生命の営みは満月や大潮といった地象や気象に導かれることが多い。満月の産卵は海亀だけではない。鳥獣や昆虫、そして我々人間だって同じだ。統計的には、こうした条件の下に命を授かる確率が最も高いのだ。災いをもたらす地震や台風も、生命の循環と息吹きをもたらす意味では、「自然の摂理」といったところか。

 世界各地で気温が上昇する中、とりわけ日本の突出ぶりが際立つといった不可思議な現象。これってもしや…。

 この夏も世界各地で異常気象が頻発している。猛暑の北半球は干ばつと豪雨に苛まれ、この日本でも(伊勢崎市で)41.8度を観測するなど、これまでにない熱波の渦中にある。一方、南半球では、オーストラリアの(南東部に位置する)ニューサウスウェールズ州で40cmもの雪が積もったとか。そもそも降雪には縁のない地域だ。さぞかし驚かれたのではなかろうか。

 こうした中、心配なことも。台風のことだ。海水温の上昇は日本近海までが熱帯の如くである。一昔前、東京湾に群れる熱帯魚の姿を、どこの誰が想像しただろうか。そう、エネルギーを十二分に蓄えた“スーパー台風”が、その勢力を維持したままでやって来るのだ。これでは先が思いやられるが、過去には一体、どのような大型台風があったのだろうか。


(近年の大型台風)
(昭和20年以降)

 近年では伊勢湾台風であろう。1959年9月26日に潮岬に上陸した台風は、伊勢湾岸一帯に高潮を発生させ、愛知と三重に死者行方不明5098人に及ぶ甚大な被害をもたらしている。だがこれだけてはない。歴史を遡るともっと恐ろしい台風があるのだ。

 元寇(蒙古襲来)の神風は台風だったとする説(実は怪しい?)があるように日本列島は台風銀座でもある。1828年9月17日には九州地方を猛暑な台風が襲った。シーボルト台風と称され、有明海から博多湾に発生した高潮によって、犠牲者は1万9千人にも達した。この台風、九州上陸時の気圧は900hpと推定されている。これは、過去300年で日本列島に上陸した中では最大規模だそうだ。

 関東地方とて例外ではない。安政年間には驚愕の超大型台風に直撃されているのだ。

(安政江戸台風の推定進路)

(画像はネットから借用)

 1856年9月23日、伊豆半島付近に上陸した(安政江戸)台風が武蔵国(の北部)を通過する。江戸の街は猛烈な暴風雨に晒された。東京(江戸)湾には高潮が発生。江戸の街は下記(絵)の如く地獄絵図と化していった。

(水没した江戸)

(江戸は壊滅したとも噂された)
(安政風聞集より)

 「江戸大風雨 城中を始として市中大小の家屋殆ど損破せさる莫く芝 高縄 品川 深川 洲崎等の海岸は風浪の被害有り 本所出水床上に及ぶ 永代橋 新大橋及ひ大川橋 何れも損所を生じ築地西本願寺 芝青松寺 本所霊山寺の佛殿を始として 神社佛閣の或は潰倒し 或は破損する者少なからず 共惨害 実に乙卯(安政二年)の震災に倍すと称せらる」

(出典:東京市史稿)

 この台風による犠牲者は5万人とも10万人ともいわれる。上の絵からも甚大な被害であったことは容易に想像が付く。10万人なら関東大震災に匹敵する規模である。当時の江戸の人口(通説では100万人も実際は70万人未満)からして1割以上が犠牲になっているのだ。台風の被害としては有史以来最悪ではなかろうか。

 また、この年代は地震も多発期だった。稀に見る規模の大地震が相次いでいた。

◆1854年07月09日、伊賀上野地震、M7.5
(内陸直下型、死者、約1800人)

◆1854年12月23日、安政東海地震、M8.4
(南海トラフ型、死者2~3千人)

◆1854年12月24日、安政南海地震、M8.4
(南海トラフ型、死者1~3千人)

◆1855年03月18日、飛騨地震、M6.9
(内陸型、死者203人)

◆1855年11月11日、安政江戸地震、M7.0
(首都直下型、死者1万1千人)

◆1856年08月23日、安政八戸地震、M8.3
(北日本に津波、死者29人)

 このように(巨)大地震にも襲われ続けた。猛烈な台風に南海トラフ型の巨大地震と、未曾有の災厄にあって、元号も嘉永から安政(1855~60年)になった。それも『安泰』を願っての改元だというから、その混乱ぶりたるや推して知るべしであろう。

 気象と地象は別物かも知れない。でもこうした一致はどう説明すれば良いのだろうか。大きな地震が特定の時期に重なる中にあって、大型台風もまた、歴史的鳴動期に歩調を合わせる如くに襲来しているのだ。この数年、頻発する大地震に、益々巨大化して接近する台風の数々。その後、政変にまで至った激動(1850年代)の再来を、どうして否定できようか。

 日本の大都市は、東京、大阪、名古屋と、その多くが水の都である。水路の利便性によって形成されたといっても過言ではない。この水の都が危機に瀕している。キティ台風(1949年)では下町を中心に東京の多くが水没した。当時とは人口規模がまるで違う。近い将来、更に巨大化したスーパー台風がやって来るだろう。地震学者の石橋克彦氏はかつて、「東京は度重なる地震で無人の荒野に帰す」と述べたが、同じ帰すにせよ、地震より台風の方が先かも知れない。

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《余談》

 【熱中症対策の功罪】

 暑い夏の一日。こうした中では、いつも恒例の呼び掛けが行われる。『不要不急の外出は避け、クーラーを使って、こまめな水分補給を欠かさないように』といった具合である。確かにその通りだろう。でもそうは問屋が卸さないもの。学生だけではない。勤労者であれ夏場は一年で最も長い休暇を取りやすい時期でもある。だからこそ、OLCにUSJ、それに万博など、この季節は屋外型のテーマパークやイベントにとっても最大の稼ぎ時なのだ。スポーツ観戦や夏祭りだって然り。抑制されたのでは堪ったものではない。経済への影響だって計り知れない。

〈急増する単身高齢者世帯〉
(総務省データより)

【単身高齢者を閉じ込めることで生じる弊害も】

 外出を規制するだけでは何の解決にもならない。そもそも熱中症は、その90%が屋内での発症と聞く。65歳以上の『単身高齢者』が900万世帯を超える社会にあって人目に付かないことで手遅れになるケースが後を絶たない。命に関わる暑さを理由に家に閉じ込めることで犠牲者も急増しているのだ。十数万人に及ぶ超過(不審)死の中にだって相当数が含まれるだろう。ならばどうだ。外出を促してみては。無論、リスクはあるにせよ、それでも人目に晒されていた方がより無難かと思うのだが・・。