歴史学者磯田氏のことは先だって書きました。
100年前のパンデミックの説明で、余談ながら徳川15代将軍徳川慶喜の大坂城退避のときのことを少しお話していました。
徳川軍が京都に進軍している途中に薩摩・長州軍に待ち伏せをくらい、散々にやられてしまいました。
大阪城でその報を聞いた将軍は船で大坂を脱出し江戸の帰ってしまった。
大将のいなくなった徳川軍はこれを境に負け戦を続け、徳川幕府は終わりを告げます。
このときの慶喜公はインフルエンザだったと磯田氏は言ったのでした。
病み上がりに、進軍させろと急き立てられたらしい。
これでは歴史と話が違う。
歴史とは書き換えられたものだったのです。