今朝は基礎トレは後回しで、チェンバロで曲の練習しています。
土曜日の練習だけではなく、この楽器でできることを探っているのです。
過日に「モーツァルトは弾けそう」と思った通り。
やはりモーツァルトはどんな曲でもこの音域があればカバーできますやね。
モーツァルトの鍵盤音楽の最高音は、現代ピアノの1オクターブ低いとこのFの音で。
うちにあるチェンバロも最高音はそのFですから。
ただし。
うちのは冬にいろいろと「あれ?」と思うところに手を出し過ぎて、ピクトグラムという大切な爪を2・3本折ってしまって。
バッハの曲を弾くには最高音はDくらいまであれば十分弾けるので問題ないから、ピックが折れたジャックをそこら辺の最高音域に配してありますから。
モーツァルトのこの最高音域のド~ファはよく使われるので、「スカ」と音が出ないとこが発生しちゃう。
直し方を調べないとなぁ。
それはともかく。
ソナタは自分は嫌いなんです。
弾くなら20番~27番のコンチェルト。
23番イ長調、25番ハ長調、26番ニ長調(戴冠式だっけ)のそれぞれのロンドアレグロを試してみました。
この三つはピアノソロで弾けるようにちょっと手を加えてあるんで。
とりあえず26番がいいかもね。
しっかり思い出しておこうと考えています。
まぁ問題も考えられるんですけどね。
こういったチェンバロの最高音域のAの音より上は自分にとってあまり魅力のない音色で。
ピンピンとなんかチープな音。
できるだけ出したくない音。
これがバロックや古典派までの面白いとこです。
現代曲なら高音はバシバシ使うのですけど。
楽器の構造なんでしょうね、あまり高音域には魅力がない。
むしろ現代曲では右手では多用しない伴奏音域の真ん中のC(ド)の音よりも低いほうがずっと魅力的。
こういうのはピアノを弾いているだけでは気づかなかったことです。
チェロやホルンの音色に安心感が得られるのは、やはりこの音域の響きが心地よいのでしょうね。
この音域は男声の音域でもある。
男の声に安定感があり、女の声に光沢感があるのはこういった音域差でもあるのは当然のことでしょうね。
ちなみにろくざののどはのどぼとけが全く出ていない、そしてのどぼとけの突起がない人間の声は高音なんで、ろくざの声はけっこ~甲高いんですよ。
誰でもそうでしょけどね、自分の声は嫌いなもんです。
ということで。
モーツァルト音楽のほとんどがチェンバロで弾くことができる、というのは数十年前にヒットした「アマデウス」という映画でもお気づきの人は多いでしょうね。
なんとなく、ってとこでしょうが。
オペラの通奏低音にチェンバロを使うことでわかる、のではなく。
まぁどうせ映画の話ですからそんな情景は実際にはありはしなかったと思いますが。
モーツァルトが王さまだか領主さまだかの前で「こんど楽しいオペラを作るんです」と、自身の最高傑作オペラとなる「フィガロの結婚」の序曲ができたということでそれをチェンバロだけで弾いてみせるシーン。
あれはピアノではなくチェンバロですもんね。
当時まだ若かった自分は、「あのはちゃめちゃな序曲がチェンバロなどという脆弱な楽器ひとつで弾けるんだ?」と思ったのです。
まぁ何度も言いますが、映画ですからねぇ、ホントに弾けるかどうかは自分で編曲して試してみねぇとわからんです。
とにかくモーツァルトの音楽はチェンバロでも弾ける可能性が高いのは事実。
でも。
当時だんだんと表現の幅として当然出てきたことがあり。
だんだんと音域の狭さにがまんできずに、徐々に楽器の改良が進んで楽器の出せる音域が広くなって。
モーツァルトのオペラ「魔笛」でも夜の女王のアリアで最高音F(ファ)まで出すようになったのは先日も書きましたし。
モーツァルトの次世代、ベートーヴェンの頃になるとモーツァルトの使っていたピアノの最高音Fよりも高いCの音まで改良され。
低いほうはそれまでの最低音Fほどからその下のFまで出せるようになって、それで作られたのが「熱情」ソナタです。
だから「ベートーヴェンの曲はどうしてピアノの鍵盤の全音域を使わないのだろう?」ではなく、「ベートーヴェンは当時の楽器の全音域を使っていた」ということです。
