12月25日 記念日 その5 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

神戸ルミナリエ。
神戸ルミナリエとは、兵庫県神戸市の旧居留地(開港場に設置された、外国人の居留地で、東西を川に、南を海に囲まれ、周囲と隔絶されていた地区であった)において、1995(平成7)年から毎年12月に行なわれている祭典、又は、電飾されている場所のことで、通りや広場を、独特の幾何学模様で構成されたイルミネーション(電飾)で飾り、昼間とは異なる風景を現出させ、その景観を楽しむ。1995(平成7)年1月17日に発生した兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)を契機に、鎮魂と追悼、街の復興を祈念し、震災で激減した神戸への観光客を呼戻す目的で、毎年開催され、2003(平成15)年までは、12月25日が開催期間の最終日となっていた。日本において、一般的に「ルミナリエ」とは、この祭典のこととして著名ではあるが、語源のイタリア語では、「luminaria」の複数形「luminarie」であり、小電球等による電飾(イルミネーション)のことを言う。ガレリアと呼ばれる光の回廊は、メインストリートである仲町通(兵庫県神戸市中央区播磨町に所在)を貫いており、複数基のアーチを並べることで、正面から見ると、光のトンネルに見えるように設計されている。これは、遠くからでも滑らかな視覚効果を上げるため、ルミナリエの入口であるフロントーネからの距離毎に、アーチ間の間隔は微妙に調整していた構造になっている。兵庫県や神戸市等が共同で設立した「神戸ルミナリエ組織委員会」が主催し、西日本旅客鉄道(JR西日本)が、特別協賛社として名を連ねている。当初から、毎年12月に開催されているため、近年では、「神戸の年末の風物詩」として定着している。当初の会期は2週間であったが、経費節減の影響で、2007(平成19)年度から12日間、2015(平成27)年度には10日間に短縮されている。メイン会場は、旧居留地内の仲町通、及び、兵庫県神戸市中央区加納町に所在する都市公園、東遊園地となっており、会期中は、「ガレリア」と呼ばれるアーチ状の電飾が、仲町通の夜を彩る。東遊園地では、「スパリエーラ」(光の壁)等、複数の作品が敷地を取囲むように立てられる。かつては、山陽新幹線新神戸駅前、神戸ハーバーランド、異人館も、「サテライト会場」として、一部の作品を設置していた。しかし、2005(平成17)年以降は、会場を仲町通と東遊園地に集約し、仲町通では、経費節減等の影響で、2015(平成27)年に「ガレリア」の設置ゾーンを短縮している。会場内では、歩行者は、西日本旅客鉄道(JR西日本)と、阪神電気鉄道(阪神)の駅、元町駅がある元町側から東へ向かい、東遊園地方面への一方通行とする順路が設定されている。また、会場周辺の道路では、開場時間の前後に、車両通行止等の交通規制を実施する。東遊園地への順路については、開催当初、仲町通から東進するだけのルートを設定していた。しかし、隣接都市である兵庫県明石市内で、2001(平成13)年に発生した明石花火大会歩道橋事故(花火大会の際、「群衆雪崩」[雑踏の中で、1人、又は数人がバランスを崩して倒れたことによって、周辺の者が連鎖的に転倒する事故]が発生し、死者11名、重軽傷者247名を出す大惨事となる)をきっかけに、会場全般の警備体制を強化し、2005(平成17)年以降は、元町駅周辺から仲町通にかけて、長い迂回ルートを設けている。実際には、警備関係者が来場者数に応じて、複数のルートを使分けながら来場者を誘導する。全国各地から、ルミナリエの観覧を目的とした団体旅行が主催される程、認知度は高まったが、来場者の増加と共に警備費用も増加し、一方で、周辺道路の渋滞や駐車場の混雑等によって一般客が敬遠したり、日帰りバス旅行の利用者は滞在時間が短い等、周辺企業のクリスマス商戦に支障をきたすようになった。それらの問題点が、ひいては企業協賛金の減少という形で跳ね返ることもあり、2005(平成17)年以降は、クリスマス期間の前に開催されている。新型コロナウイルスへの感染が拡大していた2020(令和2)年には、史上初めての中止を余儀なくされたが、開催を予定していた期間(12月4日 - 12月13日)に代替行事として、2点のイルミネーション作品を展示している。なお、2021(令和3)年も、2020(令和2)年と同様の事情で中止された。さらに、2022(令和4)年も中止となったが、組織委員会では、2023(令和5)年以降の神戸ルミナリエの再開を視野に、開催を計画していた期間(12月9日 - 12月18日)に、「神戸ルミナリエ presents『カッサアルモニカ/音楽の宝箱』」を実施した。その後、組織委員会は、開催の時期を2024(令和5)年の1月19日から28日までの10日間として再開することを発表した。
