あまのいはとを うちひらく
すめおほかみに わもふしぬ
けんよへきるり ゆたやなせ
ゐれつさねえて ころそゑむ

天の岩戸を 打ち開く
皇大神に 我も伏しぬ
権輿碧瑠璃 猶太鳴せ
威烈実得て 頃ぞ笑む

解説

打ち開くは「大きく開く。また、勢いよく開く。」、我(わ)は「一人称の人代名詞。われ。わたくし。」、伏す(ふす)は「腹ばいになる。また、地面にひざをつくなどして頭を深く下げる。」、権輿(けんよ)は「《‘権’は秤 (はかり) のおもり、‘輿’は車の底の部分の意で、どちらも最初に作る部分であるところから》物事の始まり。事の起こり。発端。」、碧瑠璃(へきるり)は「青色の瑠璃。また、その色。」「青々と澄みとおった水や空のたとえ。」、猶太(ゆだや)は「パレスチナ南部、エルサレムを中心としたユダ王国の地。また、バビロンに捕囚となったユダヤ人が前538年に帰還したその地。ユダヤ教を信仰し、世界各地に散らばっているその民族をもいう。」、鳴す(なす)は「音をたてる。鳴らす。」、威烈(ゐれつ)は「威光の激しいこと。激しい威力。」、実(さね)は「果実の中心にある堅い部分。種。」「根本のもの。実体。」、頃(ころ)は「季節。時節。折。ころ。」の意味です。

余談

この歌は、「デモンベインO,C,T,DISC-2」の中にある「神の摂理に挑む者達-魔を断つ剣は未だ折れず」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

見ての通り、歌の最初の文字を縦に読むと「天皇権威」の文字が浮かび上がるように創ってあります。

それにしても、どえらいことになってきた。

アメリカは6月1日、ロシア本土まで届くミサイルをウクライナに供与したことで、ロシアの核使用が現実味を帯びてきた。

『アメリカ、ウクライナに長距離ロケット供与へ 「火に油注いでいる」とロシア』(yahooニュースより)


現に、既にロシアの核兵器部隊が演習を始めている。

『ロシア軍 ICBMの演習を開始 核兵器扱う部隊が参加』(yahooニュースより)


下記ブログによれば、アメリカとロシアとの温度差は相当激しいようだ。

『ロシア上院議員、欧州の米軍基地へのミサイル攻撃を要請』(「メモ・独り言のblog」さん)


欧州に実際に核が落ちれば、否が応でも第三次世界大戦へと戦火は拡大し、最終的に日本が詰んでしまう。

出口王仁三郎聖師の予言していた「この次の第三次世界大戦の緒戦には、小松は家一軒残らんぞ、よほどしっかりした信仰を持っておらんとあかんぞ」が成就してしまう。

『出口王仁三郎の戦争に関する予言』(「瑞霊に倣いて」さん)


それどころか続・瑞能神歌の内容までいってしまう。

下記参照。

 

 

もうこれを押さえられるのだとしたら、猶太(ユダヤ)しかないだろう。

世界中との核戦争すら辞さない姿勢の、あのプーチン大統領でさえ、イスラエルには謝罪している。

『プーチン大統領 外相のユダヤ人めぐる発言をイスラエルに謝罪』(NHKより)


下記ブログで紹介されている、出口王仁三郎聖師の言によれば、ユダヤは艮の金神に使われているという。

『王仁三郎とユダヤ(5)①』(「moto MEMO BOX」さん)


善人悪人分け隔てなく、無料で誰にでもそのエネルギーを与えているお天道様(=太陽)に倣い、税金を撤廃して、何もかも無料にする代わりに、皆がタダ働きする「日の光の政治」「与える政治」を日本が始めれば、ユダヤも180度良い方に変わって、このやり方を、その途方もない財力とネットワークを駆使して、世界中に大宣伝してくれると思う。

下記参照。


日月神示によれば、7月8月9月になると上の人民番頭殿の顔色が変わってくる、とある。

『口と心と行と三つ揃ふたら今度は次にヽ入れて下されよ、ヽは神ぢゃ、神示ぢゃ、神示元ぢゃ、と申してあろが、三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。九分九分九厘となってゐる事も判るであろが、御用 勇んで仕へまつれよ。目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、新しき生命 弥栄に生れるのぢゃ。今日一日 神に仕へまつれよ、与へられた仕事 御用ざぞ、生命ざぞ、取違ひ致すでないぞ。七月になると上の人民番頭殿、顔の色 悪うなって来るぞ、八九月となれば愈々変って来るぞ、秋の紅葉の色変るぞ。いくら因縁ありてもミタマ曇ってゐると今度は気の毒出来るから、今度 引寄せられた人民ぢゃとて役員ぢゃと云ふて、ちっとも気ゆるし出来ん。澄んだ言霊(ことだま)で神示よみ上げてくれよ、三千世界に聞かすのぢゃ、そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、判らいでも神の申す通りにやって下されよ、三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、世が迫って居ることは、どの神々様人民にもよく判ってゐて、誠求めて御座るのぢゃ、誠知らしてやれよ。何も彼も一度に出て来るぞ、日増しにはげしくなって来るぞ、どうすることも出来ん様に、悪神、悪の人民、手も足も出せん事に、何から何まで、何が何だか判らん事に折り重なって来るぞ、キリキリ舞せなならん事になって来るぞ、キリキリ舞にも良きと悪しきとあるぞ、良きは結構ぢゃなあ、中々ぢゃ。』(梅の巻 第八帖)

 

