回顧録「いつか見た映画 1950」1『シンデレラ姫』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『シンデレラ姫』
☆☆☆☆★[90]

1950年/アメリカ映画/74分
監督:ウィルフレッド・ジャクソン/ハミルトン・ラスケ/クライド・ジェロニミ
声の出演:アイリーン・ウッズ/ウィリアム・フィップス/エレノア・オードリー/ヴェルナ・フェルトン/ローダ・ウィリアムス/ルシール・ブリス/ルイス・ヴァン・ロッテン/クレア・デュブレイ

■1950年 劇場公開作品 1本目

「2015年」実写版『シンデレラ』が、「1950年」「アニメーション映画」『シンデレラ姫』の「リメイク映画」だと思い知り、「どこがどう違うか」「超」見たい衝動に駆られた。

まず「ネズミ」「小鳥」が人間の言葉を話して「ここまで」「大活躍」するの見て「おしっこ垂れ流し」。

「王子がどんな人間か解からない」「王子が何でシンデレラを好きになるのか解からない」。本当に「一目惚れ」だけで「どんな人間か解からない」のに「結婚」を「決意」できるのか?

「シンデレラ」も「金持ち」だけで「結婚」を「決意」できるのか? 「シンデレラが何で王子を好きになるか解からない」。

また「国王」は本当に「王子が気に入った女なら誰でもいい」だったのか? また「国王」が死なずに生きてるの見て「おしっこ垂れ流し」。

だが「シンデレラ」って「そもそも誰が創作したのか?」 調べたら「原作」に「近いもの」が「紀元前1世紀」頃からあったの思い知り、「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」で「大きい方垂れ流し」。

「アニメーション映画」では「父親」の再婚が娘のためだったことも「おしっこ漏らした」。実写版では「父親の恋愛」が「女の本性を見抜けなかった」「失敗」で、「シンデレラ」が「地獄」に堕ちる「かなり」「残酷」な話だったと「今頃」「初めて」思い知り「反省」「懺悔」「償い」。

他にもまだ。「フェアリー・ゴッドマザー」とか「いろいろあった」が、実写版の「メイキング映像」を見て「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で「大きい方垂れ流し」。

実写版の「スタッフ」「キャスト」達の殆どが、「1950年」「アニメーション映画」『シンデレラ姫』を「子供の頃」から見てる人達が多く、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」された映画っだったこと「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。「偉大」な映画であったことに「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」。

また「アニメーション映画」でも「継母」の「怖さ」「半端じゃなかった」が、実写版「継母」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ケイト・ブランシェット」の方が「やっぱり」「極悪」「非道」「人間じゃない」。

あと実写版の「メイキング映像」を見て「さらに」「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」に追い込まれたのは、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ソフィー・マクシェラ」「ホリデイ・グレインジャー」の「ドリゼラ」「アナスタシア」。実写版で「捨て身」の「悪役」「汚れ役」に見えたが、「メイキング映像」の「素顔」恐るべき「極限の美」に「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」。

だが「圧倒的」「絶対的」に、実写版と「アニメーション映画」の恐るべき「違い」は、「絢爛豪華」「舞踏会」恐るべき「極限の美」と、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「リリー・ジェームズ」「女優生命限界点」恐るべき「極限の美」に見える。

だが「1950年」「アニメーション映画」『シンデレラ姫』がこの世に存在しなかったら、「2015年」実写版『シンデレラ』は「ここまで」「壮絶」な「リメイク映画」とはならなかった。「原点」「1950年」「アニメーション映画」『シンデレラ姫』に「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」まで追い込まれる以外なす術はなかった。


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画像 2022年 5月