少し前に、Xでこんなポストを見ました。
それは
「人生で一番悲しかったのは、自分の母親が学生時代にいじめをしてたことを、武勇伝として自慢してたのを聞いた時」
という投稿。
この投稿者の方は、母親のようにはならなかったようですね。
親の影響は確かに大きいですが、それでも育ちや環境だけで決まるわけでなく、結局は自分次第だということです。
せっかくなので、今回は「過去にいじめをしていたことを、武勇伝のように自慢する人の心理とは?」について考察と解説しようと思います。
現在と過去のギャップがあるから
まず、過去にいじめをしていたことを自慢したがる人というのは「現在と過去のギャップがある」可能性が高いです。
過去、誰かをいじめていた時は「あの頃は自分が優位に立つことができていた」「他人を下に見ることで優越感を感じていた」など。
自己欺瞞的ノスタルジアを感じているということです。
過去のいじめ体験をわざわざ持ち出して自慢したがるというのは「現在は優位に立ててない」「現在の自分は上ではなく下だ」という被害者意識や劣等感の裏返しの可能性が非常に高いです。
過去のいじめをしていた頃は「力を持っていた」という錯覚していた時代の幻想です。
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それを持ち出してアピールし、自己陶酔したがるというのは
・今の自分は何かしら損をしている
・今の自分は何かしら報われていない
・あの頃はまだ自分らしさがあった=過去に逃げている
これらの心理があるということです。
学生時代など、当時が人生のピークで、今の自分はぱっとしない…頑張ってるのに報われてない。こんなはずじゃなかった。
そんな空しさや劣等感を直視したくなく、「私って悪い奴でしょw」と偽悪になって誤魔化している可能性が高いです。
人間的な成長が十分されていなく、変わってないから
「学生時代など過去にいじめをしていた」というのは、一般的にも良くないことです。
人間的にも未熟で良くない行為だった…ということは、成長していけばわかるようになります。
当時は未熟で、誰かを攻撃し傷つけることで自分を保とうとしていたり、つい魔が差していじめをしていたことも多いでしょう。
ですが、いろいろと経験して社会に出ると、自分も痛みを知り、他人の痛みや気持ちも理解できるようになります。
また、子供ができれば「自分の子供がいじめられたら…」と、自分のこと以上に胸を痛めるようにもなるのが親というものです。
つまり「成長」していくと、いじめをしていた未熟だった自分の段階から抜け出すようになり、「あの行為は愚かだったな…」と恥ずべきことだったと思えるようになります。
ですが、全員が人間的に成長していくとは限らず。
中には成長できないまま大人になっていき、社会に出たり子供を作って親になる人もいます。
人間的に成長するには自分と向き合い、内省することが必要不可欠です。
それができず、理不尽なことや都合が悪いことは全て誰かや何かのせいにして他責思考を変えられず、そのまま年齢を重ね続ける人もいます。
毒親などもこういうタイプは少なくないかもしれません。
つまり、過去のいじめを「良くないことだった」と自分の非を認めることができない人は、当時のまま成長ができてなく精神的レベルが変わってない可能性があります。
現在幸せな人や充実した人は過去ではなく現在に意識が向いている
過去のいじめを武勇伝として自慢したがる人の心理とは、主に上記の2つのどれか(もしくは両方)だと思われます。
周りの人からすれば、いじめをした体験を自慢されるのはドン引きして不快な気持ちになる人が多いです。
また「この人ってそういう人なんだ…」と印象が悪くなったり、警戒する人も少なくないでしょう。
いじめをしていた話というのは、聞かされる側にとっては面白くもなく不快でしかないです。
そういうことも考慮できず、得意げや自慢げに話すということからも、他人の気持ちが想像できなかったり嫌われやすい人だというのは何となくわかるかと思います。
また、聞く側の気持ちも考えず自分の話したいことを無邪気に話すという、幼稚さや子供っぽさが抜けてないとも言えます。
それはある意味、純粋とも言えますが…。
過去にいじめをしたことを武勇伝として自慢したがる人というのは「過去に意識が向いている」「過去に逃げたがっている」とも言えます。
そして、現在を生きている人というのは、現在に意識が向いてます。
家族であったり、仕事であったり、趣味であったり、恋愛であったり…。
多くの人は過去より現在のことや現在のやるべきことに意識が向きますが、いじめを武勇伝として自慢したがる人は「現在と向き合いたくない」「過去に逃げたい」思いがあるのかもしれません。


