子供が犠牲者になる悲しい事件…
聞くたびに悲しい気持ちになります。
なぜこんなことが起きるのだろう…
警察に頼るだけでは足りないのかもしれない。
犯罪を許したいとは個人的には思いません。ヒーラーらしからぬと思われるかもしれませんが。
以前、ある人が言っていたのを思い出しました。
「私達は、犯罪が起きたとき、その犯人だけを悪者にし糾弾する。だけど全体の問題ではないのだろうか?私達全員の問題として捉えないと、真に解決には向かわない」
やっぱり、犯人を許したいとは思えないし、こんな馬鹿は罰しないといけないとも思います。
ただ、我々、一人一人の意識に全く責任がないのか?とも個人的には思うのです。
競争や差別、他者との比較。人に対してもジャッジをするのが当たり前。
競争意識に傾けば、勝者と敗者が生まれます。勝者になろうと頑張って自分を追い詰めて。
勝者になれないと感じれば、自己肯定感を持てず周りと比較し、傷つき、次第に心を失っていく。
その失った心が他者を傷つける方へと向かってしまい、最悪、凶悪犯罪を生んでしまう・・・
こういう人を作りかねないシステム(という言い方は語弊があるでしょうが…)のようなものが潜在的にあるのかもしれない。
それは、競争の意識だったり、選ばれようとする、私たち集団意識が作ってしまってないか?
その集団意識は、一人ひとりの意識が関わっています。
私たちが当たり前のようにジャッジしていることが、仮に自分自身に対してであっても、もしかしたら誰かを追い詰めることに繋がっているのかもしれないですね。
こういう、悲しい犯罪を根本的に解決するには、共存の意識に我々が向かうしかないのではないか?と思います。
そのためには、他人の人生を生きず自分の人生を生きること。
自分の価値判断や幸せの基準を他者に委ねず、人に認めてもらってやっと感じられるという当たり前の常識から抜け出し、自分が自分を認めて、自己肯定感を高めていくこと。
これが必要なんじゃないか、と思います。
それは、自分の幸せのためだけではないように思います。
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