長崎市 居酒屋の琺瑯看板 | 路上文化遺産と消火栓

路上文化遺産と消火栓

町を路上観察すると路上や木造建築物に、昭和レトロを感じます。
マンホールの蓋や、ホーロー看板、木製牛乳箱などが見つかります。
ここでは、路上文化遺産と消火栓・防火水槽を取り上げます。

長崎市内で散策した目的は、古いマンホールの蓋やオールドプレート送水口の他にも、ガスプレートなどの琺瑯看板も探すことでした。

馬明は朝、銅座町通りや、思案橋横丁などの盛り場も歩きました。銅座町通りの居酒屋で各種の琺瑯看板が壁に勢ぞろいでした。
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この写真では、大學目薬、最上醤油、ヱスビーカレー、ユアサ乾電池ランプの琺瑯看板をご覧ください。

今では、琺瑯看板を街中のお店で見ることが希となり、居酒屋・お好み焼き屋・ラーメン店などの外壁でしか、琺瑯看板が見れなくなる時代は寂しいです。



馬明の路上文化遺産と投資のブログをご訪問くださいまして、大変ありがとうございます。


ブログ開設から、8月31日で8年229日を迎えました。ブログ開設10周年まで1年136日です。





長崎訪問記の第18弾&琺瑯看板の第17弾です。
『居酒屋の琺瑯看板』です。


★1 朝の盛り場★
ここが、長崎市内で有名な盛り場の朝です。

銅座町通り
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奥に見える中華軽食三八では、三八ラーメンが評判のようです。

この銅座跡の碑から、銅座町へ。
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銅座とは、1725(享保10)年に銅代物替(しろものがえ)貿易で輸出した棹銅(さおどう)を鋳造した銅吹所から命名。

ここが、思案橋横丁。
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ここは長崎。奥に見える中華料理よこはまの名前が、おもしろい。

銅座町通りや思案橋横丁の路地では、用足し禁止!
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★2 居酒屋の琺瑯看板★
琺瑯看板(ホーロー看板)は、かつて屋外広告で使用された看板です。

銅座町通りの居酒屋には、琺瑯看板が盛りだくさん。
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淋病の内服薬。
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大學目薬は、参天製薬が1890(明治23)年からの発売。
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星製薬の琺瑯看板もありました。
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創業者「星一」が1926(大正15)年9月6日に誕生した長男のSF作家・星新一を、親切第一から新一と略して命名。

右書きの親切第一は、江戸東京たてもの園の東ゾーンにあります。
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健康保険歯科医。
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険の字体が旧字体の「險」とも違います。

健康保險産婆。これも時代を感じます。
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産婆の琺瑯看板は、助産婦と改称した1948(昭和23)年以前のもので他で撮りました。



皆さん、『街の散策で琺瑯看板』を見ませんか!?



長崎訪問記は、第1回長崎の白ポスト、2回大崎神社の境界石、3回丸山公園の龍馬像と八重桜、4回醤油の琺瑯看板、5回旧グラバー住宅の花、6回長崎市水道の小蓋と猫、7回長崎市の花 あじさいのマンホール、8回津田式手押しポンプと長崎かんぼこ、9回カステラ元祖 松翁軒、10回長崎がボウリング日本の発祥地!、11回西部ガスと東邦ガスのガスプレート 、12回長崎県庁本館と横濱ビルのオールドプレート ~送水口~、13回長崎のオールドプレートと蘇州林の炒飯、14回たばこの琺瑯看板(ホーロー看板)、15回長崎市松が枝町の水準点とキャラクター、16回長崎市 傾斜地の防火対策があります。

琺瑯看板シリーズは、第1回懐かしの琺瑯看板、2回お好み焼き屋の琺瑯看板、3回秦野市内の琺瑯看板、4回琺瑯電話板、5回お好み焼き居酒屋の丸ポストと琺瑯看板、6回中華ソバ屋の琺瑯看板、7回不用になった宅配便系琺瑯看板、8回塩の琺瑯看板、9回ランプの琺瑯看板、10回函館の琺瑯看板、11回サッポロビールの琺瑯看板、12回親切第一の蓋と琺瑯看板、13回醤油の琺瑯看板、14回トタン板の琺瑯看板、15回新聞の琺瑯看板、16回たばこの琺瑯看板があります。

福岡訪問記は、第1回明太子オムライスとNTT話電蓋、2回明治屋レリーフと旧門司市マンホール、3回国際友好記念図書館と桜、4回八幡製鐵のマンホールとトタン板の琺瑯看板、5回海鮮丼と量水器(処理水)、6回戸畑市マンホールと御馬橋、7回おポンプ様と松原水、8回戸畑市量水器と止水栓、9回福岡市の消火栓と送水口、10回九州電力のマンホール 、11回小倉市のマンホールとオールドプレート~送水口~、12回門司港の丸型ポストがあります。
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