当然モーツァルトも然り、モーツァルトの使えていた楽器のすべての音域を使って音楽を作っていた。
これはもっと前の時代のバッハやヘンデルと同い年のラモにも言えて。
ラモはかなり金持ちの王さまおつきの音楽家だったんだろうなと思うのですけど。
ラモの音域は広いのです。
上はEとかFとかくらいまで、つまり後の世代のモーツァルトと同じ音域。
下はEほどまで使っています。
モーツァルトよりも100年ほど前の時代の人ですからね、バッハやラモは。
そう考えるとそれだけ高い音のするチェンバロを使っていなければ当然そんな音楽は書かなかったわけで。
そして、その高音が出せるような高価な楽器がなければラモの音楽は演奏できない。
つまりラモの曲を弾ける人間もそれなりのクラスの人間、もしくはそういった貴族に仕えていた音楽家ということになるでしょう。
それが。
びんぼ~バッハは違う。
たぶん、一般的なふつ~のチェンバロを使っていたんだろうと思うのです。
バッハの曲は上は精々Dまで。
下もBまであればほぼ弾ける。
無茶言えば、ちょっと狭いC-Cの4オクターブがあれば十分弾ける。
音楽の持つ悲劇性の強さを考えるとバッハの曲は一般的ではなく、一般庶民の趣味の許容性を考えればヘンデルやラモのほうが親しみやすいに決まっているのに彼らはリッチでいい楽器でないと音域が足りないから、バッハの悲劇的な曲調からすれば一般的ではないのにも関わらずバッハの曲のほうが一般的なチープなチェンバロで演奏を実現させやすい。
おもしろいもんですねぇ。
悲劇的な曲調が多いから頭がパ~が多い貴族たちに好まれるわけがない、だから貧乏。
輝かしい曲調のヘンデルや柔らかく音域の広いラモとは違い、燻し銀のような音色が強いのは、バッハはそういう音域が若干狭い曲ばかりというのがあるんでしょうね。
そしてバッハの曲の一番魅力的に響く音域が、真ん中のCよりも低い音。
声でいえばアルトとかバス。
決してソプラノではない。
で。
これから自分がチェンバロでモーツァルトも弾こうかと練習してみたのですが。
当然高音が多いのです。
これがね~、自分には耳ざわりなんですよね。
モーツァルトの時代のピアノなんて、今のピアノに比べればクズに決まってますけど。
なぜ、モーツァルトの残している曲が「ピアノソナタ」「ピアノ協奏曲」になっているのか、当時とすればそんなにピアノが流行していたとは自分には思えないんですよね、音が悪すぎて。
あんなハンマークラヴィアみたいなクズ音、ステキだという人間の神経が理解できない。
でも。
ひとつわかってきたことが。
チェンバロとピアノは同じ鍵盤楽器だけど同じではない。
銚子でも話したんですけどね。
まぁそれは東御でも話したいのでここでは書くのはやめましょねぇ。
ともかく、音は悪いに決まっていてチェンバロの音色の比ではなかったはずなのに、どうしてピアノがよかったのか。
どんなにひどい音でも、ひどい音だからこそ高音の耳障りな音がまろやかになっていたんじゃないかと思うのです。
チェンバロでモーツァルトのピアノ協奏曲を弾くと高音音域が自分にはちょっと我慢できない。
チェンバロの音はデリケートなので「耳ざわり」というのは正確な表現ではないのでしょうが、自分でその音を聞いていて、なんか疲れるんですよね。
モーツァルトのオペラを聞いたある王さまが言ったと伝えられていますが。
「なんと音が多すぎることか」
モーツァルト答えて曰く。
「王さま、これらは必要な数の音なのです」
過去には自分も納得していましたけど。
たしかに楽しい音の洪水。
なんですけど。
モーツァルトをチェンバロで弾くには音が多すぎてガチャガチャとし過ぎる。
最近このチェンバロを弾くようになって、「少ない音が持つ魅力」にどんどんハマるようになっていて。
バッハのチェンバロ曲でも音が多いくらい。
自分が編曲したバッハの曲程度の音の数がちょうどいいのかも。
ラモが魅力的なのは、高音域を使ってはいても音数は少ない。
ん~。
いろいろと考えつくものですねぇ。
(● ̄▽ ̄●)
