安田不動産のルーツというべき安田保善社が、横須賀市の要望を受け、埋め立て事業者として、総埋立地70,703 坪 82すべてを完成したのが1922(大正11)年12月でした。
この埋立地は、1923(大正12)年8月21日に安浦町として誕生し、この名称は安田保善社の「安」と、港の意の「浦」から由来されています。
今回、埋立で生まれた安浦町の一画で、土地の境界標である「安田不動産の金属標」を、初めて見つけました。
今回、埋立で生まれた安浦町の一画で、土地の境界標である「安田不動産の金属標」を、初めて見つけました。
この安田不動産の金属標は、「安田」と、マークは家紋にある「丸に三ツ星」でした。
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これは境界石・境界杭の第46弾です。 |
『安田不動産の金属標と阻水室鉄蓋』です。 |
この埋立地に1923(大正12)年8月21日に誕生した町が安浦町で、この名称の由来は、安田保善社の「安」と、港の意の「浦」からです。埋立地の所在は、安浦町一丁目、二丁目、三丁目他。
ここは京浜急行電鉄の県立大学駅です。写真を撮った辺りは、大正時代は海でした。
この駅は1930(昭和5)年4月1日に 横須賀公郷駅として開業し、駅名は京浜安浦駅、京急安浦駅を経て、2004(平成16年)2月1日に県立大学駅と改称されました。
この駅は1930(昭和5)年4月1日に 横須賀公郷駅として開業し、駅名は京浜安浦駅、京急安浦駅を経て、2004(平成16年)2月1日に県立大学駅と改称されました。
ここから、歩いて直ぐの国道16号沿いの場所に、安浦公園があります。
この公園の一画に、埋立て工事で殉職した霊を慰める供養塔があります。
1925(大正14)年9月13日に建てた供養塔の裏には、殉職者17名の名前が刻まれ、そこに女性(坂本ウラさん、清水よしさん)が2名含まれています。
このように、埋立てが男女問わず作業した難工事だったことを物語っています。
この公園の一画に、埋立て工事で殉職した霊を慰める供養塔があります。
1925(大正14)年9月13日に建てた供養塔の裏には、殉職者17名の名前が刻まれ、そこに女性(坂本ウラさん、清水よしさん)が2名含まれています。
このように、埋立てが男女問わず作業した難工事だったことを物語っています。
★2 安田不動産の金属標★ |
この金属標は、埋立てが行われた安浦町で見つかりました。
金属標の矢印の下に「安田」、矢印の右にあるマークは、家紋の「丸に三ツ星」でした。
もう一度、ご覧下さい(再掲)。
この「丸に三ツ星」が、安田不動産の社章のようです。
こちらは、安田銀行の防火用水です。
防火と用水の中央にある紋章は、明治時代から使われてきた安田銀行の社章です。
金属標の矢印の下に「安田」、矢印の右にあるマークは、家紋の「丸に三ツ星」でした。
もう一度、ご覧下さい(再掲)。
この「丸に三ツ星」が、安田不動産の社章のようです。
こちらは、安田銀行の防火用水です。
防火と用水の中央にある紋章は、明治時代から使われてきた安田銀行の社章です。
横須賀市内の他の場所でも、安田不動産の金属標がありました。
ここには、安田不動産の金属標が2枚ありました。
金属標にある矢印の向きが異なります。
安田不動産の金属標を確認できたのは、会社発足のルーツである安浦町を含め横須賀市内で手広く宅地開発をしていた証でしょう。
ここには、安田不動産の金属標が2枚ありました。
金属標にある矢印の向きが異なります。
安田不動産の金属標を確認できたのは、会社発足のルーツである安浦町を含め横須賀市内で手広く宅地開発をしていた証でしょう。
この金属標が設置された年代は、前身の永楽不動産から安田不動産と改称された1970(昭和45)年以降です。
この鉄蓋の上を、小泉純一郎・元首相も何度か歩かれたことでしょう。
皆さん、安田不動産の金属標と阻水室鉄蓋をご覧になりませんか!? |
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以上、全部で27回報告しました。 | |
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