”映画『貌斬り』(細野辰興監督) ⑷” | やりすぎ限界映画入門

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『Wの悲劇』と比較される人が多いが『貌斬り KAOKIRI』は全然違う「新しいジャンル」の映画だ。「こんなの見たことがない」。「演劇」と「現実」が交錯する。観客は舞台場で話してるはずの「台詞」が「芝居」に見えなくなる。

■「狂っている。細野さんと私の共通の知人も言うように、これは、細野辰興監督全作品のなかで最も狂っている。もちろんその「狂っている」は、私たちの世界では最高の賛辞である」

「やりたいことがない」という人間が圧倒的に多くなった現代。「自分がしてること」に「真剣」に「対峙」できる人間はどのくらいいるのか? 何かを本当に「成し遂げる」ためには「楽して得する」ことなど「絶対ありえない」。「やりたいこと」を実現するための「努力」。ここまで「努力」してる人間の「情熱」を『貌斬り KAOKIRI』は見せる。

「本当に面白い映画」を作るための「監督」「脚本家」「プロデューサー」、そして「俳優」達がしなければならない「努力」。それは「ここまでしなければ成し遂げられない」「努力」だ。

「やりたいことがない」人間には「狂っている」ようにしか見えないだろう。だが「ここまで狂わなければ」成し遂げられないことこそ「真実」だ。