「私は昔から、人に合わせる場面が多いと感じる」
「人に合わせるって、疲れるし自分が損してるような感じがしてしまう…」
「人に合わせるよりわがままな方が良い気がする」
スピリチュアル界隈では、どちらかというと「人に合わせる」のは、疲れる、苦痛などネガティブなこととして捉えられやすい傾向がある気がします。
「自分のしたいように、主導権を持って自分主体に生きる」ことがスピリチュアルの本質的なことだからです。
それに伴い「人に合わせるのは自分を曲げることになる」「人に合わせる側が疲れるしストレスになる」「だから人に合わせずわがままになるべき」
という常識も生まれやすいのかなと。
人に合わせる=自分が損をする、自分が負ける
こういう認識から、人に合わせることは良くないことだと、ネガティブに捉えてしまう人も多いかもしれません。
今回は「人に合わせることも実は大きなメリットがあり、人に合わせない方が得をするとも限らない」ことについてスピリチュアル視点から解説してみます。
人に合わせるのは疲れるし損する生き方なのか?
人によっては、人に合わせるのが苦手なタイプの人もいます。
男女でいえば、傾向として男性の方がやや人に合わせるのは苦手な人が多いようです。
(ただ男女という括りなので、当然個人差は大きく男性でも合わせることが得意な人も多いです。結局個人の差です)
「私は人に合わせる場面がこれまで多かった気がするし、損してる気がする。だからもう人に合わせたくない」
スピリチュアルが好きな方の中にはそう思う人も少なくないようです。
人に合わせる=自分ばかり損をする、人に合わせるのは正しくないという図式で思い込んでいるのもあるのかな、と。
確かに、人に合わせるというのは一種の「負ける」要素はあります。
相手が勝って自分が負けた。
そう感じるので「人に合わせるのは悪いこと、間違っている」とネガティブに捉えてしまうのもあるかもしれません。
そして「人に合わせないで、自分に合わせてもらう人の方が得する。そうなりたい」と思う人も少なくないかもしれません。
常に自分がやりたいように振る舞い、常に相手や周りに合わせてもらい自分の欲求を叶える。
その方が得だし、自分の欲求が叶いやすくて得なんじゃないか?

そんな「不公平」という思い込みも関係あるのかなと思います。
自分がその不公平側に回りたくない。これは自然な自己防衛だと思います。
人に合わせてもらってばかりの人の思わぬ落とし穴と、人に合わせるタイプの恩恵とは?
確かに表面上は、人に合わせることを一切せず常に自分の欲求を優先させて、人や周りに合わせてもらう人の方が、疲れないし得した生き方に見えます。
それも本人の自由で選択なので、そういう生き方もあっていいと思います。
ただ、あるデメリット、落とし穴もあったりします。
それは、引き寄せの法則や願望実現、または運気にも関係する話です。
人に合わせてもらうことを常に優先ばかりしていると。
「これを叶えたい、こうなりたい、これがほしい」という願望や引き寄せたいことやものがあるとして。
せっかくそれに繋がる良い情報やチャンスが来ても、受け入れる器が狭くなりやすく、逃してしまいやすい
という落とし穴があります。
逆から説明する方がわかりやすいでしょうか。
では逆に、人に合わせることができる人の場合はというと。
こういう人は「普段から合わせることができる」人なので、願望実現に繋がる良い情報やチャンスを、受け入れやすい。

つまりこういうことです。
合わせることが出来ない人は、自分が合わせることができないので「それは嫌」とすぐジャッジしやすく、せっかくのチャンスを受け入れづらい。
合わせることが出来る人は、自分が合わせることができるので「それもいいな」と、チャンスを可能性として受け入れやすい。
こんな違いが起きてきます。
これは普段の在り方、無意識で決まります。
願望実現にはおおまかに2つのタイプがある
願望実現は1つだけでなく、タイプがあります。
・なぜか、良い流れや思わぬ情報や物事がやってきて、それに乗っていったら叶っていた(努力最小限の受け身型)
・とにかく行動をしたり努力して、自分から掴みにいって叶える(努力で叶える能動型)
他人や周りに合わせることができるタイプの人は前者の「流れに乗っていったら叶っていた」が可能になります。
なぜなら「合わせることが出来る人」だからです。
他人や周りに合わせることができないタイプの人は後者の「とにかく行動や努力をして自分から掴みにいく」でないと難しくなりやすい面があります。
普段から合わせることをやってなく、自分が合わせることが苦手なので「これは嫌、あれも嫌」とジャッジして限定してしまいやすいからです。
引き寄せや願望実現のコツとして「一つの方法、ルートに執着しない方が引き寄せやすい」というのがあります。
例えば恋愛の場合。
「Aさんと結ばれたい」
「幸せな恋愛をしたい」
より可能性やルートが広いのは「幸せな恋愛をしたい」の方です。
「Aさんと結ばれたい」をゴールにした場合、Aさんしか選択肢がなく、かなり限定されていて他の可能性は入ってこれなくなるからです。
この例えでも「合わせることができるか、できないか」が表れているのがわかるでしょうか?
他人や周りに合わせることができない人というのは、一見わがままに生きられて得に見えます。
ただ、普段から合わせることができない生き方だと、可能性を限定してしまう生き方にも同時になりやすいということです。
柔軟というより「頑固」になってしまうというんでしょうか。
普段わがままな分、こだわりも強くなってしまい、そうなると受け入れる器や許容範囲も狭くなりやすいです。
合わせることができるのは損する性質ではなく、柔軟性があるということ
人に合わせるというのは、一見損したように感じやすいです。
「私の方が合わせないといけない…」と不公平感も感じることもあるかもしれません。
ですが、合わせることができるというのは「柔軟性がある」ということでもあります。
自分のしたいことをしてももちろんいいのですが、常に自分が勝ちたいからと自分本位に振る舞い、相手や周りに合わせてもらってばかり。
それも自由な生き方ですが、知らずに「受け入れる器が広がらず、可能性を制限や限定してしまいやすい」という思わぬ落とし穴もあったりします。
スピリチュアル界隈では自分本位に生きてもいいとよく言われますが、それは合わせることが悪いという意味ではないかなと個人的に感じます。
矛盾してるように感じるかもしれませんが。
もちろん自分がしたいことをして自由に生きていいですが、同時に臨機応変にもなれて柔軟性もある方が、世界と調和しやすいということです。
合わせるというのは、調和しやすいという要素でもあります。
もちろん、合わせることが苦手な人にも強みがあります。
自分の軸が強く、行動力や突破力が高いことが多いからです。
その場合は「努力型の願望実現」が得意になります。