FBの方でお友達登録をしている方が、「怪しい友達リクエストが来た」という投稿をしていました。
私のところにもここ数週間、立て続けに同じようなリクエストが来ていて無視していたのですが、どうもかなりの勢いで拡散しているようなので、皆さまの安全のために記事にしておこうと思います。
いくつか特徴があります。
①可愛い女性の写真を使っている
②投稿の文章が、なんだか「深そうなこと」になっている
③コメント欄に返答があるが、支離滅裂
④文章に統一感がない(男言葉、丁寧形、普通言葉など)
↑多分これだけでも、同じようなリクエストが来ている方は「ああ、あれか」とわかると思います。
もうちょっと分析すると、これは確実に日本人ではなく外国人です。
コメントも、他の方の投稿をコピペしています。
自分のコメントはネットの翻訳を使って貼り付けているでしょう。
例えば、「NO」が文法的に「いいえ」になるべきところで「ない」になるなどです。
さらに、ただ「おはよう」とだけ文をつけて投稿するという共通点があります。
では私のところに来たものを出来るだけたくさん見てみましょう。
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一見して分かる、支離滅裂な文章です。
こういうのは、当人がどういう意図であれ、信用されないのは当たり前ですね。
「おはよう」だけの投稿です。
↓これに、律儀にコメントすると「あなたを愛して!」という文脈の合わない返答が。
↓これは投稿ではなくコメントを見て下さい。
何も他者からコメントがないのに、「あなたは来ましたか?」と打たれています。
これは「心に響きましたか?」「ピーンときましたか?」をネット翻訳したものと思われます。
↓こちらも返答が支離滅裂です。
↓こちらもですね。
すでに文が破たんしています。
「打ち間違い」などというレベルではありませんね。
↓これは先ほど本記事上段で書いた、「NO」を「ない」と誤爆翻訳したものです。
本来であれば「いえいえ」、「いいえ、そんなことはありません」などと書きたかったのでしょう。
↓これも「おはよう」だけの投稿です。
おしゃれとかは全く分かりませんが、とても美人の女性の写真だと思われます。
↓こちらも「おはよう」だけです。
同一人物か、低級なAIなのか、このタイプの投稿があるのも特徴です。
↓プロフィールの一言欄で分かります。
↓投稿もコメントも壊滅的です。
↓またもや「おはよう」です。
ここまでくると、「またか」となりますね。
でも友達リクエストを何名もの方が承認していました。(^-^;)
全く、男ってのは・・・。(笑)
↓つぶらな瞳が素晴らしい女性画像でした。(笑)
↓「趙小型スカート紙」って何でしょうね。
写真はまたもや美人女性です。
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さて、このほかにも色々と似たような投稿のリクエストがありましたが、もちろん、こちらからの返信等は全くしないでブロックさせていただきました。m(_ _)m
ここで、「リクエストした当人が、本当はどういうつもりか」は意味を成しません。
一般的なコミュニケーションが取れない上に、コメントでここまで支離滅裂+論理的に破たんしているのでは、友達リクエストを承認することは出来ないことは言うまでもないでしょう。
また、過去記事で次のように書きました。
(引用)
《注意!》
ちなみに、フェイスブックの友達リクエストも50名以上来ていますが、次のような方は承認することは出来ませんので、ご了承ください。
・プロフィールや投稿、タイムラインで、ネットビジネス(類似商法を含む)やラインでの人数集めをしている方
・全く投稿、更新の無い方
・新興宗教、政治団体に所属している方
などなど。
以前は、「ビジネスも色々だから、好きな人同士集まればいい」、「私を誘わなければ、ビジネススタイルは構わない」と思っていました。
しかし、私とつながっている人に「あなたと共通の友達であるあの人も、実はこのビジネスに参加しているんですよ。やってみませんか?」という、ウソの話による勧誘が行ってはいけません。
(ここまで)
↑この記事、とても反響が大きかったです。(笑)
個人的にお会いした方には何度かお話しているのですが、
・ビジネススタイル自体は問題にしていない
・しかし残念ながら「○○さんもやっているんですよ」とウソを言って友達を勧誘する手段がある
これを考えてのことです。
ですから、極端なことを言えば、友達登録をすでにしている方が、どこでどのように活動しているかは私には分からないし、まっとうに稼いで生活しているのであれば、私からは文句は言わないということです。
もちろん、私個人にそういうお誘いが無ければ問題はありませんし、これまでのような付き合いに、結果的になっていきことになります。
ネットのSNSなどは、使いようによっては相当に世界が広がります。
昔、手紙しか遠隔地への連絡手段がなかった頃、電話は驚異の発明でした。
馬でしか移動できない時代に、車や汽車は夢の発明でした。
近年のように自宅や公共施設などで誰でも手軽にネットで情報収集や発信、友達作りができるなど、ほんの数十年前には想像もつきませんでした。
まして、「コンピューター」が歩きながら手のひらサイズで使えるなんて・・・・・・。
道具は道具です。
道具は、徹底的に道具存在です。
つまり、確かに、「使い方次第」なのですね。
それを
「そうそう!使い方次第ってことは、自分でいろいろできるんだよね!使い方も人それぞれだよね!」
と、ご都合主義的に解釈したりもします。
人はそうやって何度も何度も人生を繰り返してきています。
テクノロジーの発展・進歩と、人間性や意識レベルの向上は、比例しません。
人間性や意識レベルの向上は、あくまで自助努力をする者「同士」の相互連環作用です。