更している。なお、日本初の国産自動車メーカー、快進社は、1914年に純国産自動車の1号車「脱兎号(DAT CAR)」を登場させている。1918年に株式会社化された後、合資会社ダット自動車商会、ダット自動車製造株式会社を経て、小型車部門と商標「ダットサン」は、自動車製造株式会社に継承され、それ以外の部門は、株式会社東京石川島造船所(後の、重機等の重工業において、日本を代表する企業の1つ、石川島播磨重工業株式会社の前身の1つで、現在の株式会社IHI)傘下の「石川島自動車製造所」と合併し、自動車工業株式会社(現在のいすゞ自動車株式会社)となる。
1933年 - FM(周波数変調方式と呼ばれる、電波の強さは一定で、周波数を変化させて音を伝える変調方式)ラジオの特許が取られる。 
1934年 - 日本初のプロ野球球団「大日本東京野球倶楽部」が設立される。現在の読売ジャイアンツ(読売巨人軍)の前身であり、日本に現存する12球団の中で最も歴史が長いプロ野球球団となっている。
1943年 - 第二次世界大戦: 北岬沖海戦。ドイツの戦艦『シャルンホルスト』が、イギリスの戦艦『デューク・オブ・ヨーク』を主力としたイギリス艦隊に捕捉撃沈される。
1944年 - 第二次世界大戦: ミンドロ島沖海戦。フィリピン中部、ミンドロ島のアメリカ軍に対する攻撃計画で、日本海軍の作戦名は礼号作戦。重巡洋艦『足柄』、軽巡洋艦『大淀』、及び駆逐艦6隻からなる日本艦隊が、ミンドロ島沖にいるアメリカ軍の上陸船団を攻撃する。この戦闘で日本側の作戦は成功し、第二次世界大戦の太平洋戦線における、日本海軍の組織的戦闘での最後の勝利、とも言われる。しかし、戦況の大局には大きな影響は与えていない。なお、ミンドロ島沖海戦に参加した日本艦隊を率いたのは、現場叩上げの指揮官として、第二次世界大戦対米英戦の海上戦闘で数々の武勲を立て、特に、「奇跡の作戦」と言われた『キスカ島撤退作戦』(北部太平洋上、アリューシャン列島にあるキスカ島からの守備隊撤収作戦)を指揮し、5,000名余りの日本軍将兵の無血撤退を成功させた事績で名高い、木村昌福少将(最終階級は海軍中将)である。木村昌福の敵味方を問わず、常に人命を疎かにしなかったこと、慎重、且つ的確な指揮統率を行ない、正しい判断を下す判断能力、そして、運の強さは、身内の日本軍よりもむしろ、第二次世界大戦後になってから、敵手たるアメリカ海軍関係者や軍事研究家から高い評価を受けている。 
1945年 - フランスの海外領土で、新しい通貨、CFPフラン(南太平洋にあるフランスの海外共同体、フランス領ポリネシアの通貨)とCFAフラン(フランス領西アフリカ、及び、中部アフリカのフランス領赤道アフリカを中心とする多くの国で用いられる共同通貨)を創設する。 
1949年 - 今市地震。栃木県今市市(現在の栃木県日光市)鶏鳴山付近を震源とする内陸地殻内地震で、8時17分(規模は、マグニチュード[M6.2])と8時24分(規模は、マグニチュード[M6.4])の地震が、8分の間隔をおいて続けて発生する。当時はまだ、限られた市町村にしか震度観測点がなく(周辺では日光市と宇都宮市のみ)、震度計で観測された最大震度は震度4(中震)であったが、震源に近い今市市付近では、震度6(烈震)程度の揺れであったと推定されており、死者10名、負傷163名、倒壊家屋や山崩れ多数等、甚大な被害が発生している。