【少子高齢化の果てに】

 過疎に悩む辺境な田舎町には老いて盛んなふたりの商人がいました。ひとりは良心的な商売をし、そしてもうひとりは強欲であるため、それぞれ「善爺」と「悪爺」と呼ばれていました。

〈今日の日本、明日のニッポン〉
(画像はネットから借用)

 毎日のように若者が去る町は、どこもかしこも年寄りばかり。これではとても商売にはなりません。それでも善爺は“値引き”で顧客の引き留めに努め、悪爺は“値上げ”で利益の確保に奔走していました。

 ある秋のことです。この年は冷夏と相次ぐ台風が重なり、わずかな田畑だけが頼りの人々にとっては、もうどうにもならない状況に陥っていました。

 善爺は思いました。
 
「ここはなんとしても助けんと!」

 悪爺も思いました。
 
「ここは是が非でも儲けんとな!」

 善爺は大幅な値下げを断行することで苦しい住人の生活を救おうとしました。

 悪爺は千載一遇のチャンスとばかりに品不足の商品を法外な値段で売ることで大儲けを企みました。

 客足の差は歴然でした。住人の大半は善爺の方に向かいました。でも、義理や高齢で隣近所でしか買い物が出来ない者も多く、高くてもそこそこに客が入るから田舎とは不思議なものです。大出血サービスで大赤字の善爺をよそに、悪爺の方は儲かってしまったのです。

 善爺は困りました。もう商品を仕入れるだけの元手がありません。
 
 悪爺はウハウハでした。なにせ「高くても売れる。売れれば儲かる」と、とんでもない味を占めてしまったからです。

 さあ、季節は秋から冬へ。苦しいながらも、やりくりしてなんとか新年を迎えようと、どこもかしこも大わらわです。村人だけではありません。善爺と悪爺だって大わらわなのです。ただ、善爺は資金繰りに、悪爺はいかに儲けようかで大わらわでした。

 善爺は「お金がなくても出来る商いはないか」と考えました。そして地元の食材を使った安くて美味しいものを生み出しました。さらに在庫もなくガランとした売り場は地域老人の憩いの場として使ってもらうことにしたのです。するとどうでしょう。触れあいを求める高齢者が次々と集まり出したではありませんか。

 一方の悪爺はどうでしょう。当然のように「まだまだ高く売って稼ぐんじゃ!」と、そろばん勘定に夢中になっていました。

 桜の季節になりました。善爺の店の評判は津々浦々まで知れ渡り、連日、押すな押すなの大盛況でした。人の集まる所こそ格好の市場として、「遅れてなるものか」とばかりに異業種も殺到し、一大シルバーマーケットゾーンが誕生していました。

〈人口1000人の限界集落に出来たコンビニ〉
(画像はネットから借用/本文とは無関係です)

 そして今、「ポストIT産業」として過疎地ビジネスが花盛り。でも心配ごとがただ一つ。それは、国の借金が1216兆円から2000兆円に膨らみ、GDPは530兆人から半分以下の200兆円まで激減。しかも、度々のモラトリアムも虚しく財政は破綻し、一人当たりのGDPたるや某国に抜かれ世界最貧国になっていたことです。トホホ!

 でも大丈夫。だって、限界集落は連携して“独立”し、凋落する“本国”をよそに誰もが羨む理想郷を造り上げたんですから\(^-^)/。

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(過疎地での無人店舗展開を伝える記事)
(日経、紙面より)

 最近、過疎地にも、こんな動きがある。これまでなら、せいぜい移動販売程度であったが、そこに直接出店しようというのだ。全国的な傾向であり、この意味するものは何だろうか。営利が企業の根幹である以上、ボランティアはない。限界集落であれ、やり方次第では儲かるということか。しかも無人化が絶対条件であるなら高齢者とて只では済まない。必然的にAI化の渦に巻き込まれてゆく。でも、キャッシュレスにスマホ決済など、百歳ゴロゴロの住人に、どこまで理解出来るだろうか。

「えっ、今のスーパー(超)高齢者は、アンタよりずっと詳しいって・・」

「イタッ!!🥶」

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【最新の人口動態】

 厚生労働省は先日、2022年(令和4年)10月分の人口動態統計速報を公表。2022年1~10月の出生数は前年同期より3万3,827人少ない66万9,871人だった。このペースを前提とするなら、2022年の出生数は80万人を割り込み、これまでにも増して危機的な状況に陥ることを意味する。だがこれとて始まりに過ぎない。更に恐ろしい現実が待ち受けるのだ。


 昨年(2021年11月から22年10月まで)は、809.070人の出生数に対して死者数は1.546.142人と、この一年だけでも737.072人のマイナスである。コロナ渦に影響されたとはいえ、それだけではない。少子化の歪であり、ことに高齢者の急増にある。もし、このまま拡大するなら、どうなってしまうのだろう。


 言うまでもなく我が国の人口構成は高齢者が多数を占める。団塊の世代なら各年代に約250万人が存在する。方や出生数は下がるばかり。50万人(年間)を下回るのも時間の問題であろう。そう、あと十数年で年間200万人(250ー50)の人口減少が現実味を帯びるのだ。タイムラグはあるかも知れない。だがこの乖離は如何ともし難い。年間200万人の欠落がどれだけ恐ろしいことか。

(総務省データ)

 高齢化社会は出生率が改善しない限り永遠に続く。そして国力を蝕んでゆく。人口を維持する上での置換水準は2.07である。後々、健全な水準まで回復したとしよう。それも20年や30年先では何ら意味をなさない。この間にも半減してしまうのだ。巷の『AIが解決する』もどうして間に合おうか。高齢化のピークは『今現在』なのだ。一世代毎に人口が半減する社会。それも改善の糸口さえ見い出せぬままに。の国に未来はあるのだろうか。

《参考/過去記事》