生きることに対して、
権利は与えられて居るのかもしれません。
ただ、私にはそういった、生きる権利を行使している実感が湧かないのです。
生きることに対して、積極的ではなく消極的なのです。
もし、三途の川を挟んだ枝分かれの道が目の前に広がっていて、
左側は生存の道、右側は死、いわゆる黄泉の国への道。
私がその岐路に佇んでいて、どちらかを選ばなければならないとしたら、
私は今、喜んで死を選ぶでしょう。
実際問題、死ぬことは簡単です。
ほんの少しだけ、足を前に踏み出して、
あとは少しの時間だけ、我慢すれば良いのですから。
刺青を入れるような行為と一緒です。
あとは、勇気の問題です。
死ぬのは怖いと思ってしまいがちですが、
本当に恐ろしいのは、死ぬことではなくして、
現状のまま生きていくことではないかと考えます。
何が起きるか分からない、という性質。
それは一般的といわれる神経で考えれば、明日とか明後日とか、
何が起きるか分からないから、楽しみで仕方がないと思えるのですが、
それは生きることに対して積極的な場合であって、
ポジティブな性格の持ち主だからこそ、そう思えるのです。
では、私のようなネガティブな思考を持った人の場合はどう考えるか。
陰と陽。
大抵のことは自分自身に対してマイナスイメージのことしか起きません。
私は自分にとって良い事が発生したとしても、それを100%受け入れられるほど、
おこがましい人間ではありません。
私の欲しい物は、大抵はすぐに、どこかへ消えてしまいます。
私が毎日行っているのは、好きでも無い仕事ばかりです。
基本的に、人と喋ることがあまり好きではなくなってきてしまいました。
よく分からないのです。
自分自身が此程までに分からなくなったのは初めての経験です。
だから、こうやって、脳内より思いつくことを言葉に変換して、
記録に残している、と言ってしまえば聞こえは良いでしょう。
何かが楽しみで生きている、ということについて、
今の私には完全に欠落してしまっている部分であります。
人によって、何を楽しみにしているかは変わってきます。
食事が好きな人、ギャンブルが好きな人、映画が好きな人、デートが好きな人、
運動が好きな人、仕事が好きな人、音楽が好きな人、などなどなど。
唯一それがあるから、人は毎日生きていける。
人は自分自身の為に生きているのと同時に、他の誰かや何かの為に生きている、
ということに対して心の安定を求めているのです。
それが無い場合は、生きる意味等無いと思い込んでしまいます。
はっきり言えば、生きる意味も死ぬ意味もありません。
ただ、そこに在るだけの存在。
自分が好きだったものが、どんどん消えていってしまう恐怖。
私には、その恐怖に耐えられないのです。
死ぬことよりも。
むしろ、死んだら自分の意識がどうなってしまうのか、ということについて、
少なくとも自分が今生きていることよりも、興味があるかもしれないです。
こうして書くと、今正に、
私が自殺する直前みたいな情景を浮かべるかもしれませんが、
少なくともあと1週間は、生きているつもりです。
ただ、明日道路を歩いた時に車に轢かれたり、
重い荷物に潰されてしまったり、
突然心臓麻痺になってしまったり、
ミサイルが飛んできたり、地雷を踏んでしまったり等、
予定していない死が、明日待ち受けているのかもしれません。
それはある意味、明日の楽しみでもあります。
だから、明日の為に、今日を生きてみようと思うのです。