11月20日 記念日 その1 | スズメの北摂三島情報局

スズメの北摂三島情報局

2011/08/02 リニューアル
2019/07/14 アメブロ移動
柴犬ハルがお伝えします

西暦(グレゴリオ暦)AD2023年 令和5年 平成35年 
昭和98年 大正112年 明治156年 皇紀2683年 干支 癸卯(みずのと う)
第3月曜日 旧暦 10月 8日、大安(壬午)、月齢  6.7  
グレゴリオ暦で年始から324日目、年末まであと41日。
誕生花 カーネーション(赤)・ウシノシタクサ。

二十四節気・雑節等
上弦。
半月。月と太陽の黄経差が90°となる日。

世界こどもの日(World Children's Day)。
1954(昭和29)年の国際連合総会で、子ども達の相互理解と福祉を増進させることを目的として制定された国際デーの1つ。具体的な日付は、各政府が適当と考える日を、「世界こどもの日」に選んで記念するよう提案されており、日本では、1959(昭和34)年に「児童の権利に関する宣言」が、1989(平成元)年に「児童の権利に関する条約(平成6年条約第2号)」が採択された11月20日を当てている。子どもの権利を促進する国際文書である「児童の権利に関する宣言」は元々、1924(大正13)年11月26日にスイス西部のジュネーヴで発表され、「世界の子供の福祉憲章」として国際連盟総会で承認された。そして、政府機関によって承認された最初の人権文書となった。1934(昭和9)年に国際連盟によって再確認され、元首と政府の国内法令にその原則を組込むことを約束した。また、フランスでは、全ての学校にそれを表示することを命じている。その文書が1959(昭和29)年11月20日に拡張された、国際連合に採択される流れとなっている。イギリスの社会改革家であるエグランティン・ジェップによって起草された「児童の権利に関する宣言」では、「すべての児童は、いかなる例外もなく、自己またはその家庭のいずれについても、その人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位のため差別を受けることなく、これらの権利を与えられなければならない。」等とされている。この宣言に続いて、「児童の権利に関する条約」が1989(平成元)年に署名され、1990(平成2)年9月2日に効力が発生した。この条約は、児童を「保護の対象」としてではなく「権利の主体」としている。なお、1925(大正14)年8月、スイス西部のジュネーブで開かれた「子どもの福祉世界会議」で制定された「国際こどもの日(International Children's Day)」は、6月1日で、中国、モンゴル、ベトナム、ロシア、ポーランド、ルーマニア、キューバ等、旧共産圏諸国を中心に世界の40ヶ国余りが、6月1日を「こどもの日」としている。日本の国民の祝日の1つで、一般的には、4月29日から5月5日までとされる、「ゴールデンウィーク」を構成する祝日の1つでもある5月5日の「こどもの日」は、1948(昭和23)年公布・施行の「国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年7月20日法律第178号)」によって制定された。5月5日は、古来から端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事が行なわれていた。1922(大正11)年から1948(昭和23)年までは「児童愛護デー」が行なわれており、国会に「こどもの日」を祝日とする請願が寄せられた際にも、5月5日を希望するものが多かったため、5月5日が採用された。 
ホテルの日。
