Brazil その1w | I think now like this.

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日々、感じたこと、思ったことをただ書いておく場所です。

もう来てから20日が経つのか。
長く、そして終わりが見えない。
これもお国柄、ということなのだろうか。

この20日間、ブラジルで過ごしてみて感じたところを書き留めておこうと書き始めた。
何回続くのかわからないけど、まぁ気が向けば書いてみよう。
内容は思った事を断片的に書くだけだから、中身はちょっとメタメタかもしれないけど、溜まったらアップする。
何年か後に読み返して、口元が緩んだら嬉しいのだけれど。

伊丹空港を出てから30時間もの移動を経て、辿り着いたサンパウロからまだ車で4時間走る。
本当はリオデジャネイロから車で2時間くらいの所にある街なんだけれど、リオはやっぱり治安の問題もあってサンパウロ経由、ということらしい。会社は、可能な限り我々をリオから遠ざけたいようだ。

サンパウロを出て、走る車の窓から見える景色は、牧草ばかりのくそ田舎。


牛が草を食むような光景が続く。
たまに見える開けた町並みも、近代化された街、という印象はなく、雑踏、というか清潔感からは程遠い雰囲気だ。東南アジアの方がまだ近代化は進んでいるように見える。
BRICSの一角を占めても、まだこんなに古ぼけた錆だらけの町並みなんだなと感じながら、車は結局5時間走った。
ようやく目的地に辿り着くと、さほど大きくない田舎街。
名をVolta Redondaという。
ここにあるのは、
Companhia Sideruraica Nacional
ナシオナル製鉄。今回の仕事場だ。


設立は1969年というから50年前。同級生である。
俺はここまで古くはないつもりだけれど、確かに古い製鉄所。
というかね、設備に手を入れてない。
使いっぱなし?
傷みっぱなし?
そんな感じ。

ブラジルはとにかく人と人の距離が近い気がする。それは、決して物理的な距離ではなく、精神的な距離、というべきかな。
初対面でも気さくに握手をするし、その時に空いた手でポンポンと肩を叩かれたり、すれ違う人みな笑顔で親指を立てて挨拶してくれる。
これを日本人に求めるのは無理なんだろうけど、かつての日本もこれくらい人の距離は近かったように思う。
俗にいう『メンチを切る』行為はあまりブラジルでは成立しないように思うんだな。
日本なら『こっちみんな』とでも言われそうだけれど、ブラジルで人の顔を見つめていると、相手は結構笑顔になる。
それくらい、人と人の距離が近い。

ブラジルで日本人は人気者。
みなジャポネーゼを歓迎してくれる。
理由はよくわからないのだけれど、みんな、おージャポネーゼっ!と話しかけてくる。
それほど、日系移民の人たちがこの国で良い働きをし続けたのだろうと思う。
感謝せねばね。

驚いたのは、ホテルの朝食でのむコーヒーのなんと美味しいこと!


ブラジルの人たちは残念ながら結構砂糖を入れるんだけと、俺は何も入れない。それは日本でも同じ。カップに入れてひとくちすすった時に目を見開いた。
苦味も酸味もちょうどよくて、これぞコーヒーやっ!って感じ。
なんでコーヒーの国の人らなのに、砂糖入れてまうねんやろか。
そのまま飲まんかい!て思う。

肉がうまいのには驚いた。


ブラジル人とは肉を食べる人のこと、と言うのかどうか知らないけれど、ホテルのレストランで毎晩のように肉を食べる。
お気に入りはピッカーニャ。
ボウイの発音を聞くと『ピカンヤ』と言っているように聞こえるのだけど、これは部位のことなんだと。ピッカーニャとは『イチボ』のことらしい。お尻の肉ね。希少部位だと言われているところ。


んまーい!
塩コショウだけで充分で、安いの!
これで日本円で1500円くらいよ?
あとこれにパンとフレンチフライドポテトがついて。
食べるものがどうかなぁと思ったけれど、マレーシアの時よりは苦労していない。
イタリアもスペインも食は日本人の口に合うというから、南米もそうなのかもね。
ただお米に関しては日本の右に出る国はないね。

観光にも行った。
その時の話はまた改めて。
リオデジャネイロに行ったのだけれど、なかなか貴重な経験にも見舞われてね。
ちょっと怖い体験でした。

さて、今回はこれくらいで。
また、書こうと思う。