名曲百選第二章(66)時代への逆行、何もない事の良さ・・・ | 日々の生活(くらし)に音楽を♪

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俺の初恋はRock'n' Roll 俺の傍らには何時も音楽があった。


私は地方在住ですが、都会は何でも揃っていて、暮らすには便利な所だと思います。
ショップも多く買い物には困らないですし、遊ぶ所やライブなどのイベントも常時開催され娯楽も多いですし、仕事の面でも就職先も多く、遊びや生活のどちらにおいても恵まれた所だと思います。

ですが欠点をあげるとすれば、自然が少なかったり、事件が多かったり、環境的な問題がある事でしょうか。

そんな都会から離れ、そして都会と比べ、北海道の田舎暮らしの良さを ”何もない春です” と表現し歌った名曲がありました。

襟裳岬/吉田拓郎


拓郎さんが森進一さんに書き下ろし、レコード大賞獲得という栄誉を獲得したのは有名な話ですが、レコード大賞授賞式の時、拓郎さんが壇上に姿を見せた時は、まさか拓郎さんが出て来られるとは思ってもいませんでしたから当事テレビを見てて驚きました。

森進一さんの 『襟裳岬』 が出たばかりの頃、拓郎さんの先輩の小室等さんが、ラジオ番組で話してましたが、この曲が出来た時、拓郎さんがデモテープを持って小室さんの所に聴いてもらいに来たそうです。
デモテープを聴いて小室さんは、「拓郎、お前、森進一が歌うという事を考えて作ったのか?・・・」 と言ったそうです。
後に拓郎さん自身でセルフカバーしましたが、オリジナルは、演歌とは程遠いようなディラン風の軽快なフォーク調の曲です。
この小室さんの話、浜田省吾さんが 『路地裏の少年が』 が出来た時に拓郎さんに聴いてもらいに行った時の話と何処か似てますね。
先輩後輩の間柄と言っても、同じ道を志してるライバルでもありますから、少し辛口なアドバイスになってしまうのかもしれません。

この曲の歌詞の、”襟裳の春は 何もない春です” という        フレーズが当事、「襟裳には何もないとはどういうことだ」 と、抗議を受けたり物議を呼びましたが、そこのフレーズだけを見ないで全体を見れば、この歌の歌詞に込めた意図というのもわかると思います。

襟裳の春は 何もない春です

都会に比べて、物や施設や娯楽などはないかもしれないが、

寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ


日々の暮らしで、疲れたり傷ついたりして寒くなった心を暖め癒してくれる人の心の暖かさや優しさがある、という事なのでしょう。


1974年という時代を考えると、フォーク歌手の作った歌を演歌歌手が歌うというのは、とても斬新な事であり冒険だったと思います。
しかし大ヒットし、当事の歌謡界に与えた影響も大きかったと思います。
作曲家の 團 伊玖磨 さんが、当事のエッセーで 「一度聴けばすぐ口ずさめたような、昔の流行歌の音楽的な幼稚さを見事に飛び越して、この歌は小気味良く美しい・・・」 と、それまでの日本の流行歌に無かった新しさを褒めておられました。
まったくその通りだったと思います。

襟裳岬

作詞 岡本おさみ
作曲 吉田拓郎

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから 黙りとおした歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

君は二杯目だよね コーヒーカップに
角砂糖を ひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして 通りすぎた夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です


日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに 笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので 身構えながら話すなんて
ああ おくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ


今回は吉田拓郎さんの 『襟裳岬』 をお届けいたしました
今は、何でもかんでも有り過ぎる時代ですね。
有り過ぎ、恵まれ過ぎてるから、逆に色んな問題も起こるのかもしれません。