1890(明治23)年、11月3日に落成、11月7日に開業した日本を代表する高級ホテルの1つ、帝国ホテル(現在の東京都千代田区内幸町に所在)で、11月20日に開業式が開催された。ホテルとは、主に短期滞在の旅行者、ビジネス等出張者のための宿泊施設である。語源は、ラテン語の「ホスピタリア」であり、無償の接待部屋という意味であった。都市の繁華街に立地する大型ホテルは、シティホテルと呼ばれる。いわゆる有名一流ホテルと称するものの多くはこれに入る。シティホテルの語は、1794(寛政6)年にアメリカ合衆国北東部、ニューヨーク州ニューヨーク市にできたシティ・ホテル(74室)で最初に使われ、以降、各地に普及した。都心部に立地するため、投資コストが高い一方、集客力も高く、大規模で多機能なものが多い。これらは、宿泊や飲食の他に、結婚式やディナーショー、講演会、株主総会等のイベントや法事等の利用にも対応できるように、数百名収容が可能な「大宴会場」や(結婚式関係の利用を想定した)ブティック・美容院・花屋やギフトショップ等のテナント店舗を有していることが多い。料飲施設として、カフェレストラン・ラウンジ/バー等といった比較的手頃な価格の店舗と、接待や特別な用途(記念日やデート、結納等)の利用を想定した高級志向の洋食・中華のレストランや、懐石料理・寿司類を提供する和食レストラン、チェーン系料亭店等をデパートのように複数設置していることが多い。また、プール・スポーツジム・スパ等のリラクゼーション施設を設置している例もある。グランドホテルとは、ホテルの名称の1つである。欧米では規模が大きく、伝統的な建築様式で建てられた高級ホテルに対して用いられる。しかし、日本においては、一般クラスのホテルでも「グランドホテル」という名称を用いているものが少なくない。日本においては、上流階級は政治の中心地に留まることが多く、また、来客を屋敷の中に泊めさせたため、欧米に見られるようなグランドホテルは発達しなかった。江戸時代に入ると街道が整備され、大名等は宿場町の本陣に宿泊した。欧米的なグランドホテルが建設されたのは、明治時代以降のことであった。欧米におけるグランドホテル的な位置付けの日本のホテルの最右翼として挙げられるのが、帝国ホテルである。帝国ホテルは、隣接する国賓や外国の外交官を接待するため、外国との社交場として明治政府によって建てられた社交場である日本初の洋式社交クラブ『鹿鳴館』と密接な関連を持ったホテルとして、元周防国/長門国長州藩藩士で、明治政府の数々の要職を歴任した政治家の井上馨が、旧江戸幕府幕臣で、大蔵官僚から実業家となり、第一国立銀行(現在のみずほ銀行の前身の1つ)他の創業者であり、理化学研究所の創設者でもある渋沢栄一と、明治・大正期に貿易、建設、化学、製鉄、繊維、食品等の企業を数多く興した実業家、大倉喜八郎の2人を説いて、1888(明治21)年に有限責任帝国ホテル会社(設立当初は有限責任東京ホテル会社)を設立させ建設したものである。1890(明治23)年に竣工した初代帝国ホテルは、海軍の建築技師から建築家となった渡辺譲が設計した、木骨煉瓦造、3階建の建物で、客室数は約60室であったが、1919(大正8)年に失火から全焼した。そもそも、帝国ホテルは、外国の賓客をもてなすために設立されたホテルであった。そのため、経営陣は真っ先に長期間の船旅で溜め込んだ衣類の洗濯を思い付き、その部門の強化を図ってきた。当初は2つの外注業者に委託していたが、1910(明治43)年に帝国ホテルが初めて館内に洗濯する施設を設置し、ホテルで使用する寝具関係や宿泊客の衣類を洗濯する独自の「洗濯部」を設けた。現在は、クリーニング業界最大手の老舗クリーニングチェーン、白洋舎が、従業員の制服を含め、ホテル内で使用される物全ての洗濯を受持っている。なお、東京都大田区下丸子に本社を置く株式会社白洋舍は、1907(明治40)年7月、ドライクリーニングを日本で初めて成功させている。油脂は水に溶けにくく、通常の水を使った洗濯では落とすことが難しい。そこで、水の代わりに、油を良く溶かす有機溶剤を用いて洗濯する方法があり、これをドライクリーニングという。ドライクリーニングでは、オイルの染みや口紅等、普通の洗濯では落ちにくい油脂系汚れもよく落とすことができる。一方、ドライクリーニングでは、水溶性の汚れ(汗、食べ物のハネ等)は、普通の洗濯に比べ落ちにくい。