12月26日 記念日 その3 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

プロ野球誕生の日/ジャイアンツの日(さらに、続き)。
対戦成績では、中日ドラゴンズとの勝率の方がむしろ悪く、リーグ優勝やクライマックスシリーズ(日本国内で「プロ野球」を統括する一般社団法人、日本野球機構[NPB]が2007[平成19]年シーズンから導入したポストシーズンゲーム[リーグ戦の成績上位チームによる順位決定トーナメント])優勝を争うことが多々ある。親会社の関係からも、愛知県名古屋市に本社を置く中日新聞社を親会社とする中日ドラゴンズとも、宿命のライバル対決等と称されることがある。中でも、1994(平成6)年のシーズン最終戦で東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)と中日ドラゴンズが同率首位で並び、勝った方が優勝が決まる「10.8決戦」は、プロ野球中継歴代最高視聴率48.8%を記録し、現在でも名勝負・最高の試合と語られている。それでも、対阪神タイガース戦が伝統の一戦と表現されるのは、単純な勝敗を超えて、第二次世界大戦前の野球ファンの注目の的となった「沢村栄治 vs 景浦將」に始まり、「ミスタータイガース・村山実 vs ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄」「奪三振王・江夏豊 vs 本塁打王・王貞治」「ミスタータイガース・掛布雅之 vs 巨人のエース・江川卓」といった人気選手同士の真剣勝負等、日本を代表する人気球団同士のライバル関係も、同時に示しているからである。なお、2003(平成15)年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)が、リーグ優勝した阪神タイガースに18シーズン振りに負越して以降は、阪神タイガースの巻返しが見られるようになり、2003(平成15)年から2005(平成17)年までは2リーグ分裂後初めて、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)が3年連続で阪神タイガースに負越しており、また、2009(平成21)年から2011(平成23)年までは3年連続でタイとなっていた。2012(平成24)年以降は、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)が6年連続で阪神タイガースに勝越している。日本野球機構(NPB)が日本プロ野球の選手契約等の手続きを定めた協約、日本プロフェッショナル野球協約(野球協約)第38条に書かれている、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の構成球団は「株式会社読売巨人軍」、球団呼称は「読売ジャイアンツ」となっている。日本野球機構(NPB)所属球団は、球団呼称の内の企業名の部分が、略称として各種メディアで使われているが、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)については例外的に、「読売」ではなく「巨人」が一般的な略称とされている。これは、球団名が「東京巨人軍」であった時代から使われていた略称(当初は、「東京セネタース」や「大東京軍」という東京を名乗るチームが他にもあったため、「東京」ではなく「巨人」が略称とされたのは当然である)が「読売ジャイアンツ」になった後も、慣習としてそのまま使われ続けているものである(なお、本球団を指して「巨人」と言った場合、アクセントは「きょじん」の「きょ」に置かれる)。「巨人」という略称は、テレビ、新聞、ニュースサイト、チケットの印字等で幅広く用いられる。なお、これらのメディアにおいて、一文字で球団名を略する場合も、「読」ではなく「巨」となる。 一方、日本野球機構(NPB)では、公式な略称として「読売」を使用することがある。一般的な略称とは異なり、「東京ヤクルト」「横浜DeNA」「広島東洋」というように、機械的に球団名からニックネーム部分を省いたものを略称としているためである。東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の初代マスコットはミスタージャイアンツで、ペットマークとして、当時のジャンパーの右胸部分に大きいワッペンが貼付けられていた。ミスタージャイアンツは、長嶋茂雄の太い眉、王貞治の大きな目、川上哲治の太鼓腹がモチーフになったと言われている。デザインを手掛けたのは、1919(大正8)年生まれの画家で、日本水彩画会審査委員、日展水彩作家協会委員の相沢光朗であった。2代目は、バットに乗り、ボールに帽子と顔と手足を足した「バットに乗った少年」で、1980(昭和55)年から1991(平成3)年までの12年間に亘り、ペットマークとして使用された。3代目は、1992(平成4)年から使われている「ジャビット」である。「ジャビット」は、チームのロゴマークであるYGの組合わせに、ウサギを絡ませたもので、名前は一般公募で決定した。当初は、ユニフォーム等を着用せず「裸」の状態であったが、1994(平成6)年登場の、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の球団創立60周年を記念したペットマークから、ユニフォームを着用している。「ジャビット」は、ペットマークとして使用された他、着ぐるみキャラクターでは、「ジャビットファミリー」として5人のキャラクターが登場する。2006(平成18)年から、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)はペットマークを変更し、東京の街並み(東京ドームや東京都庁舎等)のシルエットの中に、「G-KING」という巨人が描かれたものになった。なお、マスコットはジャビットのままである。2011(平成23)年1月11日からペットマークを「ウイニングジャビット」に変更した。これは、普通のジャビットを、強さや格好良さのイメージを盛込んだスマートなデザインにしたもので、2017(平成29)年シーズンまで使用された。「ジャビット」は、1994(平成6)年頃からアクロバットを取入れたパフォーマンスを始め、10回以上のバック転の連続を披露したり、ミニトランポリンでひねりの宙返りをして、派手な演技を見せている。東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)のマスコットということもあり、メディア露出も多いことから、ジャイアンツファンは許より、野球ファン以外にもよく知られている。デザインは、アニメの美術デザインを手掛ける沢田隆夫で、「ウサギは頭もいいしすばしっこいし、ジャイアンツのキャラクターにぴったりだと思った」という趣旨の発言をしている。球団によると、ジャビットファミリーは宇宙人であり、ウサギではない、とのことである。東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の応援は、それぞれの地域の私設応援団の先導によって行なわれる。声援とメガホンか、手拍子で応援するスタイルとなっているが、応援団としては、メガホンを使用しない応援スタイルを採用している。東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の監督は、創立当初を除けば全て、チームの生え抜き選手が就任しており、他球団OBが監督になっていない唯一の球団であり、また、生え抜き選手でも、国内他球団への移籍や、コーチを歴任してない、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)一筋の人物が殆どである。また、最下位になったのは1975(昭和50)年の1回だけで、これは現存する12球団の中では最少であり、最下位が1回しかないのは、東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)だけである。現在、プロ野球界で、名誉監督の名誉称号を贈られたのは、全球団で長嶋茂雄と野村克也(元東北楽天ゴールデンイーグルス名誉監督で、第二次世界大戦後初の三冠王、かつ世界のプロ野球史上初の捕手の三冠王で、選手出場試合数歴代2位、監督出場試合数歴代3位等の記録を持ち、東北楽天ゴールデンイーグルスでは、球団史上初のクライマックスシリーズ[CS]進出かつ、初のAクラス入りを果たす)の2人だけで、長嶋茂雄は、2001(平成13)年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)の終身名誉監督となっている。また、2013(平成25)年4月16日、国民栄誉賞を松井秀喜(1990年代から2000年代の球界を代表する長距離打者で、東京読売巨人軍[読売ジャイアンツ]時代には、長嶋茂雄と師弟関係にあった)と同時受賞した。