生きる権利 | Recover my heart, change the world.

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日々の思想、小説、詩、エッセイ、悟り、妄想、体験、揺れる気持ち、音楽など、私の表現です。

生きることに対して、

権利は与えられて居るのかもしれません。

ただ、私にはそういった、生きる権利を行使している実感が湧かないのです。

生きることに対して、積極的ではなく消極的なのです。

もし、三途の川を挟んだ枝分かれの道が目の前に広がっていて、

左側は生存の道、右側は死、いわゆる黄泉の国への道。

私がその岐路に佇んでいて、どちらかを選ばなければならないとしたら、

私は今、喜んで死を選ぶでしょう。

実際問題、死ぬことは簡単です。

ほんの少しだけ、足を前に踏み出して、

あとは少しの時間だけ、我慢すれば良いのですから。

刺青を入れるような行為と一緒です。

あとは、勇気の問題です。

死ぬのは怖いと思ってしまいがちですが、

本当に恐ろしいのは、死ぬことではなくして、

現状のまま生きていくことではないかと考えます。

何が起きるか分からない、という性質。

それは一般的といわれる神経で考えれば、明日とか明後日とか、

何が起きるか分からないから、楽しみで仕方がないと思えるのですが、

それは生きることに対して積極的な場合であって、

ポジティブな性格の持ち主だからこそ、そう思えるのです。

では、私のようなネガティブな思考を持った人の場合はどう考えるか。

陰と陽。

大抵のことは自分自身に対してマイナスイメージのことしか起きません。

私は自分にとって良い事が発生したとしても、それを100%受け入れられるほど、

おこがましい人間ではありません。

私の欲しい物は、大抵はすぐに、どこかへ消えてしまいます。

私が毎日行っているのは、好きでも無い仕事ばかりです。

基本的に、人と喋ることがあまり好きではなくなってきてしまいました。

よく分からないのです。

自分自身が此程までに分からなくなったのは初めての経験です。

だから、こうやって、脳内より思いつくことを言葉に変換して、

記録に残している、と言ってしまえば聞こえは良いでしょう。

何かが楽しみで生きている、ということについて、

今の私には完全に欠落してしまっている部分であります。

人によって、何を楽しみにしているかは変わってきます。

食事が好きな人、ギャンブルが好きな人、映画が好きな人、デートが好きな人、

運動が好きな人、仕事が好きな人、音楽が好きな人、などなどなど。

唯一それがあるから、人は毎日生きていける。

人は自分自身の為に生きているのと同時に、他の誰かや何かの為に生きている、

ということに対して心の安定を求めているのです。

それが無い場合は、生きる意味等無いと思い込んでしまいます。

はっきり言えば、生きる意味も死ぬ意味もありません。

ただ、そこに在るだけの存在。

自分が好きだったものが、どんどん消えていってしまう恐怖。

私には、その恐怖に耐えられないのです。

死ぬことよりも。

むしろ、死んだら自分の意識がどうなってしまうのか、ということについて、

少なくとも自分が今生きていることよりも、興味があるかもしれないです。

こうして書くと、今正に、

私が自殺する直前みたいな情景を浮かべるかもしれませんが、

少なくともあと1週間は、生きているつもりです。

ただ、明日道路を歩いた時に車に轢かれたり、

重い荷物に潰されてしまったり、

突然心臓麻痺になってしまったり、

ミサイルが飛んできたり、地雷を踏んでしまったり等、

予定していない死が、明日待ち受けているのかもしれません。

それはある意味、明日の楽しみでもあります。

だから、明日の為に、今日を生きてみようと思うのです。