高校文化祭の思い出。 | "楽音楽"の日々

"楽音楽"の日々

音楽、映画を中心にしたエンタテインメント全般についての思い入れと、日々の雑感を綴っていきます。

谷村新司氏が、10月8日に亡くなりました。74歳でした。

既に彼を悼む声が各所から上がっています。

彼が「アリス」のリーダーとして活躍していた頃は、私の青春時代真っ只中でした。私は「アリス」の熱心なファンではありませんでしたが、彼らがリリースしたヒット曲は全部知っていました。覚えたてのフォーク・ギターが楽しくてしようがない時期だったので、当然彼らの曲も練習していたのです。

 

そんなことを思い出していたら、突然高校3年生の時の文化祭のステージが蘇ってきました。急いで45年ほど前の写真を探し出しました。

 

 

この時は、同級生で文化祭用にバンドを結成して、フォークソングを中心に演奏したのです。私は、青いTシャツです。このバンドのレパートリーの中心が、「アリス」の楽曲だったのです。選曲に私の意見は入らず、リーダーの好みに合わせただけでした。

どんな曲を演奏したのかかなり記憶があやふやなのですが、印象に残っているのは「冬の稲妻」です。

 

 

どちらかがリード・ヴォーカルという訳ではなくて、いわゆる「ツイン・ヴォーカル」という感じが、当時としては斬新でした。私は基本的にコーラス担当だったのですが、この曲ではかなり声を張って歌った記憶があります。

 

さらに、私の「消したい過去」ナンバー・ワンが「帰らざる日々」でした。

 

 

これは、唯一私がリード・ヴォーカルを採った曲で、思い入れたっぷりに熱唱しました。思春期って、こんな曲に思い入れを抱くものだとは思いますが、客観的に見て最も恥ずかしい姿だったと思います。

考えてみれば、「アリス」の曲は思春期の少年少女たちにとても響く曲を歌っていたのかもしれませんね。

 

 

「アリス」とは関係ありませんが、この時のステージで私が最も思い入れがあるのが、「風」というグループの「海風」という曲でした。

 

 

今聴いてもなかなかオシャレな曲ですが、問題は間奏と後奏に入るテナー・サックスのアドリブ・ソロでした。リーダーの希望で、私がフルートでその部分を演奏することになりました。LPレコードを何度も繰り返して聴いてアドリブを採譜したので、最も記憶に残ったのでした。

その時の写真もありました。

 

 

この曲を含めて2〜3曲フルートを吹いたような気がしますが、この曲以外はストリングス・パートをなぞる程度でした。でも、貴重な写真です。私がフルート吹いてる姿は、この写真1枚だけですので。

 

 

谷村氏の訃報から、忘れていた青春時代を思い出したのでした。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

谷村新司氏の業績は、類い稀なるソングライティングのセンスに尽きると思います。奇をてらったものなど皆無の、平易でありながら印象に残るメロディの数々。

日本の歌謡史に残る名曲のひとつは、これですね。

 

 

既にアイドルとしてスーパー・スターだった山口百恵を、国民的な歌手にしたのがこの曲でした。これぞ、名曲。異論は受け付けません。

 

彼のソングライターとしての頂点は、1980年リリースの「昴-すばる-」です。

 

 

売れることを目指して工夫した様子を全く感じさせない、ストレートなメロディ。そうでありながら耳から離れないフレーズ。スケールの大きな詞の世界観。それを100パーセント発揮できる天性の歌唱力。谷村新司でしか表現できない歌世界です。

 

 

 

その後もシンガー・ソングライターとして近年まで活躍してきました。

私がショックを受けたのは、1984年リリースの「忘れていいの-愛の幕切れ-」でした。

 

 

小川知子をデュエットの相手として歌番組などで披露していましたが、とても良くできた曲でした。今でも、素敵な女性が相手だったら、カラオケでデュエットしてみたいですもんね。

問題は、終盤の「彼の右手」です。当時はショッキングで、かなり話題になりました。日本歌謡史において、こんなに世間をザワつかせたのは珍しいかもしれません。

 

 

 

 

フォークソング歌手をスタート地点にしながら、日本歌謡史に大きな爪痕を残した谷村新司氏。歴史に残る巨人でした。

 

R.I.P.