「ネクタイなら、この色も素敵ですよね。」
リリアンは一本のネクタイを手に取り、テリィへ向けた。深いワインレッドに、細い銀糸のストライプ。
「どう思います?」
テリィは少し離れた場所から眺める。
「落ち着いた色だ。おいくつですか?」
「父は五十代なんです」
「なら悪くないでしょう」
「でも、少し地味かしら」
「仕事で使うなら、そのくらいがいい」
「そういうもの?」
「派手すぎると合わせづらい」
「なるほど」
リリアンは感心したように頷きながら、別の棚へ移る。
次はカフス。その次は革手袋。財布に万年筆。
売り場を移るたびに、彼女は必ずテリィへ尋ねた。
「これは?」
「こっちは?」
「もしあなたなら?」
そのたびにテリィは短く答える。
決して面倒そうな顔はしない。聞かれたことには誠実に答える。それは彼の性分だった。
けれど、30分も歩き回る頃には、さすがに疲れが見え始めていた。
「フォスターさん」
「なあに?」
「そろそろ決まりますか?」
リリアンは立ち止まり、しばらく商品を見つめる。そして小さく笑った。
「そうね」
彼女は最初に見たネクタイを手に取った。
「結局、最初のが一番いい気がする」
テリィは思わず苦笑した。
「最初から決まっていたようなものだな」
「そうかもしれない」
リリアンも笑う。
「でも、一人だったら決められなかったもの」
店員を呼び、包装を頼む。その間、二人は静かに待った。
リリアンは横目でテリィを見る。彼は腕時計を確認していた。
当然だ。稽古続きで疲れているはずなのだから。
包装が終わると、テリィは小さく会釈した。
「では」
「待ってください」
テリィは振り返る。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「気にしなくていいですよ」
「お礼くらいさせてほしいです」
「必要ないですから」
「コーヒー一杯だけ」
「いや、大丈夫」
「お願い」
リリアンは少しだけ困ったような笑顔を見せる。
「それくらいさせてほしいの」
「本当に気を遣わなくていい」
テリィは穏やかに断る。
「今日は帰ってやることがあるから」
「30分だけ」
「……」
「これでお別れすれば、この先お礼ができなくなります。それで帰りますから……」
彼女は真っ直ぐ彼を見つめた。押しつけがましいことはわかっている。でもこのチャンスをみすみす見逃したくない。
その視線に、テリィは小さく息をついた。
「では、30分だけ」
リリアンの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとう」
デパート最上階の喫茶室は、午後の買い物客で賑わっていた。窓際の席へ案内される。
冬の淡い陽射しが、大きな窓から差し込んでいた。
コーヒーが運ばれてくる。
「今日は本当に助かりました」
「役に立ったなら」
「ええ」
リリアンはうれしそうに笑う。そして自然な流れで、自分の劇団の話を始めた。
新しい演目や演出家の癖。失敗した稽古、笑い話。
テリィも相槌を打つ。
「そういう演出家は珍しくない」
「あなたの劇団にも?」
「ああ。似たような感じだ」
「どこも同じなのね」
会話は途切れない。
リリアンは話題を変えるタイミングが絶妙だった。沈黙ができそうになると、新しい話を持ち出す。
テリィも礼儀として耳を傾ける。やがて話題は自然に俳優という仕事へ移っていった。
「SMTはどうでした?」
「厳しかった」
「でも、また行きたいと思っていますか?」
「機会があれば」
短い答え。それでもリリアンは満足そうに頷く。
少しずつ、ほんの少しずつ。彼が答えてくれる質問を選びながら距離を縮めていく。
その一方で、テリィは時計へ視線を向けようとする。
「そういえば」
リリアンはすぐ次の話題を出した。
「グレアムさんは、お酒は強いのですか?」
テリィは視線を戻す。
「普通だと思うが」
「そうなんですね。ワインやウィスキー、何を好んで飲まれます?」
また会話が続く。テリィは再び時計を見ようとする。
「そういえば。この前、うちの劇団でこんなことがありました」
彼女はテリィに時計を見る隙を与えない。もちろん、無意識ではなかった。
(まだ帰らせたくない)
その思いだけで、話題を繋ぎ続けていた。やがて会話は少しずつ私生活へ近づいていく。