『春が来れば草木に芽が出る。花が咲く。秋になれば葉が枯れるのぢゃ。時節よく気付けて取違ひせんよういたしくれよ。時節程結構なものないが、又こわいものもないのであるぞ。丁度 呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ。吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ。これが神の用(ハタラキ)であるから、神の現われの一面であるから、神も自由にならん。この神も時節にはかなわんのであるのに、そなたは時々この時節を無視して自我で、或ひは時節を取違ひして押しまくるから失敗したり怪我したりするのぢゃぞ。素直にしておれば楽に行けるようになってゐるぞ。時まてばいり豆にも花さくのであるぞ。水が逆に流れるのであるぞ。上下でんぐり返るのであるぞ。上の人が青くなり、下の人が赤くなるのであるぞ。取りちがひないように理解して下されよ。』(月光の巻 第五十八帖)

そして、秋の空グレン、とある。

『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。』(水の巻 第十四帖)

仮に6月に欧州に核が落ちれば、その危機感から夏の参議院選挙で自民党が大勝して「改憲」への流れとなり、それをテコに、いよいよ秋頃には「徴兵制」復活の声が聞こえてきそうだ。

ちなみに夏の参議院選挙は7月10日が有力だそうだが、これは何気に七@十(=なると=鳴門)ではないか?

『太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るのであるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝にヽ(テン)を入れることであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナルトの仕組。富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、これが判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でものを生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるには助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士(普字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。』(至恩の巻 第十六帖)

20「22」年の「7」月「10」日で、二二(ふじ)と七@十(なると)の仕組み、とか、何のダジャレかとも思うが、ここに7・10(ナトー=NATO)の新たな動きも出て来だしたら、そう笑ってもいられなくなるかもしれない。

神示では九月・十月が大切だという。

『岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。』(上つ巻 第十八帖)

『神の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。』(富士の巻 第二十七帖)

『桜咲き神の御国は明けそめにけり。十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。火吹くぞ。火降るぞ。』(日の出の巻 第十帖)

『この方 明神(みょうじん)とも現はれてゐるのざぞ、臣民守護の為に現われてゐるのであるぞ。衣(ころも)はくるむものであるぞ、くるむとは、まつらふものぞ、神の衣は人であるぞ、汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ。衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ、暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ。今は神の衣なくなってゐる、九分九厘の臣民、神の衣になれないのざぞ。悪神の衣ばかりぞ、今に臣民の衣も九分九厘なくなるのざぞ。◎の国、霊の国とこの世とは合せ鏡であるから、この世に映って来るのざぞ、臣民 身魂洗濯して呉れとくどう申してあらうがな、この道理よく分りたか。十月とは十(かみ)の月ぞ、―と|との組みた月ぞ。』(地つ巻 第二十四帖 ◎は原文では「〇にヽ」の形)

どちらにせよ、一度出て来だしたら、やり直しは出来ないそうだ。

『今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、臣民 口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。』(富士の巻 第六帖)

『神示読めば何も彼も判る様になりてゐること分らぬか、おはりの御用 御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組通りになりてゐる、臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲く所へつくれよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀り呉れよ、祭典(まつり)、国民服(※)の左の胸に八(や)たれのシデ二本つけて キヌのシデつけて当分奉仕してよいぞ。道場は一の宮と一つ所でよいぞ、イイヨリの御用 タニハの御用 御苦労であったぞ。皆の者 愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌しめよ、グレンざぞ。』(キの巻 第二帖 ※「国民服」は戦時中に着用した成人男子の洋服のこと)

『マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。』(磐戸の巻 第十二帖)

今までのやり方を続けていたら、後になればなる程、苦しみが長く大きくなるばかりなので、一日も早く日本から「日の光の政治」の型を出すべきなのだ。

『この神は日本人のみの神でないぞ。自分で岩戸開いて居れば、どんな世になりても楽にゆける様に神がしてあるのに、臣民といふものは慾が深いから、自分で岩戸しめて、それでお蔭ないと申してゐるが困ったものぞ。早う気づかんと気の毒出来るぞ。初めの役員十柱集めるぞ。早うこの神示写して置いて呉れよ、神急けるぞ。』(下つ巻 第十二帖)

『この神示読ますやうにするのが役員の務めでないか、役員さへ読んでゐないではないか。神示に一二三(ひふみ)つけたもの先づ大番頭、中番頭、小番頭どのに読まして呉れよ、道さへつければ読むぞ、腹に這入るものと這入らぬものとはあるなれど、読ますだけは読ませてやるのが役員の勤めでないか。旧九月になったら、いそがしくなるから、それまでに用意しておかんと悔しさが出るぞよ。いざとなりて地団太ふんでも間に合はんぞ。餅搗くには、搗く時あるのざぞ、それで縁ある人を引き寄せてゐるのざぞ、神は急けるのぞ。』(地つ巻 第三十一帖)

『二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。』(地つ巻 第三十六帖)

『カミの大事の肝腎の所が違ふた事になりてゐるから、其の肝腎要(かんじんかなめ)の所 元に戻さな何程人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、此処と云ふ所 出来んぞ、神の国の元の因(もと)のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返りてゐるぞ、早う気付かんと、間に合はんぞ、もちと大き心持ちなされよ、世界の事ざから、世界の御用ざから、大き心でないと御用出来んぞ。これからは神が化けに化けて心引くことあるから其のつもりでゐて呉れよ、三、四月気付けて呉れよ。』(キの巻 第四帖)

『この神示は心通りにうつるのざぞ、思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、心違ふと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方クヤム事嫌いぞ。次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民 今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ、神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな、早う気付かんと間に合はんぞ。この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。』(キの巻 第五帖)