未来を担う水素電池の日。
「水素電池」の技術や製品、システム開発等の関連企業によって組織される先進エクセルギー・パワー研究会(先進EP研究会)が制定。日付は、先進エクセルギー・パワー研究会(先進EP研究会)が初めて会合を開催した、2018(平成30)年12月25日から。既存の蓄電池とは異なる、優れた特性を持つ水素電池を活用することで、石油エネルギーから再生可能エネルギーと電池へと、劇的な変化をもたらすことを、多くの人に知ってもらうこと、そして、その未来を実現させていくことを目指す企業等の熱い想いを、後世に伝えていくことが目的。先進エクセルギー・パワー研究会(先進EP研究会)は、1年間の活動を基本としており、参加企業は電力部会、民生部会、宇宙未来部会のいずれかの部会に所属し、部会毎に活動している。近年、世界的な地球温暖化の対策として、省エネルギー化を行なうことが急務の課題となっており、電力供給源となる電池等の技術開発が必要となっている。先進エクセルギー・パワー研究会(先進EP研究会)では、再生可能エネルギーの水素技術を応用した新型電池を導入することにより、省エネルギー社会の実現を目指しており、その技術やビジネスモデルの検討を行なっている。
終い天神・納め天神。
1年で最後の天神の縁日。天神は、全国に多数存在する天満宮に祀られた神、菅原道真の神号である。平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家、菅原道真はその能力、人気を時の権力者に嫉まれて左遷され、その任地で無念の死を遂げた人物とされる。菅原道真の死後、都では天変地異が続発し、特に落雷とこれに伴なう火災等の被害が続いたため、これは菅原道真の祟りだと人々が畏れ、菅原道真を火雷天神という神に見立てて、これを祀ることによって祟りを除こうと建てられたのが、現在の京都市上京区にある北野天満宮である。菅原道真の命日が旧暦2月25日であることから、毎月25日が天神の縁日になっている。天神は当初、雷神として恐れられたが、菅原道真が元々優れた学者であったことから次第に「学問の神様」と考えられるようになり、毎月25日の天神の縁日には進学を控えた者やその身内の者等が盛んに参拝するようになった。天満宮は「天神」「天神さま」「天神さん」とも呼ばれる。社名は、天満神社、祭神の生前の名前から菅原神社、天神を祀ることから天神社等となっていることもあり、また、鎮座地の地名を冠していることもある。但し、「天神社」については、天津神(高天原[神が住むとされる天上界]から天降った神)を祀る神社という意味のものもあり、これは菅原道真とは関係がない。政治的不遇を被った菅原道真の怒りを静めるために神格化し祀られるようになった、御霊信仰の代表的事例である。明治から第二次世界大戦にかけての神道国家管理時代は、「宮」号は祭神が基本的には皇族か皇祖神であり、かつ勅許が必要であったため、例えば、福岡県太宰府市にある太宰府天満宮が太宰府神社と改称させられたように、「天満宮」と称していた神社も「菅原神社」「天神社」「天満神社」等と改称させられていた。菅原道真と牛に纏わる様々な伝承から、天満宮では牛を神使としており、境内に臥牛像等、撫牛(牛の座像の置物を撫でて、自分の病気を治す信仰習俗)が置かれている。各地の天満宮の内、特に菅原道真と関係が深いという太宰府天満宮と北野天満宮の2つに、天満宮の中で最も古い歴史を持つ山口県防府市にある防府天満宮、或いは、天神祭で有名な大阪市にある大阪天満宮等を入れた3つの天満宮が、日本三大天神と呼ばれる。太宰府天満宮は、菅原道真の墓所・廟に造営され、北野天満宮は、菅原道真が好んだという右近の馬場に、朝廷が菅原道真の怨霊を鎮めるために造営された。この両社が、信仰の中心的役割を果たしている。なお、縁日とは、神社や寺の創建や、その寺社に祭られる神仏の降誕等の特別な日に行なわれる祭典、供養の日である。元々は「会日(えにち)」と称したが、それが訛って「縁日(えんにち)」になったと言われる。漢字の「縁日」は、寺社に祀られた神仏と人間の間の有縁の日(縁が結ばれた日)、という意味で使われるようになったものである。この日は、祀られた神や仏にとっても特別な日で、この日参拝した者には、特別なご利益があると考えられ、この「特別なご利益」を授かろうと、この日に参拝する人が増え、結果として屋台の出店等が並ぶことにもなった。